アレバロ・ウリベがコロンビア大統領に就任した日、右派準軍組織に制圧された町の女性グループを率いるヨランダ・ベセラは、「米国の祝福を受けた全体主義モデルの進展を目にすることになるだろう」と語った。
1年後、彼女の予測は、現実のものとなったようである。
最初にファシズムの犠牲となるのは、いつも、最も貧しく、抵抗力がなく、目に付かない人々である。ヨランダ・ベセラが住むバランカベルメハでは、準軍組織が、ゲイやレズビアン、バイセクシャルたちに対して「社会浄化」作戦を進めている。ペレイラの町で、最初に犠牲となったのは、露天商であった。
ペレイラは、かつて、コーヒー栽培地の大きな中心であったが、1980年代と1990年代を通して、経済のグローバル化によりコーヒー価格が下落した。そして、国際貸付機関が、ベトナムに対してコーヒー栽培を奨励し、ベトナムが大量の安価なコーヒーを市場に提供したために、コーヒー市場価格の底が割れた。ペレイラ周辺の地域では、かつて年間1600万袋のコーヒーを販売していたが、それが1000万袋に落ち込んだ。コーヒー農家の多くが土地を失った。
職を失ったコーヒー・ベンダーは、暴力で強制移送された人々の仲間に加わり、キャンディや宝石、新聞、本など、売れるものを、ペレイラの路上で観光客に売る仕事についた。けれども、現地の商人たちは、露天商との競争を好まず、観光客は、売れるものを何でも売ろうとする非常に貧しい人々で溢れた道を歩くことを嫌った。そのため、昨2002年11月、ペレイラ市長はルディ・ジュリアーニ(米NY市長)のまねをして、路上から物売りを追放する「都市リニューアル計画」を発表したのである。
コロンビア全土で、露天商に対する取締が行われた。警察は大きなトラックに乗って暴動統制用の服装で走り回り、露天商を狩りだし、一晩拘留し、それから商売道具を返して欲しがる者たちから、言語道断な額の賄賂を強請り取った。
けれども、ペレイラでは、今年に入って事態はさらに恐ろしいものになった。
春の終わりに、ペレイラでは、殺された露天商の遺体が見つかるようになった。この殺人を誰が行なったか誰も知らず、また、気にする人もほとんどいないようであった(まさにこの同じペレイラでは、数年前、連続殺人犯が、逮捕されるまでに100人以上のホームレスの子供を殺したことがある。ホームレスの死は当たり前と見なされていたのである)。
6月、殺人者たちが姿を表した。6月17日、露天商の仲間たちと組合を作った36歳のジョン・カルモナが、商売道具を警察に押収され、釈放される前に警察に殴打された。その数日後、警察が露天商の一掃作戦を行なった際、彼は、何も売っていなかったにもかかわらず、再び逮捕された。それからしばらくして、一群の男達が表れ、警察のトラックから露天商たちを引きずり出し、棒で殴り始めた。ジョン・カルモナは殴られて死亡した。警察は、全く介入しなかった。
このグループは公開声明を発表し、自ら「エコロジカル基金連合」と名乗り、ペレイラの路上を「浄化する」と発表した。
そのニュースに対して、経済学者で社会評論家でもあるエクトル・モンドラゴン(彼自身拷問と殴打、何度にもわたる暗殺計画を生き延びてきた)は、次のように語る。
「これはファシズムである。まさに、ヒトラーとムッソリーニの手下たちが行なったことだ。単なる国家による弾圧ではなく、人々を殴り殺す、人々による弾圧だ。そして、こうした行為は、政府の支持を得ているだけでなく、社会の一部からも支持を得ている」。
この殴打事件が起こる前の数ヶ月、軍は「ゲリラのシンパ」と疑われるものたちの狩りだしのために、お金を出して情報提供者を利用し始めていた。顔を覆ったこうした情報提供者をメデジンのスラム街1件1件に連れまわり、その場で、指し示された人々をただちに引きずり出した。カウカでは、失踪が2倍に増えた。新たに採択された対テロ法は非常に曖昧な文言であるため、FARCやELNといった左派ゲリラとは全く関係のない非暴力の活動家を処罰するためにも利用された。石油労働者組合の指導者たちは、仕事を停止させられ、「態度調整」クラスに参加するよう強制された。準軍組織が軍の飛行機からアラウカの町にパラシュート降下し、妊娠中の10代の女性一人を殺して、お腹から引きずり出した胎児を殺した。そして、その攻撃の後も、米国グリーン・ベレーは、この準軍組織を空輸したコロンビア軍旅団への訓練と支援を続けた。軍は、予定されている国営施設の私営化と大量の解雇に対する反対を弾圧するために、病院や通信施設、石油精製工場を占拠した。
ある意味で、これらは何も新しいことではない。永年にわたり、コロンビア軍は不法な右翼「死の部隊」と共同で、活動家にテロを加え、石油企業や木材会社、ダム建設業者、大規模牧場経営者、コカイン密輸業者などが狙う土地に住んでいた不幸な人々を虐殺してきた。けれども、これらは主として地方部や都市周辺の貧しい地域で起こっていた。モンドラゴンによると、ウリベは現在、「地方で適用されていたと同じ手段を都市でも適用している」という。富裕層と中産階級は、自分たちの名前のもとに行われていることをもはや見ないでいるわけにはいかないにもかかわらず、自分たちの富と権力、特権を維持するための弾圧政策を支持し続けているのである。
ウリベは、こうした政策を、テロリズムに対する戦争として正当化し、FARCとELNが身代金目当てで人々を誘拐したり、インフラへの破壊工作を行なったり、コロンビア諸都市の中心部で自動車爆弾を爆破させたりすることを阻止するために必要なことは何でも行うと述べている。その間、彼は、コロンビアで最も残忍なテロリストである右派準軍組織と「和平交渉」を進めている。多くの人々は、これは「死の部隊」を合法化し、その指導者たちをコロンビアの政治指導陣に加えるための隠れ蓑であると見ている。彼の正当化は、ファシストが、共産主義の脅威に対抗するために市民的自由を停止しなくてはならないと述べた政策と、寒気がするほどに似ている。けれども、ウリベの対テロ法制は、米国の愛国法というより現代的なモデルに範を取っている。彼はブッシュとアッシュクロフトによる対テロ方策の基本原則を採用し、彼の場合は障害がないため、それを10倍先まで進めたのである。
一方、米国の民主党と共和党は、ともに、ウリベに対する米国の支援を、ウリベは民主的に選ばれた大統領であり、残忍なテロリストに対する作戦を展開しているものであるとして、正当化している。FARCとELNが残虐行為の一部を行なっているのは確かである。そして、ウリベは、70%台後半の支持率を確保している。むろん、この世論調査は電話やインターネットという、人口の60%が1日2ドルで生活しているコロンビアでは贅沢なメディアを通して行われている。それゆえ、この世論調査から我々がわかるのは、ウリベはコロンビアの富裕層と中産階級から支持を得ているということである。
過去30年の間に、軍と準軍組織により5000人もの友人たちが殺されたのを目にしてきたモンドラゴンは、ワシントンの声に対して、次のように応える。
「選挙が行われたのでファシズムではないというのだろうか?ヒトラーとムッソリーニは、選挙で選出されたのではなかったろうか?ホロコーストを行なっていた間、ヒトラーの人気はどうだったろうか?まさにこれがファシズムである。ファシズムは人気があったのだ。中産階級はファシズムを愛していた。国家の敵が撲滅されていたのだから。ペレイラの路上は浄化されている。そして、中産階級はそれを拍手で迎えている。ペレイラの町がこんなに綺麗に見えたことはこれまでない。観光客たちは、1937年にドイツに行った観光客と同じように、次のように言うだろう。『どうして政府の批判をするのだろうか?ドイツはかつてないほど美しいというのに』。コロンビアでも、同じだ」。
モンドラゴンの言葉は、米国でも気の滅入るように響き渡るだろう。ウリベはブッシュ政権からアイディアを得ている。むろん、ウリベの方が政策をさらに進めることができるが、政策自身、そんなに大きく違うだろうか?
ジュリアーニは、ニューヨークでホームレスを犯罪とすることに成功した。アッシュクロフトは、議会の支援を得て、移民から人身保護令状の権利を剥奪することに成功した。中産階級は、対テロ戦争の中で、自分たちの市民的自由をますます喜んで放棄しようとしており、知識人たちは自由の終焉を正当化する法的・哲学的議論を熱心に展開している。麻薬に対する戦争は、不法操作と押収に対する憲法修正第4条の保護を剥奪し、若い黒人たちを犯罪者に仕立て上げている。
コロンビアはファシズムへと降下した。コロンビアのスポンサーは、それよりも遙か後ろにいると言えるのだろうか?
シーン・ドナウは「マサチューセッツ反企業クリアリングハウスの企業と軍事主義プロジェクト」のディレクタ。メールはinfo@stopcorporatecontrol.org.