2003年9月8日、コロンビア大統領アレバロ・ウリベ・ベレスは次のように述べた。「テロリストたちが弱さを感じ始めたとき、すぐさま報道官を送り出して人権について語らせる」。彼はまた、人権団体の中には「尊重すべき」ものもあるが、「テロリズムを扇動する政治的アジテーション」に従事するものもあり、それらは「コロンビア軍と人々が奪い去ったスペースをコロンビアのテロリズムに取り戻そうとするために、人権のバナーに身を包む、臆病者である」とも述べた。
ウリベが、人権組織を「テロリスト」として悪魔化しなくてはならないほど邪魔くさく思ったのは何故だろうか?ウリベがこの発言を行うときまでも、人権団体はとても忙しかった。その少なからぬ部分は、ウリベ政権と軍の行動による。小さな例をあげよう。
著名な人権団体の一つCREDHOS(人権擁護地域組合)は、準軍組織がバランカベルメハで6人の男女を失踪させたと発表した。ウリベと同様、バランカベルメハの準軍組織は、他の15人を、ゲリラであると非難して悪魔化し脅迫した。コロンビアの食品飲料品組合SINALTRAINALは、2003年8月22日、組合の副代表がバイクに乗った狙撃手から命を狙われたと報じている。青年組織は、クンディナマルカで5人の若者が準軍組織により虐殺されたと伝えている。別のいくつかの人権団体は、8月1日に2件の殺人が犯され(軍・準軍組織とゲリラの小競り合いの中で起きた)、8月9日にエル・カスティジョ郡で1件の殺害が(軍により)犯され、さらに2件が8月11日、また別の1件が12日に、ビジャビベンシオで(準軍組織により)犯された、と報じた。2003年8月8日、国連は、2003年のその時点までに118名の先住民が殺されたと報告している。労働組合は、同じ期間に50人の労働組合員が殺されたと報じている。コロンビア法律家委員会は、前の年に約7000件の政治的暗殺が行われたと述べている。これら組織は、政府の農地政策、権威主義、抑圧的な社会政策を批判している。
カリで、準軍組織は、社会政治前線への戦争を謳い、これを脅迫した。社会政治前線は、労働組合と社会組織、人権団体からなる団体である。
ウリベ政権は、こうした準軍組織と和平交渉を行なっている。そうして準軍組織を合法的かつ立派な社会的地位のものと仕立てようとする一方で、政府は、人権活動を命の危険を伴うものにするだけでなく、不法のものとすべく全力を尽くしている。つまり、ウリベは、演説で暗に脅迫を行うことに成功しているのである。
2002年8月にウリベが政権の座に就いて以来、2400人が、社会的、政治的、あるいは人権に関する活動により、司法により「処理」された。そうした「処理」の一例として、8月17日チャランとコロソ、オネハスで156人の人々に起きたこと、あるいはアラウカで42人の社会指導者に起きたことを指摘することができる。コレラの人々は、8月20日、家宅侵入捜査で一斉逮捕されたのである。同様の一斉拘留は、8月24日、トリマでも起きている(教区司祭を含む54人が逮捕された)。警察と軍は、教育権を求めて抗議行動を行なったカンペシノたちを、9月8日カウカのポパヤンで逮捕した。
9月6日、教会を基盤とする人権団体「フスティシア・イ・パス」(正義と平和)は、政府に対して、フスティシア・イ・パスについて集めているファイルを公開するよう求め、メンバーが、ゲリラと共謀していると非難されて受けている嫌がらせを批判した。
社会的な組織に対するますますあからさまで公式政策化した攻撃は、準軍組織が攻撃を行う一方で政府が責任を否認するというこれまでの「汚い戦争」を補完するものである。ウリベは、戦争を公のものとする戦略を採っている。社会組織を非合法化し、軍と警察に直接これらの組織を攻撃させる一方で、準軍組織を合法化し、それと「交渉」するのである。
いずれの戦略も、社会的な反対を表明する人々、社会運動、人権団体を、ゲリラ活動と同一視することに基づいている。しかしながら、コロンビアのゲリラは、非常にしばしば、政府や準軍組織と同様、人権には関心を示さない。アフリカ系コロンビア人組織「ブラック・ピープルズ・プロセシズ」は、8月28日にメディオ・アトラトで農民指導者テオドリンド・リバス・メナがFARCの第57前線により殺されたと発表した。8月31日、ナリニョのアフリカ系コロンビア人指導者ホセ・ルシアノ・カスティジョ・アレグリアがFARCの第29前線により暗殺された。コロンビア内戦において民間人や社会組織指導者の命を尊重する武装団体は存在しないようである。
けれども、ウリベが9月8日に行なった長弁説は、太平洋岸の農民指導者たちの涙を心に置いたものではない。そうではなく、自分の保護者である米国に向けられたものでありそうである。ウリベの経済政策はコロンビアを破滅的な状態にした。何万人もの人々を失業させ、労働組合を破壊し、公共サービスを私営化し、農民に毒薬を散布し続け、そのお返しとしてコロンビア人に与えるものはといえば、暴力と死と「テロリズム」に関する空疎なレトリックだけである。テロ戦争は高くつく。この戦争に必要な金を払うためのウリベの唯一の頼りは米国である。けれども、米国自身経済不況下にあり、アフガニスタン、イラク、パレスチナの占領に何百億ドルもをつぎ込んでいる[それゆえ一部を日本に払わせようとしており、小泉首相はこれを支払いたくて支払いたくて涎を垂らしている]。人権団体に対するウリベの批判は、アメリカン・エンタープライズ・インスティチュート(AEI:ブッシュ政権お気に入りのシンクタンクである)が最近打ち出した、NGOは反民主的な組織であるという路線に上手く合致している(AEIは、ベネスエラの反対派NGOを反民主的と非難するだろうか?疑問である)。古い品物を新しい包みに入れ替えるのは、昔からある宣伝戦略である。
そして、米国が戦争と占領に費やす全ての支出に対して、米国な何とか金をひねり出すだろう。ワシントンの費用は免責である:コロンビアに対する軍事援助継続が発表されたのは、ワシントンとボゴタが国連の国際刑事裁判所による告発から米国人を免責するという二国間協定が署名された直後のことであった。この免責と準軍組織の「和平交渉」との間で、コロンビアは、軍人たちが戦争犯罪を犯しながらその責任を逃れるための模範的な場となりつつある。
けれども、今から何年か経ったときに、ウリベとコロンビア軍と準軍組織は、自分たちを免責しようと言うこうした注意深い努力によっても、身を隠すことができないことに気付くだろう。ペルーの真実和解委員会は、9月上旬に報告を発表した。この報告は、1980年代ペルーで行われていた残忍な対ゲリラ戦争の中で刑事犯罪の責任を負う者として、政府の高官や軍高官の名を挙げている[ペルーで告発されているフジモリ氏は、曾野綾子氏の庇護下、日本に避難している]。ピノチェトは裁きを逃れきってしまったかもしれないが、彼を裁こうとする試みは、彼から傲慢さを一部奪い去った。1976年から1983年までアルゼンチンを支配した将軍たちは、告訴を憂慮しながら暮らしている。恐らく、コロンビアの人々に対して国家テロと準軍組織のテロを解き放った者たちは、人権についてかくも絶望的なまでの批判をしたとき、やはり心配していたのかも知れない。
ジャスティン・ポドゥールはコロンビアとラテンアメリカに関しての翻訳・記事執筆等を行なっている。メールはjustin.podur@utoronto.ca。
今、日本国憲法や国際法を含め、法自身が迂回され、法が破壊されるというよりはむしろ法治の概念自身が崩壊させられている中、国際刑事裁判所の規定や日本国憲法の規定を改めて基準として再提出・再活性化することが強く求められているように感じています(私自身はベンヤミンやアーレントの「法措定的暴力」といった概念を玩んで育った「世代」なのですが)。
アフガニスタン国際戦犯民衆法廷の活動やイラク民衆法廷の活動なども、「実効性がない」などと斜に構えるのではなく考えていくことが、法や言語・理性の崩壊をくい止める一つ一つのステップにはなるでしょう。小泉氏が自民党総裁に選ばれたことを考えると、とりわけ。
全く関係ありませんが、9月21日(日)午後7時からテレビ朝日(東京地方の10チャンネルは確かテレビ朝日だったと思う)で、地震の番組がありました。東京直下型地震と、東海地震についてを中心に可能性や起こりうる災害について紹介されていましたが、9時前まで見た範囲では(もしかするとその後も番組が続いたのかも知れませんが、終わったと思います)、浜岡原発については、全く言及がありませんでした。控えめに言っても、不思議です。