逃げるか、戦うか、死ぬか

準軍組織がワユウの子どもたちを生きたまま焼き殺した
ジェームズ・J・ブリテン
2005年3月28日
CounterPunch原文


コロンビア内戦は基本的に二つの----あくまで二つの----グループの間の紛争である:変化を求めて闘う人々と、コロンビア国家との。サン・ホセ・デ・アパルタド(アパルタド市はアンティオキア州にある)平和コミュニティで最近起きた虐殺ほど、この点をはっきり示すものはないだろう。

この平和コミュニティは、40年にわたる戦争に囲まれた中で、別の道を進もうとする自律的社会の存在を求めて、コロンビアで有機的に結成された最初の平和コミュニティである。サン・ホセの目標は、国中に広がる武力行動や武装グループとは別に、暴力のない進歩的コミュニティを打ち立てることにあった。歴史的重要性を持つこのコミュニティを結成した一人はルイス・エデュアルド・ゲーラという名の男である。ゲーラは、コロンビアで社会正義を求める多くの人々とおなじように、2月21日、残酷なやりかたで殺された。彼の遺体の残りは、デヤニラ・アレイサ・グスマン(ゲーラのパートナー)、デイネル・アンドレス・ゲーラ(息子)、ルイス・エデュアルド・ゲーラ(異父母弟)、アフロンソ・ボリバール・テュベルキア・グラシアノ(ムラトー人道地域の平和評議会指導者で同議員)、サンドラ・ミレナ・ムノス・ポソ(グラシアノのパートナー)、サンティアゴ・テュベルキア・ムノス、ナタリア・アンドレア・テュベルキア・ムノス(グラシアノとムノスの子どもたち)と一緒に発見された。何人かの目撃者によると、これらの人々を殺したのは、コロンビア軍第17旅団に属する兵士たちだったという。

けれどもここでは、コロンビア支配層の強制執行部門が実行している残忍な行為について話をするのではなく、ハビエル・ヒラルド神父が言うようにコロンビアには「中立の余地がない」ことについて書きたいと思う。カトリック司教であるヒラルド神父が言うように、「ゲリラのいる地域で暮らす農民たちは殺されるか追放されるかする」。3月8日、平和コミュニティは、「嫌がらせや脅迫、殴打、爆撃、殺害」、そして「虐殺」を含む「多くの攻撃」を受けているという声明を発表した。それにもかかわらず、サン・ホセの人々は「コミュニティの意志は固く」、「平和的共存という立場」を維持する決意であると述べた。

多くの人々がこの立場を賞賛するかも知れない。けれども、この道徳的態度は何を意味するのだろうか? ヒラルド神父(敬虔な非暴力主義の解放の神学派でコロンビアの前線で何十年もの間奮闘してきた)が言うように、コロンビアの人々は現実における灰色の背景に曇らされない黒か白かの世界に住んでいる。ヒラルド神父はゲリラとともに暮らす人々について二つの真実を伝えている:死か、追放か。3月8日の声明で、平和コミュニティは「我々は犠牲と共存はしない」と述べている。したがって、選択可能な範囲から死という選択肢を取り去れば、ヒラルド神父の前提によれば、残された選択肢はただ一つ、追放である。平和コミュニティは、最近、政府が軍事勢力を自分たちに向けるならば、自分たちは理想を手に「進む決意」であると書いている。ヒラルド神父の二項選択のうち、追放ということになる。けれども残されているのはそれだけだろうか? コロンビアで社会正義を求める人々にはそれしか残されていないのだろうか? 逃げるか、死ぬかしか?

2001年以来、コロンビア軍第二旅団(およびAUCのメンバー)は、サン・ホセ・デ・アパルタドで起きたのと同様の破滅的な攻撃をワユウ先住民に対して加えてきた。2004年4月18日、準軍組織(と兵士)が、ワユウの人々が大多数を占めるバイア・デ・ポルテテ村に侵攻した。この日、国軍は整然と「二人の子どもを生きたまま焼き、他の人々をチェーンソーで殺した」。ジョニー・バレッタ("Wayuu Indians go to war against Colombia Government: May 27, 2004, http://www.anncol.org/side/587)はワユウのある父親の経験を次のように書いている:

殺されないように逃げ出さなくてはならないのはどういうことか、そしてそのとき子どもたち、私の小さな二人の息子たちを奴らが生きたまま焼き殺す悲鳴を聞きながら私には何もできないのがどういうことか、想像できないと思う・・・・・・奴らは私のピックアップの中で子どもたちを生きたまま焼き殺した。さらに母の首を切り落とし、甥たちの体をばらばらに切り刻んだ。撃ち殺したのではなく、拷問した。私たちに彼らの悲鳴を聞かせるために。それから、チェーンソーで生きたまま彼らを切り殺した。

このおぞましい行為のあと、ワユウの代表たちは国内外に、戦わなくてはならないとの結論に到達したと宣言した。殺人者たちが自分たちの土地に戻ってくる意欲を失うように断固たる対応をする、そして法廷が殺人者たちを助けるために機能しているのだから我々は自分たちの法を適用する、と。

そのとき以来、FARC−EPのメンバーとなったワユウの人々が増え、また、ワユウの人々の解放を求める社会運動と協調して活動する先住民を中心とした自衛活動を結成した人々もいる。その結果、自衛を選んだワユウに対する攻撃は、2004年春以降、激減した。

ワユウの出来事は、政府の弾圧に対抗するもう一つの方法を示している点で重要である。この出来事はまた、サン・ホセ・デ・アパルタドの平和コミュニティが、何故、平和主義の自治社会の立場をとり続けることで、政府による暴力の安易な標的になり続けているのかについても考えさせる。昨年、ワユウは、安全を守るために物理的な手段に訴えることが、政府の拡張主義的・反動的目的に対して有効な対応であることを示した。反対に、平和コミュニティは、一方的な非暴力を貫くと宣言した。

サン・ホセ・デ・アパルタド平和コミュニティが膨大な喪失を持ちこたえ、平和と積極的な記憶を再び手にするためには、自分たちが求めるのがこれからも死と逃走だけなのかどうか考える必要があるだろう。自らの道徳に「油断せず」、政府が軍事力に訴えたときはいつも逃げ出すのか、それともコロンビアであまりに優勢でまた真実でもある「中立の余地はない」という言葉を受け入れるのか。ただ自給自足の生存を続ける以上のことをするためには、サン・ホセの人々は弾圧に対して非物理的な理想以上の何かで対応しなくてはならない。彼らは、道徳に従いながら、同時に弾圧に物理的対応をすることができることを知らなくてはならない。ワユウの人々が物理的な正義を通して自分たちの道徳を守っているように。

ジェームズ・J・ブリテンはカナダ、ニューブランズウィック大学の博士学生兼講師。最近の著作には「The Agrarian Question and Agrarian Struggle in Colombia」(イゴル・アムプエロと共著:Reclaiming the Land: The Resurgence of Rural Movements in Africa, Asia and Latin America. Sam Moyo and Paris Yeros (eds), 2005, Zed Books)、「The State/Paramilitary Configuration: Contextual Realities of Human Rights Abuse in Contemporary Colombia」(Socialist Studies (2005, 査読中)、「The Economics of Violence: Uribe's Plan to Increase Military Spending」 People's Voice (2004) 12:16, 5. がある。メールはjames.brittain(atmarkhere)unb.ca.



このタイプの記事を紹介すると、ときおり、「お前は暴力を擁護するのか」といったメールを受け取ることがあります。通常、そうしたご意見を下さる方は、ブッシュ氏や小泉氏には同様の主旨の疑念を表明していないことが多いのですが。マルクスは「宗教はアヘンである」と言いました。だから宗教はいかん、というのではなく、アヘンが求められる条件から変えないことにはアヘンは無くならないという意味で。


■高遠菜穂子さん講演会

2004年3月26日から5月半ばにかけて、全国を回ってイラクについて講演するようです。詳細は、高遠さんのブログをご覧下さい。


■憲法9条に関する意見広告

佐賀・福岡地域の人が中心となって「9条広告支援の会」が結成されたそうです。全国紙への意見広告へのカンパを募っています。詳細は同ウェブサイトへ。


■クルド人難民関係のブックレット

2月21日に緊急出版された、

私たち どうして 人間じゃないの?
 怒りと慟哭 クルド難民と青学生の対話

 青山学院大学名誉教授 雨宮剛著
 A5判 140ページ 
 価格700円(送料別途300円)

が、クルド人難民二家族を支援する会ネットショップから購入可能になりました。自費出版のため、購入できる書店が限られています。よろしければ、ネットショップからご購入下さいとのことです。

関係情報は、クルド人難民二家族を支援する会HPをご覧下さい。

益岡賢 2005年3月28日

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