コロンビア:司法の反動的制約

ジェームズ・J・ブリテン
2005年5月2日
コロンビア・ジャーナル原文


2005年2月、FARC−EPはコロンビア軍に対してここ数年で最も致死的な攻撃を実行し、ウラバのジャングル地帯で21名の兵士を殺害した。さらに2名の兵士が負傷し、襲撃後、他の8名の行方がわからなくなっている。兵士たちはコロンビア軍第17旅団に属していた。第17旅団の主な駐留地域はアンティオキア州で、同州は、1990年代後半以来、右派準軍組織最大の最も地歩を固めた拠点となっている。コロンビア軍第17旅団はFARC−EPによるこの屈辱に対して、直接報復するかわりに、サン・ホセ・デ・アパルタドにあるコロンビアの平和コミュニティを攻撃した。

2月21日、コロンビア軍第17旅団は、平和コミュニティの創設者の一人、ルイス・エデュアルド・ゲーラと彼の家族3人を拘留した。翌日、息絶えた彼らの遺体が、やはり同じコミュニティの他の四人の犠牲者の遺体とともに発見された。そのうち2人は子どもだった。コロンビアの国連人権高等弁務官事務所は、この二人の子どもは、残忍にも、「山刀により斬りつけられ」「銃撃されて」殺されたと発表した。様々な人権活動家や人権団体、カトリック教会の代表団、アパルタド・グロリア・クアルタスの元市長----彼は遺体を確認したため殺害の脅迫を受けた----などが、この地域で目撃された唯一の武装戦闘員はコロンビア軍第17旅団であると証言した。さらに、より詳細に、第17旅団の第33対ゲリラ大隊の兵士たちが2月21日に平和コミュニティに侵入したのを見たと言う人々もいる。

この地域の人々が目撃し証言する第17旅団のグロテスクな活動は、コロンビアに変化をもたらそうとしている社会運動への支援やその拡大をコロンビア政府が不可能にしようと行なっている対ゲリラ作戦の一例である。政府は人々を惹き付け社会経済的代替を示すことで支持を得ようとするかわりに、地方に住む罪のない非武装の民間人を殺害するという暴力的な手段で政策を強制しようとしている。こうした手段は気の滅入る不幸なものだが、こうした「海を枯渇させる」戦略は、コロンビアでは何ら新しいものではない。けれども、2月の虐殺後に第17旅団がとった行動は、コロンビア地方部で司法に沈黙を強いる新たな段階となった。

グレーター・ニューヨークのニカラグア連帯ネットワークが最近発表したところによると、3月2日、コロンビア軍第17旅団は、「検察庁人権局の調査団」がサン・ホセ・デ・アパルタドで起きた2月21日の虐殺の目撃者を訪問してインタビューし「帰る途中で、調査団を攻撃した」。この攻撃により、二人の委員が撃たれ、一人は死亡した。第17旅団がこの攻撃を行なったと批判されている理由は、同旅団が「サン・ホセの町中を中心に大規模に駐留しており」、また、「第17旅団はサン・ホセとアパルタドを結ぶ道にあるラ・バルサ村に24時間の常駐検問所を設けており、道沿いを常時パトロールしている」という事実からである。

さらに不穏なのは、3月の展開である。皮肉なことに、コロンビア政府がこの襲撃をFARC−EPのせいにしようとしたあとで、アレヴァロ・ウリベ大統領は、平和コミュニティに対する攻撃は間接的に正当化される、というのもサン・ホセ・デ・アパルタドの住民の一部はFARC−EPと同盟関係を確立しているという「事実」があるからだと述べている。このような大胆な承認を得たコロンビア軍は、3月30日、自信満々で地域を訪れ、平和コミュニティとその家々を包囲して脅した。これにより、情報を外部の人々や当局に伝えた者たちに対しては報復行動を取ることができ、実際に取ることを示したのである。軍が改めてサン・ホセ・デ・アパルタドに進駐してきたため、平和コミュニティの人々は、4月1日、自発的にその地から移動することを決めた。

政府軍のこうした行動は、コロンビアの反動的イデオロギーにより情報の流通が組織的に制限されていることを示している。こうした情報は、コロンビアの支配階級にとって二重にマイナスの効果を持つため、制限しなくてはならない。第一の帰結は、国際的な領域で、人権侵害を直接支持しないよう米国政府に圧力をかける可能性が出ることである。第二は、国内で、2006年の選挙でウリベが二期目を狙うことの足を引っ張るかも知れない。その結果、コロンビア政府は、虐殺の事実およびその詳細が国内外に広まることを避けたがっており、情報がコミュニティから持ち出されるのを阻止しようとしている。

人々に目撃された第17旅団の作戦により、コロンビアのエリートたちのファシスト的政策は新たな段階に入った。彼らは、民間人を標的とするだけでなく、政府の反動的なイデオロギーと政策を害しかねない真実を追究する政府内の人々をも標的とし出したのである。

ジェームズ・J・ブリテンはカナダ、ニューブランズウィック大学の博士学生兼講師。最近の著作には「The Agrarian Question and Agrarian Struggle in Colombia」(イゴル・アムプエロと共著:Reclaiming the Land: The Resurgence of Rural Movements in Africa, Asia and Latin America. Sam Moyo and Paris Yeros (eds), 2005, Zed Books)、「The State/Paramilitary Configuration: Contextual Realities of Human Rights Abuse in Contemporary Colombia」(Socialist Studies (2005, 査読中)、「The Economics of Violence: Uribe's Plan to Increase Military Spending」 People's Voice (2004) 12:16, 5. がある。メールはjames.brittain(atmarkhere)unb.ca.


東京新聞が、戦後60年の企画をやっているようです。沖縄戦について「『死は誉れ』間違いだった」は読み応えがあります。

その沖縄では、辺野古の状況が緊迫しています。珊瑚礁の海、戦中戦後地元の人々の命の源だった海が破壊され、イラクをはじめとする世界の様々なところに侵略を繰り返す米軍の基地が、日本政府の膨大な支援のもとに造られようとしています。

活発な反対活動を展開しているグループのグループの案内、「辺野古への海上基地建設・ボーリング調査を許さない実行委員会HP」には様々な情報があります。また、わかりやすいまとまった情報が、こちらにあります。4月29日の現地からのメッセージは、来れる人は来て下さいと呼びかけています。

意見の送り先については、こちらをご覧下さい。


1999年前後、東ティモールでも活発な取材活動を続けた綿井健陽さんによるイラクのドキュメンタリー映画「Little Birds」、東京でロードショーが始まっています。ぜひご覧下さい。映画の公式サイトはこちら、綿井さんの公式サイトはこちらです。
益岡賢 2005年5月4日

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