プラン・パトリオタの客観的真実
主観的プロパガンダへの応答

ジェームズ・J・ブリテン
2005年1月24日
コロンビア・ジャーナル原文


コロンビア地方部全般で、「麻薬に対する戦争」という見せかけのもとでゲリラ及びその協力者を一掃することができなかったため、米国政府とコロンビア政府は、コロンビア革命軍−人民軍(FARC−EP)に対する政治経済的・軍事的戦略を見直し、現在はこのマルクス主義ゲリラを「対テロ戦争」の一部として標的にしている。コカ栽培・精製・取引のレベルが増加しているだけでなく、その一部は右派準軍組織のコロンビア自警軍連合(AUC)により独占されていることを国際社会の人々が知った後、米軍とコロンビア軍は対麻薬戦争という見せかけを脱ぎ捨てて、プラン・パトリオタと呼ばれる「対テロ」作戦に直接乗りだした。コロンビア南部で行われているプラン・パトリオタの攻撃は、直接ゲリラとその支持基盤を標的とし、そして、コンスタンサ・ヴィエイラが指摘するように「米国の麻薬撲滅という目撃を推進するという口実をもはや使っていない」。

プラン・パトリオタは、その開始以来、軍の力と熟練とが真に力を合わせ、ゲリラを圧倒し始めたと伝えられてきた。2003年11月のAP通信の記事は、「コロンビア政府はマルクシスト・ゲリラの拠点であるジャングルでゲリラに対して勝利を収めつつあり」、「プラン・パトリオタの攻撃のもとで」コロンビア南部全土で「政府軍はゲリラの拠点深く進出している」と述べている。こうした報告は、コロンビア内戦を検討する多くの報道でおなじみのものである。しかしながら、今この記事を書いている私は、コロンビア南部から最近戻ったばかりだが、現地の現実は主流派メディアが描き出すものとはずいぶん違っていることを発見した。

実際に起きているのは、ゲリラに対する戦争でもゲリラの破壊でもなく、コロンビア国家がコロンビア南部で実際に起きていることを隠蔽しようとする情報操作キャンペーンである。実際にはコロンビア南部では、FARC−EPの領土と支持基盤そして戦闘員数は拡大している。

コロンビア軍と米軍部隊がFARC−EPを打倒するのに成功しているというニュース報道は不正確で事実の根拠が無く、客観的に見て誤っている。ジャーナリストのフィリップ・クライアンはそうした感情について、これらの報道は「右派プロパガンダ」を支持する以上のものではなく、またそうした「報道」は「逆を示す証拠」を無視しているとおおっぴらに語っている。クライアンはコロンビアで最も信頼されている軍事評論家の一人アルフレド・ランヘルの言葉を引用している。ランヘルによると、FARC−EPは「攻撃の活力がとぎれるまで時間稼ぎをしているだけである」。ランヘルはまた、「FARCが進めているような戦争の性格を見失わないようにすることが重要である」と警告している。「この種の戦争は軍とあからさまに衝突するのではなく、軍を消耗させようとするものだ」と。

しかしながら、FARC−EPは消極戦略により単にコロンビア南部で力を保持しているだけではなく、この地域に住むカンペシノに対する軍の攻撃のいくつかを阻止する行動も取っている。農民とFARC−EPの緊密な関係は過去40年間継続しており、コロンビア地方部の多くではっきりと目に付く。しかしながら、プラン・パトリオタの開始以来、FARC−EPの地方農民との同盟関係をめぐる目に付く社会地理的性格は一部変化した。この変化の理由は、プラン・パトリオタの攻撃がゲリラだけでなく民間人の支持基盤をも標的としているという事実による。

プラン・パトリオタは開始以来、非戦闘員の犠牲者、移送、死をもたらしてきた。プラン・パトリオタ初期の段階で、元米軍南方軍司令官のジェームズ・ヒル将軍は、この作戦は「地元の農夫たちがFARCを支持している地方部への攻撃をもって」始まったと語っている。この宣言は、プラン・パトリオタの開始を宣言しただけでなく、その戦略がコロンビアで社会政治的変化の必要性を支持する人々を標的とするものであることを示している。このことは、ガーディアン紙をはじめとする様々な新聞の記事からも裏が取れる。ガーディアン紙は、コロンビア国軍は、コロンビア南部で「数十の襲撃捜査を行い」、反逆や殺害ではなく「ゲリラに食料や支持を提供したとの疑い」により人々を「拘束した」と報じている。

それへの対応として、FARC−EPは、ジャーナリストのキム・オウセゴが言うように「霧のように山やジャングルに散開」する手段を用いた。それによりゲリラはカンペシノと先住民の支持者に対する圧力の一部を除去することができた。この戦略の背後にある理由は、米軍とコロンビア軍が標的とするコミュニティにゲリラが一人もいないようにすることで地元住民を守ることにあった。コロンビア軍は非戦闘員に対する人権侵害について恐ろしい記録を有しているため、FARC−EPは、FARC−EPの地域に住む人々に向けられた暴力の規模を減ずるねらいで目に見えたプレゼンスを制限することに決めたのである。

しかしながら、この戦略はFARC−EPがプラン・パトリオタに消極的にしか対応していないことを意味しない。ジェームズ・ペトラスとヘンリー・ベルトマイヤーの言葉を借りると、FARC−EPは今も、コロンビアにおける米国の政治経済的支配に対して「最も強力」で「最も強い政治=軍事的脅威」となっているのである。ペトラスとミカエル・ブレシアが私的したように、FARC−EPは「ネオリベラル政府とそれを後押しする米国に対して世界で最も強力で成功しているゲリラ部隊」である。また、ウィリアム・フィッシャーとトマス・ポーニアは、FARC−EPは「帝国主義に反対する南米で最も重要な軍事的・政治的勢力である」と述べている。これらの言葉は、FARC−EPが米国とコロンビア支配階級の経済的利益にとって大きな脅威となっていることを明示している。

プラン・パトリオタによりFARC−EPの脅威がなくなったわけではない。実際、反対に、FARC−EPの力は増大している。2002年から2004年の間に、FARCは900会の攻撃を行なっている。その前の4年間に行なった攻撃は907回である。コロンビア軍と国家が後押しする順軍組織はコロンビア南部諸州の州境をほぼブロックしてきたが、FARC−EPはこれら地域内部で支配を拡大している。ある地方コミュニティ住民によると、2003年12月だけで、FARC−EPは一市区あたり新規訓練戦闘員平均100人の増強を行なっているという。この異例のリクルート率は過去にゲリラが行った拡大率を上回っている。1979年、FARC−EPのプレゼンスはコロンビア市区の10%以下だった。2003年までにゲリラはコロンビアに1000以上ある市区のすべてに活動を広げた。

米国政府とコロンビア政府はプラン・パトリオタがうまくいっているという印象を創り出そうと必死である。けれども、証拠を検討すればレトリックには根拠がないことがわかり、ゲリラ運動が拡大していることがわかる。

ジェームズ・J・ブリテンはカナダのニュー・ブランズウィック大学の博士号キャンディデートで講師。ラテンアメリカにおける革命運動と社会運動、現在の地政学的状況の中での古典的マルクス主義の妥当性、国際開発と社会変化の別のあり方に研究関心を持っている。


この記事は、最近ではめずらしく、心情的にもFARCよりの記事です。FARCは様々なブロックにわかれているため、接する地域によって評価が大きく異なったりします。「単なるギャングに堕した」という評価から、「今でも社会改革のアジェンダを維持している」という評価まで。

2月8日付ワシントン・ポスト紙はインドネシア軍と米軍の関係について、米軍によるアチェでの救援活動によりインドネシアの反米感情が緩和されたとし、これにより、両国軍事関係の全面再開の是非が再び問われることになったと報じています。概略、次のような議論。
インドネシアでは改革が進むにつれ(ママ)、軍へのシビリアンコントロールも強まってきている(ママ)。ユドヨノ大統領(軍出身者!)はヨーロッパでGAMとの和平交渉を再開し、ユウォノ国防相は「軍をより民主的にするため、多くの将兵を米国での訓練に派遣することが必要」と述べている(米軍の訓練や援助はインドネシアでも中米諸国でも、最悪の人権侵害と密接に結びついています)。米国としては人権侵害を犯しながら不処罰のままとなっている軍を支援することに何ら関心はないが、こうした民主的指導者らの要請を拒否することはよい結果をもたらさない(ファルージャで数千人を殺害し拷問や強姦を体系的に続けているのは米軍だったはずですが)。インドネシアがこうした動きを続ける限り、議会としては訓練への制約を解除すべきであろう。
その間、アチェでは相変わらずインドネシア軍による殺人・失踪・超法規的処刑が続いています。2月11日にも、エカワティ・アッバス(21歳)が超法規的に処刑されたとのニュースが入ってきました。

アチェの状況については、インドネシア民主化支援ネットワークをご覧下さい。現地と連絡を取って、最新の情報がアップされています。

ビルマ市民フォーラムが、ビルマ人難民の難民認定をめぐって署名を集めています。2月22日締切です(ビルマの人は数字の並ぶのが好きだと昔ビルマ民主化に関わっていたビルマ人女性から聞いたことがあります)。詳細はビルマ市民フォーラムのHPから「最新のお知らせ」をクリックして下さい。
益岡賢 2005年2月12日

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