カリで労働組合が標的に

ナータン・アイゼンシュタット
2004年4月26日
コロンビア・ジャーナル原文


4月14日、カリについた直後、私はガブリエルと一緒に素敵なキャンパスの大木の下に置かれたベンチに座っていた。ガブリエルはコロンビア大学労働者組合(シントラウニコ)の組合員である。家に乗せていってもらう車を待ちながら私たちが将来の話をしていたとき、ガブリエルの同僚が、ラウル・ペレア・スニガが撃たれたと知らせてくれた。彼の体に穴を開けた13発の弾丸は、彼の兄を狙ったものだった。とはいえ、無差別な性格で知られる弾丸というものにより、彼はいずれにせよ殺された。彼の兄デオガル・ペレアも攻撃で負傷した。エドガルはユムボの金属労働者組合シントラメンタル・ユムボの副委員長だった。

その翌日、カリでは、41歳のカルロス・アルベルト・チカイサも射殺された。彼は諸サービス労働者組合(シントラエムシルバ)の執行部だった。彼は市サービス会社に16年勤める間、委員長、副委員長、渉外書記を勤め、政府による私営化に激しく反対していた。

4月17日、朝食を食べたあと、インターネットを使うために労働組合の事務所に向かっていたとき、大規模なデモに参加する制服労働者たちが大きな市の清掃車で交通を麻痺させているところに出くわした。組合事務所に近づくと、多くのトラックに花束が付けられていることに気付いた。建物の中にはさらに花があり、ロビー近くの部屋の裏に小さな一団が集まっていた。近寄ると、一団の真ん中に置かれた蓋のない木箱に向かって一人の男が絶望で叫び声をあげていた。木箱には、ラウル・ペレア・スニガの遺体が入っていた。

何が行われているのかそのときまで気付かなかったことに呆然としたことおまり、また、ぞっとする現実が薄い皮の下、すぐそばにあることにショックを受けて、私は座り込んだ。しばらくたって、私は建物を出て、隣の家のバルコニーから行列を見た。追悼に来た人々を一杯に乗せて100台ものトラックやバスが見渡す限りに広まっていた。どの車も花が飾られ、通り過ぎるときにクラクションを鳴らした。近くの道は混乱状態で、警察が窓辺の蠅のように無意味に行ったり来たりしていた。同僚に向けて労働者たちがこれほどまでの連帯デモを行う場面は、感動的だった。同時に、この悲しい状況が世界に伝わらずに続いていることには狼狽せざるをえなかった。柩が道に担ぎ出されたとき、群衆は、悼みというよりも断固とした口調で叫んだ:「何故だ?どうしてだ?どうして奴らは我々を暗殺するんだ?我々はラテンアメリカの希望なのに」。

墓地へ向かう行列の末尾に最後のバスが続いたあと、私はタクシーに乗って町の工業地帯にある目立たない場所に向かった。そこで行われているCUT(コロンビア中央労働組合連合)の発足20周年記念に出席するためである。式典は屋外で行われ、人々に行動を呼びかける力強い感動的な演説と、情報を伝えるもっと抑えた演説、公共サービスや労働者への人権侵害をめぐるフィルムなどがあり、また、巨大な二つのシチュー釜、ライス、ビール、音楽と踊りで溢れていた。多くの悲劇にもかかわらず、人々が集まり、こんな風にしているのを見るのは刺激的だった。雰囲気はシリアスであると同時に陽気で、厳粛かつ楽しいものだった。コロンビアという国を特徴付けるコントラストである。

ナータン・アイゼンシュタットは、ブリストル大学の政治学専攻学生で活動家。「ピープル・アンド・プラネット・オーガニゼーション」の共同代表で、ブリストル反戦運動の活動家。現在コロンビアにいて、ブログを書いている:http://quevean.blogspot.com/。


久しぶりにコロンビアの記事です。人の尊厳を求めて生きるために、労働組合活動や人権活動をする場合、コロンビアはますます危険な場所になってきています。とりわけ、米国のお気に入り、ウリベ大統領の「対テロ戦争」のおかげもあって。世界中で殺される労働組合活動家の5人に3人が、コロンビアで殺されている状況です。

コカコーラの子会社で殺された労働者をめぐり、米国の国際労働者権利基金が米国で訴訟を起こしていましたが、いったんはコカコーラ社の責任は却下されたものの、再び、コカコーラ社の責任を問う訴訟が持ち上がりました。
益岡賢 2004年4月27日

一つ上] [コロンビア・ページ] [トップ・ページ