テリー・ギブス&ギャリー・リーチ
2003年9月15日
コロンビア・ジャーナル原文
アトラト川の泥でできた岸辺を見やりながら、マカリアは、めった切りにされた体、燃え上がる炎、死にかけた子供たちの泣き声についての悪夢を話した。暗闇から彼女に向けて差し出された手を懸命に掴もうとして、彼女は、沈黙の中に目覚める。マカリアは、この数カ月、1年以上前にチョコの小さなアフリカ系コロンビア人コミュニティを襲った悲劇と折り合いを付けようと、国連の支援をうけた心理学者と働いている。ベジャビスタは、軍・準軍組織の検問を通ってアトラト川を船で4時間下ったところにある。この遠く離れた町に近い川岸に近づいても、そんなに膨大な犠牲と苦痛がこの地で起きたことを信じることは難しい。バナナやパイナップル、サトウキビや様々な荷物を積んだ丸木舟が土のままの船着き場のスペースを争っており、活発なやりとりが、指示を出し合う人々の間で取り交わされている。軍が戦略的に川岸に張り出した大きなポスターには次のように書かれている:「2002年5月2日、FARCはこの地で119人の人を殺した。我々は決して忘れない」。実際より大きい男の子の顔が言葉の横から見つめている。襲撃後に放棄した家にベジャビスタの住民が戻ってからほぼ1年近くが経った今、コミュニティの人々は、いまだに、あの運命の日に何が起きたのかを消化しようとしている。
2002年5月2日の悲劇は、400人の右派準軍組織がアトラト川を上って、チョコ州のベジャビスタと隣のビヒア・デル・フエルテに来たことから始まった。準軍組織は、ゲリラが支配する領域の目的地からたった4時間下流にあるリオスシオの軍検問所を、何の邪魔もなしに通ってきた。2002年4月21日、準軍組織がベジャビスタに到着したとき、市長代理と現地の司祭はすぐさま地方行政当局と中央政府に、コミュニティが直面している差し迫った危機について報告したが、何に効果もなかった。その10日後の5月1日、左派のコロンビア革命軍(FARC)がベジャビスタとビヒア・デル・フエルテから準軍組織を追い出そうとして、戦闘が始まった。攻撃は夜を越えて翌日まで続いた。戦闘に巻き込まれないように、何百人ものベジャビスタ住人が北地区から逃げ出して町の中心にある小さな教会に避難した。
マカリアは、その悲劇の日、友人や親戚がお互いに身を寄せて冷静さを保とうとし、戦争が終わったら状況はどうなるだろうと抑えた声で話していたことを思い出す。教会の隣にキャンプを設営した準軍組織が、FARCのシリンダー爆弾が狙った標的だった。教会の屋根を突き破って、金属やセメント、釘などの破片を搭載した目標を逸れた爆弾が、人体や壁を切り刻んだ。「爆音を聞いたとき、私は床に身を投げ出して、私の小さな女の子に覆い被さり、そのままでいた。起きあがろうとしたときに、息が詰まった。見回した周りは、硫黄の臭いがした。具合が悪くなるような臭いだった。あたり全体が暗く、煙だらけだった」とマカリアは語った。
爆弾の破片により足と背骨を怪我して歩けなかったマカリアは、天井と壁を見つめながら床に寝ていた。そこには、体の色々な破片がへばりついていた。他のけが人と共に、長い夜を祈り続けたことを彼女は覚えている。夜明けが来たとき、「子供たちの何人かは死に始めた。子供たちは助けを求めていたが、私は助けることができなかった」。町の人口の10%近くが、この日、命を失った。
国連の支援を受けた心理学者カルロス・アルトゥーロは、5月2日の直後に、ベジャビスタに移り住んだ。生存者の「心理的回復」のプロセスを支援するためである。彼によると、コミュニティは1996年以来、暴力の中に置かれていたが、5月2日のような規模のものは経験したことがなかった。アルトゥーロは、教会で殺された妊婦の恐ろしい運命について述べている:「シリンダー爆弾が爆発したとき、胎児が壁にへばりついてしまったのを発見した」。生存者にとって、これほどおぞましいイメージの記憶を抱えて生きていくことは、容易ではない。この悲劇でコミュニティの多くの男たちが家族全員を失い、その結果、苦痛を鎮めるためにアルコールに手を出す者もいる。けれども、アタウロによると、「酔っぱらうと、自分の気持ちがわかってしまう。ある男性は妻と6人の子供を失ったので酔っぱらうが、そのとき、同時に涙を流しながら笑い、踊る」。
アルトゥーロはまた、5月2日の出来事の生存者の中には多くの「病理」があるという。最も目立つのは、攻撃的振舞いで、とくに子供の間では寛容のレベルが非常に低い。多くの生存者が外傷後ストレス障害を抱え、不安や恐怖、睡眠障害、生きる願望の喪失を経験している。女性の中にはオーガズムを感じるのが難しくなった者もおり、生存者の4人が自殺した。
一方で、成功例もある。マカリアの場合、アルトゥーロによると、彼女は、「小さな子供の世話をしながら死体の中で毎晩寝なくてはならないという状況だった。けれども、今、マカリアは自分の経験を積極的に理解している。新しい問題に対して、彼女は、『私はそれよりも大きな問題を既に経験した』と言うことができる」。マカリアは、アルトゥーロがいつも彼女の世話をしてそこにいたと言う。とりわけ、記憶が彼女の元に亡霊のように現れるときに。「いつもそこにあるものがある。亡霊のようなもの。いなくなるときもあるけれども、生きたまま戻ってくるときがある。私はそれを乗り越えようとした。この亡霊が私のところにやってくるとき、私はいつも、誰か話しかける人を捜す〔・・・・・・〕私は孤独が好きではない。というのも、一人のときには、亡霊が私の心に戻ってきやすいから」。
1年以上、66歳のロサリア・ランドはめまいの発作に悩まされ、ときにベッドから出るのが困難だった。ロサリアは5月2日、教会にはいなかった。彼女は、プエブロ・ヌエボ地区の自宅---支柱の上に立てられた木造の小屋---にいた。そこは、教会とゲリラがシリンダー爆弾を発射したところの間にあった。ゲリラの爆弾の2つは標的の準軍組織に届かず、プエブロ・ヌエボの家の上に落下した。標的を逸れた爆弾の一つが隣家を破壊した際、ロサリアの家もひどくダメージを受けた。息子が彼女に何かが起きたのではと気付いてビヒア・デル・フエルテからアタウロ川を泳いで助けに来るまで、彼女は倒壊した壁の下に閉じこめられていた。ロサリアによると、「彼は板を引き剥がし始めた。板をいくつも取り除いて、ようやく私を動けるようにした。それから、彼は私を舟に乗せた」。
この惨劇後もコミュニティに残った少数の「抵抗者」たちのグループ以外は、1400人からなるベジャビスタの住人のほとんどは4時間川を遡ったところにある州都キブドに避難した。4カ月後、600人が帰還して生活を再建し始めた。アルトゥーロは、既にこの悲劇と移送の苦難でトラウマを負ったコミュニエィ・メンバーの中には、戻ってきて、兵士たちが自分たちの家を掠奪してしまったのを発見したと言う。軍はまた、戦闘が始まる10日前に、準軍組織が進出してきたことを警告されてから、コミュニティを保護しなかったことで批判を受けている。
ベジャビスタの市長代理マヌエル・コラレスは、準軍組織の到着について次のように述べる:「彼らは、我々を攻撃しに来たのではないと言った。以前、首を切り取り腹を切り開いたときのように人々を殺しはしないと。自分たちは、ゲリラと戦ってコミュニティからゲリラを追い出すために来たと述べた」。ゲリラと準軍組織の戦闘に現地のコミュニティが巻き込まれることは必至であると知ったコラレスは、コミュニティに重大な危機が迫っていることを州当局と中央政府当局に通達したが、「政府も州も軍も何もしなかった」。
第四旅団の第12歩兵部隊が、4時間川を上ったキブドに駐屯していたにもかかわらず、政府軍がベジャビスタに来たのは戦闘が終わってから6日後のことであった。さらに、軍が到着してからさらに2週間、準軍組織は町に留まっていた。国連のコロンビア人権使節が発表した報告は、町に準軍組織が居続けたことを軍が無視したとして軍を批判している。コラレスも、国連の報告にさらなる確認を与えている。彼は、教会爆破の後、「準軍組織はここに約20日間留まった。それから、準軍組織の舟が何隻かあらわれ、彼らを連れていった。けが人も一緒に」と述べている。
コラレスは、準軍組織進出に軍が対応しなかったことを批判しているが、悲劇の第一の責任はFARCにあると述べている。「シリンダー爆弾が不正確なのははっきりしている。FARCは人々を危険に晒していると知っていた。人々は、FARCが教会に人々がいたことを知っていたと確信している」。結局、政府の無視と軍の無関心、準軍組織の挑発とゲリラの残忍さのすべてが、この悲劇を作り出したのである。
2003年7月、コロンビア検察庁の調査官が、3名の軍上級士官---第一部隊司令官レオネル・ゴメス少将、第四旅団司令官マリオ・モントヤ准将、第12歩兵部隊司令官オルランド・プリド中佐---への告訴状を取りまとめた。文民を効果的に保護しなかったことで、100人以上の人々の死をもたらしたという罪である。けれども、これら士官たちに対する刑事告訴を公式に行うことができるのは、検事総長だけである。ベジャビスタを含む中部アトラト地域の治安に直接責任を持つ第12歩兵部隊のプリド中佐は、準軍組織と共謀してきた経歴を持っている。今年2003年の上旬、彼は、1998年にゲリラの協力者と疑われた5人の市民の虐殺を命じたことで告発された。軍と準軍組織合同の「死の部隊」がこの殺害を実行した。
警察は2003年上旬に、ベジャビスタとビヒア・デル・フエルテに戻ってきた。2000年3月、ゲリラの攻撃後、政府により撤退させられて以来であった。この攻撃で、FARCのシリンダー爆弾は、ビヒア・デル・フエルテで、警察署と教会、何件かの家を破壊し、21人の警察官と6人の文民を殺した。その一人は市長だった。同じ攻撃の中で、ゲリラの発射物により、ベジャビスタでも3人の警官が殺された。警察が撤退したあとは、FARCが地域の実質上の支配者となり、人々は遺棄されたように感じた。それから準軍組織が進出し、5月2日の悲劇が起きる。軍と警察の大規模なプレゼンスにより、ベジャビスタとビヒア・デル・フエルテの住人は、武装グループからよりよく守られていると感じているが、周辺のコミュニティは以前として脅かされている。
ベジャビスタから30分川を遡ったサン・ミグエルの住人の一人は、次のように言う。「地方部の住民は今も最も危険にさらされている。こうした地域では、いつ攻撃されても不思議ではない」。政府の人権局デフェンソリア・デル・プエブロの地方代表ウィリアム・サラサルも、地方の村人たちの恐怖を繰り返している。「ベジャビスタとビヒアの町境の内側だけが守られている。〔・・・・・・〕軍は人々の農地や土地の治安は保証していない。だから、軍がいることにより、人々の事情はいないときよりも複雑になる。というのも、町の中では一方から、外では他方からの圧力がかかるからだ」。
サン・ミグエルの人々も、2002年5月2日の事件以降、家を追われたが、4カ月後、武装グループの恐怖は日々の現実であるにもかかわらず、家に戻ってきた。コミュニティの住民たちは、以前は問題だったのはゲリラだったが、今では、準軍組織に出会う可能性も高いと述べている。ベジャビスタとビヒア・デル・フエルテに駐留している兵士たちの司令官ハビエル・パストラン大尉は、軍は、軍の舟を「こことキブドの間を常に行き来しながら」川を統制していると述べる。アトラト川に6日間いた際、この記事を書いている我々は、一度も軍の舟が川をパトロールしているのを見なかった。一方、ベジャビスタから1時間上流の場所で、準軍組織の検問に出会った。このことは、サン・ミグエルのような地方コミュニティが治安に心配していることの理由を示している。
その間、紛争は決して遠ざかったことはない中で、ベジャビスタの住民たちは5月2日の亡霊たちをふりほどこうとしている。町の外に潜んでいる武装グループを無差別に怯えさせるために、夜空に向けて銃を発射するという軍の作戦により、記憶がいつも呼び起こされる。アルトゥーロによると、この戦術の問題は、民間人も恐怖に陥れることにある。彼は地方の軍司令官に、夜間の発砲を止めるよう話したが、無駄だった。
戦闘の際5人が殺された隣のビヒア・デル・フエルテでは、コミュニティの若者二人が、生活に浸透した暴力と折り合いを付ける方法を見つけだした。コミュニティの床屋として使われている一部屋からなる木造の小屋からは、22歳のヤツマンと21歳のロカマンが作ったラップ・ミュージックの音が聞こえる。この二人の床屋は、「ブラック・パワー」という名のデュオを結成した。二人の歌は、通常の若者の不安と紛争だらけのチョコで育つことの困難を歌っている。「ノ・モア・バイオレンス」という歌の中で、二人は5月2日の出来事を次のように示している。
ほとんどが教会に避難した
死すべき運命にあった教会に
ミサイルが発射され
教会の上に落下したとき
この平和な場所で、沢山の
人々が命を落とした
死んだ人は皆罪のない人だった
この問題とは
何の関係もない
ノ・モア・バイオレンス、ノ・ノ
この地域で
暴力について聞きたくはない、ノ・ノ
暴力のために
多くの人が死ぬだろう
我々が皆兄弟ならば
こんな罪は犯さないだろう
我々の国は
手に負えなくなっているから
マカリアはと言えば、自分の悪魔と闘い続けている:「私は家族のために闘っている。やるべきことだと思う。それが、この亡霊と闘う理由だ」。けれども、一生傷を負い続けることを知っている彼女は、それが容易でないことに気付いている:「悪夢から目覚めて300以上の体の破片がそこら中にへばりついているのを目にしたら、どう感じるだろうか?壁、天井、そして自分の上にも」。川辺に座って彼女の夫が足を引きずりながら歩いていくのを見て、マカリアは、友人が誤って夫を撃ってしまい夫は片足が不自由になったと語った。肩をすくめながら、彼女は当然のように言った。「一つを逃れたと思ったら、別の災難」。
テリー・ギブスは北米ラテンアメリカ評議会(NACLA)の代表。ギャリー・リーチはコロンビア・ジャーナルの編集者。この記事は、コロンビアのチョコ地方に関する3部からなる報告の第1部である。
米国はコロンビアとの間でICCを巡り、米兵の戦争犯罪を免責する協定を結びました。また、コロンビア政府は、お仲間の準軍組織との「和平交渉」の後、準軍組織の人権侵害者たちを免責すると述べ、人権団体等の批判を浴びています。最大のゲリラ組織FARCはといえば、場所によって違いますが、社会政策をますます放棄して暴力に走っています。個別の因果関係をきちんと見ずに、「犠牲になるのはいつも普通の市民だ」というのは認識への意思を放棄することにつながるので、滅多に口にしないのですが、コロンビアの状況を見ていると、犠牲になるのはいつも普通の市民で、準軍組織やFARCの兵士も、もともと多くが貧しくて武装集団に参加したということを考えると、やりきれない気持になります。米国は、このコロンビアに、大規模な軍事援助を提供し続けています。使い捨て兵士同士の戦いは、多国籍企業の利益になる限り全くOKという図式は、イラク侵略と占領に全体としては似通っています。小泉首相も自衛隊をイラクに派遣したくてたまらない様子ですが。