米軍顧問官の助言を受けた3000人以上のコロンビア軍兵士たちが、コロンビア南部のカクエタの密林地帯に派遣され、捜索を行っている。2003年2月13日、この地域で米国国防省の下請けが操縦する小さな飛行機が撃墜されたときに生き残った3名を救うためである。墜落の直後に左派ゲリラに連れ去られた3名を捜し出すために行われている、この「捜索救出ミッション」は、今のところ何の結果も生みだしていない。2週間前、コロンビアの米国大使館が経営する新聞とラジオとに、広告が掲載された。ゲリラに拘束された下請けの救出につながる情報を提供した人には、米国のビザと米国での新生活、そして34万5000ドルを提供するというものである。失業と戦争に疲弊したコロンビアでは、いつも通り、潤沢な賞金により、情報を買うことができるというわけである。しかしながら、この間、ワシントンとボゴタは、3名の米国下請けを救出できなかったばかりではない。2月13日以来、今日までに、4名の米国下請けが殺されたのである。
2月13日、米国国務省下請けのセスナが墜落着陸した後、5名の乗組員とコロンビア革命軍(FARC)との間に戦闘があったと思われている。乗組員のうち2名 −米国の下請けとコロンビア軍軍曹− は、墜落現場の近くで射殺された。射殺された1名と拘束された3名、合計4名の米国人は、カリフォルニア・マイクロウェーブ・システムズという軍事私企業の職員である。この会社は、コロンビアでの仕事を国防省と契約しているノースロップ・グルマン社の一部門である。
この数週間の間に、コロンビア南部で、さらに2機の米国の飛行機が墜落し、国務省の下請け米国人の死者は5人となった。これらの飛行機のうち一機は捜索救出ミッションに参加していたもので、やはりカクエタのジャングルで墜落し、乗組員である3名の米国人が死亡した。米国人の5人目の死者は、先週、コロンビア南部のナリニョ州で麻薬撲滅薬剤散布を行っていた飛行機が墜落したときに出た。この墜落も、ゲリラの発砲によるものである可能性がある。
3月に、米国の政治問題担当国務次官補マーク・グロスマンと、ラテンアメリカでの米軍作戦司令官であるジェームズ・T・ヒル将軍が、ボゴタで、アレバロ・ウリベ大統領と面会した。グロスマンは、救出作戦の中で、米軍兵士が戦闘に参加する可能性を除外はしないと述べたが、それと同時に、注意深く、「そうすると決めるには、時期尚早である」と付け加えた。一方、FARCの指導者ラウル・レイェスは、コロンビアのメディアを通して声明を発表した。拘束された米国人を救出しようとするならば、銃撃戦の中で、これら米国人の囚人が殺される可能性があるというものであった。
コロンビアでの戦闘に米軍兵士が直接参加する可能性、そして米国国務省の契約業者職員が拘束されたことにより、パンドラの箱が開いてしまった。現在コロンビア軍が米軍と進めている救出作戦が終わったとしても −そして終わるかどうかもわからないが− これを閉じるのは難しい。2月下旬、米軍特殊部隊兵士49名が「捜査救出ミッション」を支援するためにコロンビアに到着したとき、あるFARC司令官が山から降りてきて、珍しくも、インタビューに答えた。
エル・パストルアラペ、「羊飼い」として知られる、FARCマグダレナ・メディオ・ブロック司令官は、迷彩服を着てプラスチック製のラウンジ・チェアに腰掛けていた。綿のスカーフで蚊を打ちながら、彼はこう言った。「コロンビアに対するある種の直接介入を開始する前に、米国政府は帰結を検討したに違いない」。
パストル・アラペがここで言っている帰結とは、最初に殺された米国人契約業者職員一人と拘束された3名のことを指していた。「我々が受けている指令は、我々の武器の射程範囲内に入った飛行機は全て撃てというものだ」とパストル・アラペは言った。彼は、事故現場から遙か離れたコロンビア北部の1500人からなるFARC部隊の司令官である。「あの飛行機に乗っていた軍人たちは、諜報目的だったということだけは言える。我々は、証拠として、武器と諜報文書を押収した。休暇で来ていたわけではない」。
2月21日に発表した最初のコミュニケの中で、FARCは、拘束した3名の米軍契約業者職員は「対ゲリラのスパイ・ミッション」を行っていると発表し、この3名の安全は、この地域で軍が軍事作戦を中止することにかかっていると述べた。第二のコミュニケで、FARCは、この3名を戦争捕虜と宣言し、コロンビア政府との捕虜交換で、投獄されているゲリラを釈放するならば、3名も釈放すると発表した。現在、FARCは、23名の著名な政治家と40名のコロンビア軍兵士および警察を拘束しており、3000名近い投獄されているゲリラとの交換を望んでいるのである。
米国政府は、囚人の交換はコロンビア政府が決めることであると述べたが、同時に、すぐに、「捜査救出ミッション」のために、150名の米軍特殊部隊兵士を派遣すると発表した。FARCは、捕虜の釈放を巡って米国と交渉はしないと述べ、米国政府はゲリラとの交渉に関心はないと述べた。
コロンビアにおける米国の軍事関与に関する専門家であり、ワシントンにある国際政策センターの研究員でもあるアダム・イサクソンは、今回の拘束は孤立した事件ではあるが、「不可避的なものでもあり、そして、長いこと、恐れていたことでもあった」と述べている。イサクソンはまた、現在コロンビアに駐留している米国兵士の数にも驚いているという。捜査救出ミッションを支援するためにコロンビアに到着した49名は、コロンビアに過去6カ月に駐在した米軍兵士の数を50%近く増加させたことになる。1月には、米軍特殊部隊兵士70人が、カニョ・リモン石油パイプラインの防衛の任にあたるコロンビア軍兵士に対ゲリラ訓練を与えるためにコロンビア東部に派遣された(サラベナの攻防を参照)。そして、2月には、さらに100人の米軍兵士が、プラン・コロンビアの一部としてコロンビアに到着したのである。
2002年、ブッシュ政権の緊急「対テロ」法案により、コロンビアに対する全ての米国軍事援助を対ゲリラ作戦に使えることになった。2002年11月には、ブッシュが国家安全保障令18号に署名し、コロンビアとの諜報共有を拡大した。
コロンビアに対する軍事介入エスカレーションの危険を避けるため、米国議会は、コロンビアに駐留可能な米軍兵士の数を400人、国防省の契約企業職員[傭兵]を400人と制限した。けれども、最近派遣された49名の米軍兵士により、コロンビア駐留米軍兵士は合計で411人となった。「今回が49名だったとすると、飛行機が墜落したときに、既にコロンビアには362人の米兵がいたことになる。それは、我々がこれまで耳にしていた人数を超えている」と、コロンビアに関する議会の報告をモニターしているイサクソンは述べた。「ブッシュ政権がこれまで報告していた数よりも、約100人多い」。
けれども、パトリック・リーヒー上院議員の海外問題補佐であるティム・リーサーは、捜査救出ミッションは対象外なので、兵士上限は問題ではないと言う。「アメリカ人がさらに誘拐されたり殺されたりする危険はある。それは知られている。この飛行機事件がコロンビアにおける米国の役割拡大を意味しているかどうかについて、我々はそうは思わない。飛行は新しいことではないからだ。けれども、米国がコロンビアの戦争にますます深く関わっていることについては、疑問の余地はない」。
これに同意する人は多い。コロンビアの難しい地形と、FARCは侮りがたい軍事勢力であるという事実。この二つの理由により、多くの人々が、コロンビアでの米国介入のエスカレートは、コロンビアのベトナム化の始まりであると言っている。コロンビアの全国日刊紙エル・ティエンポで、軍事アナリストのアルフレド・ランヘルは、米国兵士の数が増加しFARCとの接触が増えると、状況はベトナムのように、あるいはフィリピンのようになる可能性があると言う。フランシスコ・サントス副大統領は、コロンビアにおける米軍顧問駐留の増加は、侵略ではないので、ベトナムとは全く違うと反論している。
ロス・アンデス国立大学の国際関係学教授で20年近くコロンビアに住んでいる米国人でもあるアレレネ・ピクネルは、今回の3名の拘束とそれに対する救出ミッションは、コロンビアの武力紛争に対する米国の関与のレベルと規模における重大なターニング・ポイントであると言う。「この新段階で、米軍兵士の戦闘に対する直接参加の扉が開かれた。米軍兵士が戦闘に直接参加するならば、犠牲者がさらに増加するのは全く明らかである」。
1999年以来、米国は、コロンビア軍と警察に、1日あたり200万ドル近くを費やしてきた。国際政策センターによると、過去5年間のコロンビアに対する米国の援助は合計で26億9000万ドルであり、そのうち81%が軍と警察に提供されている。
FARCのパストル・アラペ司令官は、米軍のコロンビア介入がエスカレートし続けるならば、米国に対する政治的帰結は厳しいものになるだろうと言う。「帰結というとき、私が言っているのは、米国の民間人ではない。そうではない。私が話しているのは、コロンビアで戦争行為が行われたときに米国にもたらす苦痛だ」。「戦闘のためにコロンビアのジャングルに来る米国の若者たち。これらの者たちが帰結となろう」。
ニコレ・アラナ・カルシンは、現在コロンビアで活動する独立ジャーナリスト。