ウリベの専制支配は石油企業におあつらえ

シモン・ヘルウェグ=ラーセン
2002年10月21日
コロンビア・ジャーナル原文


2002年8月7日、アレヴァロ・ウリベ大統領就任式典を、迫撃砲が攻撃したことは、コロンビア内戦の新たな段階を象徴していた。ウリベにとって大きな意味を持つこの日、首都を警護していた2万人からなるコロンビア兵と警察の部隊の目を逃れ、そして米国が提供したヘリコプターとレーダー・ジェットの目をかいくぐり、コロンビア革命軍(FARC)は、19発の120ミリ砲弾を発射し、大統領宮近くの21名を殺害した。ウリベは、就任後、米国の軍事援助を用いて、左派ゲリラ・グループを標的とするだけでなく、コロンビアで活動する米国石油企業の利益防衛も行っている。

ウリベは、和平交渉が失敗に終わり、武装対立が急激にエスカレートする中で、権力の座に就いた。投票したコロンビア人の多数(とはいえ有権者の4分の1以下)は、コロンビアの不法武装組織に対する軍事作戦を率いるため、アンティオキア州の元州知事であるウリベを選んだのである。多くのコロンビア人が、戦争を再び激化させることにより平和を求めるという不合理なウリベの考えを支持したかも知れないが、そうした人々すら、ウリベが政権の座についてから最初の数週間に行った、極端な手段を予測していたとはいいがたい。ウリベは、8月12日に、90日間の「社会動揺事態」を宣言し、それにより、この期間、緊急軍事支配と自らが大統領令を発する権力を許容した。

ウリベは、9月10日に、最初の軍令を発布した。これは、「社会復帰・統合地帯」(Zones of Rehabilitation and Consolidation)を作り出し、既存の地方行政にかわって軍による直接支配を実現し、軍当局が令状なしに、逮捕や家宅捜索を行えるようにするものであった。コロンビア法律家協会(Colombian Commission of Jurists)の会長グスタボ・ガジョンは、こうした逮捕は、政府軍が、一般市民を自宅で標的にできるようするものであり、政府がこれまでにも実行していた路上での脅迫と弾圧という暴力的手段を、さらに強化するものであると述べる。「現政権が、すべての街角に容疑者がいると考えているのは明白だ」とガジョンは言う。「すべての人権活動家、労働組合指導者、ジャーナリストを、ゲリラ協力者かもしれないと見ている」。大統領令は、市民の拘留を合法化しただけでなく、コロンビア国内における人権活動家やジャーナリストの移動を監視ししばしば禁止することにより、外国人の移動も制限している。

この軍事支配拡大とともに、大規模な経済改革が行われている。軍の拡大資金を得るため、ウリベは、国家財政のかなりを、軍事支出に利用するよう解放した。たとえば、この一環として、公共部門の給与をすべて3割削減する大統領令が発布された。また、終夜勤務と残業の賃金引き下げ、退職年齢の引き上げを提案した。これらにより行われている、ウリベの、労働者や人権活動家、市民、外国人に対する攻撃と、軍事予算の増大は、国際金融機関や投資家の利益に奉仕し、米州自由貿易地域(FTAA)の実施に必要な経済状況を作り出し、海外企業の支配下にある油田やガス田を防衛するものである。

石油の追求は、コロンビアではびこる暴力の中心的要因である。コロンビアは、米国への石油提供国の第7位に位置し、石油生産増大可能性は大きい。1980年には1日10万バレルだった石油生産が1999年には84万4千バレルに急増したが、それでも、開発されている地域は、コロンビアの石油埋蔵地域の20パーセントなのである。1997年、中東からの石油供給への依存度を減らすため、クリントン大統領は、石油の主要資源としてコロンビアとベネスエラに焦点を当てる政策転換を行った。

けれども、コロンビアでの石油搾掘を安定させるためには、武装ゲリラや先住民コミュニティ、自営農民を、現在及び将来の油田やガス田から一層しなくてはならない。いくつかの地域で天然資源開発の歯止めとなっている自営農民やコロンビア先住民は、テロと虐殺作戦によって、容易に追放することができる。実際、最近こうした作戦が行われ、2001年には、1日平均1029名の人々が、国内で自分の居住地から追放されたが、その大部分は、石油やガスが埋蔵されている地域から追放されているのである。追放は、しばしば、殺害によって達成される。コロンビアでの政治的暗殺は1日15件であり、犠牲者は、主に、労働組合員や人権活動家である。

一方、ゲリラ・グループは、石油産業に直接挑戦状を突きつけている。石油投資家による開発を防止し、コロンビア政府の経済的安定を妨害するための作戦として、ゲリラ−特に民族解放軍(ELN)−は、継続的に石油パイプラインを爆破し、石油企業の重役や職員を誘拐している。頻繁に標的とされる一つは、カニョ・リモン=コヴェニャス・パイプラインである。このパイプラインは、カリフォルニアを本社とするオクシデンタル移籍湯のために、年間3500万バレルの石油を運んでいる。1982年から1999年の間に、ゲリラは、オクシデンタル石油のパイプラインを586回攻撃し、160万バレルの石油が漏れだした。2001年に、パイプラインは170回攻撃され、7ヶ月にわたって石油運搬が停止された。

大学教授で平和を提唱するゴンサロ・サンチェスが指摘するように、コロンビアでの暴力は、歴史的にいって、経済が最も拡大している地域で起きてきた。ブリティッシュ・ペトロリアムとオクシデンタル、エクソン、シェル、エルフ・アキタネのロビー活動が成功し、2000年に、米国クリントン政権は、ほとんど軍事援助からなる13億ドルの援助をコロンビアに与えた。提供された機材と訓練は、ゲリラが活動する、プツマヨ、カケタ、メタといった南部地域に割り当てられた。これらの地域は、鉱物資源が豊富であるばかりでなく、都合の良いことに、コロンビアでのコカイン生産の多くを行っていた。麻薬に対する戦争という見せかけのもとで、米国は、将来の搾掘を可能にすることを期待し、手が着けられていない石油資源がある地域への軍事プレゼンスを増強したのである。

2001年9月11日移行の軍事支出急増と際限のない「対テロ」作戦の中で、米国はレトリックと戦略とを変更し、オクシデンタル石油のカニョ・リモン・パイプラインの防衛にあたる、コロンビア兵1000名からなる「中枢インフラ部隊」に訓練と武器を提供するため、9400万ドルの対テロ支援を提供した。ブッシュ政権はまた、ウリベの就任直後に、コロンビア軍は、人権レコード改善に大きな努力を示したと主張し、4200万ドルの追加軍事援助を提供した。そのため、ウリベが、新たに手にした大統領令の権利を、コロンビアにおける海外石油企業をおおっぴらに保護するために用いたのは驚きではない。最初に「社会復帰・統合地帯」を宣言された2つの地帯は、オクシデンタル、シェブロン、ハルケン、レプソルが現在契約を結んでいる石油資源の豊富な地域である。

ウリベが緊急権力の利用と不正利用により、多国籍企業や諸外国政府の歓心を買っている一方、彼の経済政策と戦争エスカレート政策は、既に、バックファイアを起こしつつある。9月16日、ウリベの政策と改革に反対する最初の大きな大衆行動では、何十万人もの人々がコロンビアの路上に姿を表した。政府職員や農民、学生の努力により、首都ボゴタの大部分が機能停止し、また、コロンビア中の町で、強力な抵抗が示された。ボゴタでは、15万人の政府職員が、24時間ストライキを実施し、石油精製工場や空港、病院、法廷、学校、政府機関が閉鎖された。コロンビア中で、10万人以上の農民が、軍と準軍組織からの脅迫をはねのけ、経済改革とFTAAの実施に反対して行進した。

コロンビアの経済学者で活動家でもあるエクトル・モンドラゴンは、次のように述べる。「民衆動員の新たな波が近づいている」。そうした運動は、経済「改革」を阻止し、反民主的な軍令を撤廃させるために必要である。けれども、コロンビアの人々が支持する活動は、コロンビア国境を越えて、内戦に気づかぬままに関与している人々にも担われなくてはならない。つまり、自分たちの消費パターンと自国政府の政策に対する沈黙を通して、コロンビアでの軍事エスカレーションを暗に支持している人々が、軍事援助に終止符を打ち、米国が石油という戦争の触媒依存度を減ずるために、積極的な行動を起こして行かなくてはならないのである。


シモン・ヘルウェグ=ラーセンは、カナダ人のフリーランス著作家で、ラテン・アメリカを扱っている。長年にわたり、ラテン・アメリカに住み、働き、旅をしてきた。


  益岡賢 2002年10月22日

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