1960年の米国特殊部隊マニュアルと、軍/準軍組織共謀ガイドラインは、まったく直裁だった。「軍は、ゲリラ/テロリスト弾圧作戦において・・・第一の責任を担う」が、それにあたっては、「警察、準軍組織部隊、文民組織」の支援を利用する。マニュアルのガイドラインは、隊ゲリラ部隊の行動に関する道徳的・倫理的基準を避け、さらには、テロ手段の採用を、効果的、効率的かつ法の上位にあるものとして賞賛すらしている。ケネディの有名な言葉を使うと、それは、「自由世界の周辺で、浸食する継続的な脅威」が存在する機会をなくすためのものである。 Journal of World Affairsは、この解決を、率直に説明している:「現実に、どんなに不愉快であろうと、死の部隊は、テロリズムと革命の脅威と闘うために、極めて有効な手段なのである」。エルサルバドルが、この手段が成功した例として挙げられている:集団殺人が、「組織的テロリストの脅威を打倒するために最も重要な役割を果たした」と。ここで問題になっている「テロリストの脅威」は、簡潔に、次のように定義されている。「15000人以上の犠牲者のうち・・・ほとんど全員が左派であるか、左派活動家の親類であった」。
米国派遣部隊の規模を縮小することは、ベトナム戦争から、必要によって学んだ戦略であった。1950年代の『組織の中の人間』像が米国内でのイメージの地位を失いつつあった中、戦争と大規模な軍事支出に対する嫌悪が国内的不満を引き起こし、内部的な問題を増大させていた。ケネディの教条主義的熱意のもとで、ペンタゴンの戦略家たちは、傭兵部隊の活用を含む非政党的な戦争の公式を洗練させはじめた。けれども、ケネディが、ベトナムに順次軍事アドバイザをはじめとする人員を派遣し、その後、ジョンソンが10万から50万に兵隊を増やして戦闘をエスカレートさせたため、こうした公式を理論から実践に適用することはその時点ではできなかった。
1969年1月25日、米国防衛長官クラーク・M・クリフォードは、米国議会に対し、修正構造改革計画のようなものについて報告した:「明らかに、我々のアジアにおける集団的防衛(ママ)努力の最重要目標は、我々の同盟者自身の自衛能力を支援することにある。費用が少なくてすむだけでなく(アジア人兵士1名は、アメリカ人兵士の15分の1の費用しかかからない)、双方にとって、重要な政治的及び心理的長所がある」。不透明で費用のかからない米国の関与により、海外の土地で生まれる反対を埋葬するのである。
振り返ってみると、こうした率直な説明は、「罪無き」時代の象徴である。同じ1969年6月には、ニクソンが、米国一般市民に対して、政策状況を曖昧にしごまかす演説をしはじめた。グアムのトップ・オブ・ザ・マー・ホテルに自発的に集まった一団の記者に対し、ニクソンは、米国はアジア防衛の中心を同盟国にまかせ、米国の軍事力を、要請に応じた支援に制限すると述べていた。この会合は、記者たちを混乱させたと言われる。直接引用を禁じられたために、二重の意味で混乱したかもしれない。ホワイトハウスは、そのグアム・メッセージ(その後ニクソンによりニクソン・ドクトリンと改名された)を、「米国海外政策の主要な転回」として支持した。1970年までに、ニクソンの議会証言は、注意深い最小主義のかたちを取った:「他の攻撃タイプが関与する場合、我々は、要請され妥当であれば、軍事・経済協力を提供する。けれども、我々は、直接の脅威にさらされているその国に、防衛のためのマンパワ−を提供する第一の責任があるという立場をとる」。
グアムに集まった記者たちが、支援機能の意味と役割についてコピーを書いたのち、防衛長官メルビン・レアードは議会予算委員会に対して、支援機能がどのようなものかについて詳しく説明していた。「米国の直接的軍事関与を減らすという基本政策は、我々が、友人たちと同盟者たちとに、彼らが望みまた検針できるマンパワーによる可能な限り最も効果的な貢献を保証するための、物質的支援を提供しない限り、成功しない。これは、現地の人員を、米国が提供する物質、訓練、技術、特殊軍事技術の支援により、十分な装備をもち、よく訓練された軍隊へと組織することを意味する。」大規模で費用対効果の高い現地の資源と人員を、米国のプレゼンスを隠すために活用するのである。
この結果、何十年にもわたる、覇権的統制の時代となった。これは、「直接的脅威にさらされる」国々に、非伝統的戦争として知られる戦争法を教えることにより、強化された。その方法の特徴は、「市民の移動統制、望ましい部隊に市民の協力を得ること、ゲリラの提供源を取り除くこと、捕虜をとること、一般市民への報復など・・・であり、ゲリラへのロジスティック・サポートを取り除き、市民をゲリラから分断し、地下活動を孤立させ、空・海・陸からゲリラや地下活動への支援を阻止する手段を転回しなくてはならない」というものである。
レーガン時代に、こうした方法は、低強度紛争としてさらに洗練された。低強度紛争の公式記録には、強制外交、心理作戦、警察行動、そして、制限された武力行使(「制限された」というのは、正規軍による侵略はしないという意味)、あるいは武力行使の威嚇などである。それゆえ、誰にとって低強度かという疑問が生じる。現在の準軍組織の行動とそれに対する「支援機能」が国際的に悪名を馳せているコロンビアについては、こうした行為が、コロンビアの罪のない大量の人々を、いかに縛り上げ悲惨に陥れているか知るのは有益である。
米国の軍事訓練カリキュラムにより訓練を受けた、軍の兵士たち(傭兵、プロクシー、準軍組織などと呼んでも同じなのだが)は、皮剥や、チェーンソーによる切断、頭の切り取りなどといった方法を含むテロの技術を身につける。これらは非常に頻繁に用いられる手法であるため、準軍組織は、「モチャカベサス」(ヘッド・ハッカー)というニックネームを付けられている。テロの利用は、意図的に住民を移動させたり、あるいは日常生活に侵入することにより、「市民の移動を統制」している。
ゲリラがある程度注意深く秘密裡に作戦を行わなくてはならないのに対し、準軍組織は、自由に作戦を行い、警察や軍、地方の住民に自由に紛れ込む。希に逮捕されるときでも、準軍組織はすぐに釈放される。起訴されるというさらに希なケースでは、銃や通信機器の所持といった軽犯罪でしか起訴されない。準軍組織は、個人的な好みに応じて自らの勝手な法を採用する。男の髪の長さを決めたり、ポーチの掃除のしかたと決めたりといった命令は、合法的なものと考えられ、厳密に強制される。家族内で対立があると、準軍組織は、自称「オンブツマン」として仲裁に入る。
オフィス・フェミナ・ポプラル(民衆女性オフィス)は、女性が、戦争を進めるマチスモに反対してますます声を挙げている状況で、女性に対する反動があると述べている。準軍組織が行った一つの対応は、女性のスカートの適切な長さを命令することである。2度の警告ののちも、女性が基準から逸脱しているときに、女性は死をもってその代価を支払わなくてはならず、川が墓となる。あらゆる戦争につきものの、強姦は、頻発する。コミュニティのコントロールを保証する戦争の規則は不可侵のものである。戦闘員にとって、人口の半数を占める女性の体は、占領のためにあるのである。
準軍組織のこうした行為に対する反対の声が増大したため、米国政府もコロンビア政府も、準軍組織に対する批判の声を発した。201年9月10日、米国国務省は、コロンビアの準軍組織をテロリストと規定した。けれども、パストラナとブッシュ政権下での人権状況の進捗に関する宣伝のもとで、大量の人権侵害事件に対する寛容はもとのままである。市民統制や支配に関する準軍組織の作戦は増加しており、これは、準軍組織が軍や警察とだけではなく、他の国家機構とも共謀していることを示している。
強制的な月例会議で、準軍組織は住民に対し、資産を報告し税を払うことを強制する。麻薬精製やガソリン抜き取りといった不法産業が準軍組織の支配下に置かれているだけでなく、合法的な仕事へのアクセスや仕事の割り当て、薬剤空中散布に対する人道援助を誰が受けるかのリストも、準軍組織が統制する。テロからより広範な政治的領域への影響という軌跡は、ベトナムの経験から得た戦略同様、ある戦略が必要から転回されていることを示唆している。
国連人権局は、都市部での準軍組織の集中もまた増大していると報告している。都市部で、準軍組織は、政治的殺害の犠牲者を数が調査されない地方に移動させることで、殺人事件の統計を操作している。この7月に、バランカベルメハの日刊紙は、一面で、準軍組織の検閲について報道した:「もし人々の苦痛と戯れることを止めないなら、我々が、苦痛とは何かを教えてやる」。見出しと記事は、当局から何の対応も引き起こさなかった。
パストラナ大統領による「平和」プラットフォームのあらゆる遺産がすべて破棄され、よりシニカルなかたちの構造的シフトが取って代わったことは容易に見て取れる。大統領選挙の数ヶ月前に、準軍組織は町の人々をウリベ支持ラリーに駆り出した。投票日、地方政府や中央政府からの反対なしに、公共交通サービスが停止された。それから、準軍組織は、公共の乗り物を使って、人々を投票所に「エスコート」した。多くの場合、投票者は、2つの投票用紙を受け取った。一つは未記入のもので、もう一つは既にマークされていた。マークされた投票用紙を使うと、お金が支払われることがすぐに明らかになった。こうした活発な投票操作にもかかわらず、ウリベは、コロンビア人口4200万人のうち580万票しか得なかった。また、議会の議席の30パーセントが、準軍組織とつながりのある候補により占められたと推定される。
新しい政策プラットフォームの一環として、ウリベは、交渉相手として準軍組織を歓迎する意図を表明した。ゲリラのようには、政治的見解を全く表明していないにもかかわらずである。準軍組織の指導者カルロス・カスタニョは、指名手配されており賞金もかけられているが、この春、宣伝の機会を利用して、以前、準軍組織収入の7割が麻薬から来ると暴露したのに対し、このたびは、準軍組織は麻薬商人との共同を辞めたと発表した。別の、さらに大規模な収入源が、この不法民兵に対して提供されるのではないかと多くの人々が想像している。
準軍組織により大きな政治的統制を与える傾向がいっそう明らかになっているなかで、グアムのマー・ホテルにおけるニクソン会談後に採用された政策、すなわち、「直接」関与の削減は、「技術支援」や「支援機能」なしには成功しないという見解は、いまだに妥当である。けれども、過去の「無垢な」時代とは異なり、「左派」とその家族や親類を根絶するために「死の部隊」を使うというような言葉は、もはや明言されることはない。現在最も重要な「技術支援」は、軍の対ゲリラ・マニュアルにあるように、プロパガンダ統制である。準軍組織に対するイメージをきれいにする作戦は、新自由主義に反対するあらゆる反対者を貶めない限り成功しない。人権団体や社会開発を主張する人々、労働組合組織者、知識人、そしてゲリラに対し、事実を歪める枠組み、報道の量的操作、残虐さの詳細の操作などにより、制度化される。同時に、軍事マニュアルも海底されている。CIAと米軍の勧告に従ってコロンビア軍が作成した守秘文書である命令200−05/91号は、「情報提供者やネットワークの市民構成員との間に、書かれた契約を交わさないこと;すべては口頭で同意されなくてはならない。・・・これらの(準軍組織)ネットワークの調査、選別、支持、訓練、場所、組織は秘密とし、部門や部隊の司令官の責任下に置かれるものとする」と述べている。今日、こうした改訂も時代遅れになったようである。「非伝統的戦争」の実践は、非常に伝統的な経路をたどっている。秘密作戦はあからさまで予想可能なものなので、この言葉の意味もなくなりつつある。繰り返し繰り返し証言や報告書などで暴かれる記録を浄化しようとする試みも、何ら有効ないいわけとはなっていない。
戦争の最初の犠牲者は真実であると言われる。情報のメディアを所有するものが、戦争を征する。2002年7月15日月曜日、ニューヨーク・タイムズ紙は、我々のために、コロンビア紛争の新たな解釈を提供してくれた:「コロンビア指導者と地方政府職員の一団は、昨日、米国政府に対し、ゲリラ戦士と軍とが何十年にもわたる流血の内戦で衝突している祖国への帰還を恐れるコロンビア人に対し、一時的な亡命資格を与えるよう求めた」。記録を検討すると、準軍組織とその残忍な行動は「消滅した」ことがわかる。
具体的情報や分析が相対的に少ない一方、焦点の定まらない、下手なレトリックや無意味な文語表現に満ちた文章なのがちょっと残念な記事です。ごめんなさい。