隣町の犯罪を巡る記事を書くために海辺の町サンタ・マルタを離れたとき、ラモン・バスケス・ルイスは、その日の夕方に妻と子供たちのもとへ帰る予定だった。けれども、コロンビアの反対派ゲリラが52歳の新聞記者ラモンを誘拐し、シエラ・ネバダ山脈に連れていったのである。それから12日間、コロンビア革命軍(FARC)の兵士たちはラモンを捕虜として山の中を連れ回し、彼を解放する代わりに彼が働く新聞社に何千ドルもの要求を出した。
ゲリラが彼を拘束していたキャンプの一つに向け軍の戦闘機が発砲したとき、バスケスは危うく殺されるところだった。バスケスによると、5月28日、FARCは、彼が働いていたサンタ・マルタの新聞オイ・ディアリオ・デル・マグダレナから一銭も身代金を取ることなしにバスケスを釈放した。彼の運転手はその4日前に解放されていた。
コロンビアにおいて、ジャーナリストに対する暴力は、新しい現象ではない。麻薬王パブロ・エスコバルの時代から麻薬ギャングたちはジャーナリストを殺害していた。エスコバルの取り巻きたちは1986年にエル・エスペクタドルを出版していたギレルモ・カノを暗殺し、その3年後には220ポンドのダイナマイトで同紙の事務所を破壊し、80名の従業員に怪我を負わせた。1992年以来、コロンビアでは29名のジャーナリストが殺されている。
過去何年か、コロンビアは、ジャーナリストにとって世界で最も危険な国となっている。昨年のある時期の3週間だけで5名が殺害された。今年もこれまでと同様血にまみれたものになりそうな気配である。1月以来、6名のジャーナリストが殺され、15名以上が脅迫を受け、コロンビアで最も人気のあるテレビニュースキャスターのクラウディア・グリサッティを含む5名が国外に逃亡した。
左派ゲリラとされるものが、あるラジオ局を解散させ、コロンビア最大のテレビ局を地上発射ロケットで爆破しようと試み、少なくとも10名のジャーナリストを拘束あるいは誘拐した。こうした暴力は、一部、今年2月に、政府とFARCの和平交渉が破棄された結果である。その後、ゲリラは誘拐と都市爆破、社会基盤への攻撃を強化したのである。
4月11日には、RCNテレビのジャーナリスト2名が、軍とFARCの戦闘を報道しようとしている最中に射殺された。調査は停止されているが、犠牲者と一緒にいたフリーランスのレポーターは、軍のヘリコプターの中にいた兵士により二人は誤って撃たれたようだると述べている。ゲリラと準軍組織双方が勢力を伸ばしていることにより、ジャーナリストが直面する危険はさらに高まっている。コロンビア最大のゲリラ組織FARCは16000人の戦闘員を擁すると信じられており、一方、コロンビア自衛軍連合(AUC)は8000人の戦闘員を擁すると目される。
双方ともに、コロンビアのコカイン産業から何百万ドルもの収入を得ることにより組織を強化してきた。武装集団が強力になるにつれ、批判に対しても敏感になった。腐敗した政府と蔓延する貧困に終わりを告げるために闘っていると主張するゲリラは、しばしば、報道がエリートの利益に従属していると批判する。一方、AUCは報道のメンバーの一部をゲリラに共感しているとして非難している。双方ともに、何十年も続く内戦で勝利を収めるためには、人々の意見を味方に付ける必要があると考えている。
そのため、これらのグループはこれまで以上に、ジャーナリストを脅迫して報道の扱いを操作しようとしていると、コロンビアの有力日刊紙エル・ティエンポの編集者ロドリゴ・ペルドは述べる。「コロンビアでは他の国々と違い、ジャーナリストにとっての問題は国家から来るのではなく、政府が統制できない現象となった不法グループから来る」。
今年に入って起きた報道に対する暴力はどれも解決を見ていないが、すべての暴力がFARCとAUCによりなされたわけではないようである。1月30日、マニサレスの新聞ラ・パトリアのコラムニスト兼副編集長オーランド・シエラが20歳の娘と昼食から職場に歩いて戻っているとき、暗殺者が彼の頭と首を撃った。42歳のシエラは2日後に現地の病院で死亡した。
当局筋の中には、シエラ殺害を自白したのち禁固刑を言い渡された暗殺者が、シエラが汚職を批判していた現地の政治ボスに雇われたのではないかと言うものもいる。けれども、これまでの調査ではそうした関連は明らかにされていない。また別の事件では麻薬ギャングに容疑がかかっている。大きな麻薬事件を扱った新聞とテレビのジャーナリスト7人に対する包括的殺害脅迫はその例である。
サンタ・マルタからの電話で、バスケスは、自分が拉致されたのは運が悪かったと述べた。身代金のために誘拐する犠牲者を捕獲するために設置した道路ブロックでFARCに捕まったと。ゲリラは彼を丁寧に扱ったが、十分な食事を与えられないままに何時間も厳しい土地を歩かされた。けれども、解放されたときに感じた安堵は長続きしなかった。数時間後に、準軍組織のメンバーと思われるものが彼の携帯電話に3度電話をかけてきて、彼が経済目的で拉致を自演したと非難した。バスケスはそれは馬鹿げていると述べる。「彼らは、『おまえは自分に満足か?何が起こるか待っていろ。そのうちわかる』と述べた」とバスケスは言った。
本記事はラテンアメリカ・プレスに初出。また、スペイン語版がノティシアス・アリアダスに掲載されている。