この記事は、アチェを巡る米国のインドネシアに対する軍事援助に関するものですが、現地の状況は、非常に悪化しており、1975年のインドネシア軍による東チモール全面侵略、1999年の東チモールにおけるインドネシア軍と手先の民兵による破壊と虐殺を思い起こさせるニュースが入ってきています。
アチェを巡る最新の情報は、インドネシア民主化支援ネットワークにあります。特に、
http://www.nindja.com/aceh18.html
http://www.nindja.com/aceh17.html
をご覧下さい。
また、改めて、アムネスティ・インターナショナルと日本インドネシアNGOネットワーク共同のキャンペーンにも(まだの方は)ご協力頂けますと幸いです。既にFAX等なさった方は、知人・友人に広めて下さいますよう御願いいたします。
http://www.jca.apc.org/~janni/action-aceh2.htm
ほとんど脚光を浴びていないバグダッドから遠く離れた場所で、別の「衝撃と畏怖」作戦が進められている。5月19日、インドネシアが、アチェ州の独立を求める小規模なゲリラに対して「衝撃と麻痺」作戦を開始したのである。TV向けに作られた作戦で、まず458名のインドネシア軍兵士がアチェ州に、6機のC−130ヘラクレス輸送機からパラシュート降下した。C−130は、米国最大の軍事企業ロッキード・マーチン社の製造である。そのすぐ後で、戦艦や戦闘機をはじめとするハイテク軍事装備に後押しされた最大4万人のインドネシア軍兵士と1万人の警察官がアチェに入り、自動火器や迫撃方、ロケット式爆弾で武装した5000人からなるゲリラに対して戦争を宣言した。
インドネシアにとって、1975年の東チモール侵略と不法占領以来最大の軍事作戦となるこの攻撃は、自由アチェ運動(GAM)とインドネシア政府との5カ月にわたる和平交渉の決裂の直後に開始された。アチェの完全独立を主張するGAMとアチェはインドネシアの一部に留まらせるというジャカルタの間の橋渡しをしようとしたNGOは、双方に、より大きなアチェの時事とアチェの豊富な資源の利益分割対する少なくとも何らかの進展を求めていた。こうした妥協に対してはインドネシア中で広く支援があり、和平交渉については、米国ブッシュ政権や国際貸付機関も含めた広い支持があったものの、5月半ばに交渉は決裂した。
無差別殺戮
アチェのゲリラは27年間にわたって独立を求めて闘ってきた。この戦争で、1万人の民間人の命が失われ、何万人もが自分の家から避難を余儀なくされた。
インドネシア軍士官たちは、自分たちは武装ゲリラを標的としていると言うが、実際には「魚を殺すために水を干す」作戦を用いており、残忍で無差別な殺害を行っている。5月21日、インドネシア軍兵士は2つの虐殺を犯し、少なくとも14人の武器を持たない人々を殺した。その中には12歳の男の子二人も含まれていた。これは孤立した事件ではなかった。アムネスティ・インターナショナルによると、インドネシア軍は民間人に対する超法規的処刑を行っている。11名の子供が処刑された。人権団体はまた、「軍と警察の留置場で、拘留された人々に対して拷問が蔓延している」と告発している。
侵攻から2週間たって、インドネシア軍は、112名のGAM兵士を殺し、160人を拘束し、さらに92人が投降したと述べた。同時にインドネシア軍は、軍と民間人の犠牲者は最小限に押さえられており、10名の兵士と1人の民間人が殺されたと述べた。ゲリラ側の情報はこれと矛盾しており、民間人が何十人も殺され、インドネシア軍兵士も何百人と殺されたと発表している。
この侵攻で殺された民間人の本当の人数は、恐らく、GAMとインドネシア軍が主張するところの間にあるのであろうが、軍による民間人の強制移送は続いており、それについては外部情報源からの情報がたくさんある。ロンドンのタイムズ紙は、ジャカルタ政府はGAMの拠点地域に暮らしている最大20万人を、戦争の間「戦略キャンプ」に収用すると述べたことを引用している。
アチェの学校の多くが焼き払われて焼け落ちた。この放火についてGAMとインドネシア軍は双方を批判しているが、この破壊は良く調整されたものであり、このことは、実行者が軍であることを示唆している。これは、人々の支持をゲリラから引き離させようとするより大きな計画の一環であるようである。
米国製武器は影響力と等価ではない
米国製のC−130が使われている他に、インドネシア空軍は、ロックウェル国際のOV−10ブロンコ攻撃機をも使っており、アチェに空対地ミサイルを発射している[ブロンコOV−10は、東チモールの抵抗でインドネシアの侵略占領軍が劣性になった際、米国が大規模に支援した攻撃機です]。他にも、F−16戦闘ファルコン多目的戦闘機やS−58ツインパック・ヘリなどの米国製兵器をはじめとする多くの小規模な武器が使われており、また、投下されようとしている。米国武器輸出統制法では、武器は自衛と国内治安、国連の作戦への参加のために用いられるべく提供されていることになっている。アチェで起きていることを、これらのどれかに分類することができると考えるのは困難である。
米国のこの法律に違反しており、また、ワシントンがGAMとジャカルタとの和平交渉を支持しているという事実を考えると、ブッシュ政権による軍事作戦に対する批判は異様なまでに弱い。レーガン政権時代にインドネシア対しとして勤務し独裁者スハルトと仲がよかった国防次官補ポール・ウォルフォウィッツは、声明の中で次のように言った。「インドネシアが作戦を透明にしておくことは助けとなろう。世界が、インドネシアは専門的に注意深く振るまっていると考えることになろう」。
インドネシア軍は米国のイラク侵略に倣い、軍属ジャーナリストを使ってこれにメディア・アクセスを提供しており、その行動は透明とは言いがたい。メディアのメンバーに対する発表や脅迫、拘束などが戦闘地域で行われ、インドネシア当局は、ジャーナリストにGAM指導者の声明を引用させないようにするなど、どのニュースが発表されるかを統制しようとしている。
現地の人権団体は軍による攻撃を受け、国際的なオブザーバはアチェから追放され、民間人の安全と作戦の「透明性」に対する心配が高まっている。
長年にわたり、米国はインドネシアに対する最大の武器提供国であり、インドネシア軍を、F−16戦闘機からM−16戦闘ライフルまでのあらゆる武器で武装してきた。1975年の血塗られた東チモール侵略から1990年代まで、米国は、インドネシアに10億ドル以上の武器を提供してきた。1991年東チモールでサンタクルス虐殺が起き、非武装の民間人をインドネシア軍兵士が米国製のM−16ライフルで270名以上殺害した後、米国議会はインドネシアへの武器輸出と軍の訓練を制限しようとしてきた。そして1999年の東チモール住民投票の際のインドネシア軍と準軍組織(民兵)の暴力に対して、米国議会は武器・訓練禁止を強化し、軍事関係再開のために満たすべき一連の基準を定めた。軍事予算の透明性と人権侵害に関わった兵士の処罰を含むこれらの基準のいずれも、満たされていない。
司法プロセスが軍に自由交通証を与えた
インドネシア政府は、人権侵害と軍の不処罰を扱うために大きな前進を遂げていると主張するが、すべての証拠は、全く逆を指し示している。2003年1月、インドネシア法廷は、トノ・スラトマン准将を無罪とした。彼は、東チモールにおける人権侵害(人道に対する罪)で起訴されていた。無罪判決を受けた12人目の被告であった。
さらに悪いことに、やはりジャカルタの東チモール人権侵害法廷で、東チモールにおける人道に対する罪で裁判中のアダム・ダミリ少将についてである。彼は、アチェの軍事攻撃を統括する役割にいるため、法廷の審理を3回連続欠席した。そして、今や、インドネシアの検察は、ダミリに対する全ての告発を却下するよう法廷に求めている。これは、東チモールにおけるインドネシア軍の残虐行為に対して、何の重大な処罰もなされないことをはっきりと示している。
インドネシアの危機が悪化している中、米国による軍事関係禁止は、ブッシュ政権から解除するよう強い圧力を受けている。というのも、ブッシュが世界最大のイスラム教民主主義[ママ]国との密接な関係を求めているからである。「対テロ戦争」(ママ)への支援を得ようと、ホワイトハウスはインドネシア軍への軍事援助と訓練を求めている[インドネシアの人権NGOは、米国議会に出した手紙の中で、「定義に従えば、インドネシアにおいてテロリストはインドネシア軍です」と述べています。その人権NGOの一つも、最近襲撃されました]。非致死的な武器の商業的売却の禁止は解除され、米軍とインドネシア軍の接触も増大している。今や、米国の地域防衛対テロ交流プログラムというアジアの軍向けの1790万ドル相当の軍事訓練から、インドネシア軍も恩恵を受けている。これらの米国による動きは、ジャカルタに対して米国が支援するというメッセージとなっている。米国議会が軍事援助を凍結するよう決めた際の問題は、まだ何も解決していないにもかかわらずである。
けれども多少良いニュースもある。上院外交関係委員会は、最近、2004年のインドネシアに対する国際軍事教育訓練プログラム(IMET)を、インドネシアが2002年の米国市民に対する攻撃の責任者を調査し刑事処罰するまで制限する修正を可決した。インドネシア警察とNGOは、米国人2名が死んだこの事件にはインドネシア軍(TNI)が関与していると示唆している。これは悪くない一歩であるが、インドネシア軍は理論的には今も2003年のIMETに対して参加することができる。
ワシントンは、しばしば、武器売却によって対象国への影響力を行使することが出来ると述べている。インドネシア軍のエンドリアルトノ・スタルト将軍は、これに対する答えを持っている。英国製ホーク戦闘機をアチェで使っていることについて聞かれた将軍は、「私は自分が持っているものを使う。結局のところ、既に支払いはしたのだ」と答えた。米国製武器についても同じことが言える。これらの武器はどこかに消えて無くなりはしない。今日アチェを爆撃しているブロンコ戦闘機は、1975年に東チモールでナパーム弾とミサイルを投下し(そして恐らくノーベル平和賞受賞者ラモス・ホルタの姉を殺害した爆弾も投下したかも知れない)たと同じブロンコである可能性が高い。
政府公認のこの新たな殺人において米国製兵器が中心的な役割を果たしていることを考えると、ブッシュ政権が、無差別殺戮をもっと「透明」に行うようにという以上のことを、米国の同盟者たるインドネシアに求めないのはなぜだろうか。
武器売却が影響力と等しいという断言を信じるならば、ホワイトハウスと米国議会は、軍事行動をすぐに止めて和平交渉を開始するよう求めなくてはならない。そうでなければ、米国政府は、非武装のアチェ民間人に対するこの無差別(かつ透明な)殺戮に対して責任の一部を負うことになるだろう。
最後の方の主張は、米国が、中立的な立場から影響力を正の方向に行使しうる現実性を誤って前提とした議論になっています。これまで、極めて多くの例で(したがって事実上統計的にかなりの確信度をもって:統計的因果性であって、「カーターがいい人だった」とかいうレベルの混同とは無関係です)、米国の「影響力」は人権侵害を悪化させる方向に向いており、ここで焦点となっているインドネシアでも、まさにその通りだったことは、50万人から100万人を虐殺した1965年のクーデターと20万人を殺した1975年の東チモール侵略において、米国が大きな影響力を行使したことからも明らかです。
また、インドネシアの主要な人権NGOが、米国議会にあてて書いた手紙の中でも「私たちは、米国政府に対して、インドネシアの民主派勢力を積極的に支援するよう求めはしません。私たちは、そうではなく、米国政府に対して、TNIへの支援をしないことにより、私たちの仕事を容易にするよう求めます。」と明言されているように、米国が積極的な平和の勢力だとは思われていませんし(事実を見つめさえすれば当然のことですが)、唯一求めているのは、とにかく黙って手を引いていてくれということです(ブロンコOV等を再び買い戻すといった自らのしりぬぐいならば歓迎でしょうが)。
とはいえ、事実関係を整理し、きちんと米国市民向けに理解できるようにこうした記事は一つ一つ積み重ねる必要があるでしょう。日本では、6月23日にインドネシア大使館前要請が計画されています。