インドネシアはスマトラ島の最北端に位置し、海を挟んで対岸にタイ南部とマレーシアを望むアチェ。インドネシアがオランダの植民地支配を受けたのに対し、アチェ王国はオランダと戦い続け、植民地にならなかった歴史を持つ。インドネシア独立を助けたアチェ。その後、インドネシア中央政府は、アチェ州を「特別州」として特別自治権を与えていると称しながら、石油を略奪し、累々たる人権侵害を繰り返してきました。そして、アチェは、「自由アチェ運動」など独立を求める運動を活発化、さらにインドネシア軍はアチェを弾圧。1965年、50万人から100万人もの人々を虐殺したクーデターで政権の座につき、欧米日から寵児として歓迎され、「アジアにおける一筋の光」、「穏健派」、「偉大な業績に感慨を覚える」(橋本元首相)と賛美されたスハルト軍事独裁政権は、アチェの弾圧を続けてきました。そのアチェで、インドネシア軍による新たな大弾圧が開始されようとしています。現在、イスラエルが占領地でパレスチナ人に対して進めているように、また、1999年、インドネシア軍とその手先の民兵が、東チモールで破壊と虐殺を行なったように。そして、東チモールで虐殺と破壊を計画したインドネシア軍の将校が、アチェでの作戦の中心人物になっています。アチェについての情報は、インドネシア民主化支援ネットワークもご覧下さい。
私は、「軍が自国民を守る」例をほとんど知りません。一般に、「人々」を守る例も。さらには、軍の論理が軍人を守る例も知りません。現在、国会で強硬採択が進められようとしている有事法制。第二次世界大戦を経験した多くの人が、この行きつく先は、戦前と同じ抑圧的な体制だと言っていますが、その時代の経験を持たない私は、行きつく先の最悪のイメージとして、インドネシアやグアテマラ、コロンビアなどを考えてしまいます。有事法制反対のイベントはここに、首相官邸への抗議のfaxは、03-3581-3883に、オンラインでの意見書き込みはこちらにあります。
超法規的処刑、失踪、拷問、強姦、人権擁護活動家を標的とした嫌がらせ。これらは、5年前のアチェの生活を支配していた状況である。そして、現在のアチェの生活を支配している状況でもある。さらに、平和監視チームとそのインフラに対する身元不明の人々による攻撃、そして、公的仲裁者の逮捕。これが、敵対行為停止合意(CoHA)が生き延びようとしている状況である。
この合意は、問題を抱えたインドネシアの州であるアチェに平和をもたらす試みであるが、国際的な仲裁のもとでのCoHAが崩壊の危機に立たされると、インドネシア軍が400万人のアチェ人---その大部分は独立を望んでいる---に対して、意のままの暴力をふるい始めるであろう。
自由アチェ運動(GAM)とインドネシア共和国は、2002年12月9日に敵対行為停止合意(CoHA)を結んだ。この文書の主要なポイントは、段階的な非軍事化、包括的な対話、2004年の選挙である。さらに、合意は、共同治安委員会(JSC)が、合意の適用を監視し、違反を調査することを定めている。
しかしながら、この合意には、根本的な構造的欠陥がある。合意事項の詳細については、交渉段階で合意されず、それゆえ、無視された。その結果は?CoHAはその存在意義の危機に陥り、失敗の差し迫った恐れに直面している。インドネシア政府が認識するCoHAの性格は、自由アチェ運動(GAM)が認めるCoHAの性格と大きく異なっている。CoHAを危機に陥れている3点は、以下の通りである。
武装解除:GAMは段階的な武器の保管を提案したが、ジャカルタは、一つの村から別の村へと部隊を移動させることを提案しながら、同時に、闇に紛れて海路から、さらなる軍人をアチェに密かに送り込んだ。
包括的対話:これはとらえどころのないままである。さらに、この対話を実現するためのプロセスについては、まだ合意されていない。そして対話の実質的内容は、謎のままである。
2004年の選挙:ジャカルタのインドネシア政府は、これを、2004年に予定されている通常の総選挙を意味すると考えている。けれども、GAM(及びほとんどのアチェ人)にとって、これは、アチェの問題に関する民主的な声を人々が挙げることを可能にするようなアチェの選挙だと考えている。
合意のこうした構造的欠陥に加え、インドネシア政府は、CoHAを掘り崩そうと、3つのあからさまで不格好な試みを行ってきた。第一は、民兵集団による共同治安委員会への襲撃である。東チモールの民兵---インドネシア軍に雇われ、武器を与えられ、訓練を提供されていた---を思い起こそう。アチェでもシナリオは同じである。アチェにおける民兵の存在は新しいものではないが、最近になってようやく認められた。共同治安委員会(JSC)自体---ちなみに多くの人はJSCを親ジャカルタの立場であると見なしている---、襲撃は指揮のしっかりしたもので、軍の後押しを受けた民兵集団の関与の可能性が高いと考えている。JSCは、治安上の理由から、アチェの州都であるバンダ・アチェに撤退させられた。これによりCoHAへの違反に関する調査がなされなくなったため、軍は、不処罰のまま自由な行動を取ることができるようになった。
第二に、ジャカルタ政府は、合意を崩壊させようとして、GAMに対し、対話継続の前提条件として、独立という政治的目標を放棄するよう求める最後通告を突きつけた。ジャカルタ政府は、また、さらなる対話をインドネシアで行うべきと主張した。これは、GAMにとって受け入れがたいものである。
第三の、そして最も最近の憂慮すべき事態は、2003年5月9日金曜日、上級GAM交渉者たち4名が、逮捕されたことである。4名は、釈放されるまで、2日間、拘束されていた。その間、インドネシア警察と軍は、この4名をテロリズムで告発する予定であると述べていた。これら全ての行為は、CoHAの精神にも文言そのものにも違反している。合意の命ずる項目はわずかである:敵対行為の停止。これが達成できないことが、示されている。
GAMがこの完全とは言えない合意に署名したのは、それにより、何十年と続いてきた紛争に対し、アチェの市民社会運動が平和的で政治的な解決を追求する道が開かれると期待したからである。CoHAの第2条(f)は、市民社会が妨害なしに民主的権利や違憲を表明できることを規定している。けれども、CoHAに書かれていることと実際にその後現れたことの間に共通点は無い。2002年12月以来、アチェの民主的政治空間は、実際のところ、狭まっている。続く暴力と正義の不在に抗議したり、自分たちの声が聞かれるためのプラットフォームを要求する勇気がある人々は、自分自身が標的とされる。
2003年1月のデモでは、4人の村人が、インドネシア警察のエリートである警察機動隊に撃たれた。これらの4人は、CoHAにおける文民の役割を政府が全面的に尊重するよう求める平和的なラリーに参加していたのであった。
さらに、警察は、アチェ住民投票情報センター議長(SIRA)のムハマド・ナザルを逮捕した。彼は、1月のミーティングで、合意に対して批判的な講演を行っていた。政府に対する扇動行為を広めたとして告発されているナザルに対し、警察は、5年の禁固を望むと述べている。
政府当局は、国家に対する憎悪を広めているとする人々の告発リストを膨らませている。その中には、アチェ民衆民主抵抗戦線(FPDRA)元議長のカウサル・ムハンマドも含まれている。カウサルと他の多くの人々は、ナザルと同じ運命を避けるために身を隠した。ジャカルタ政府の命令を受けたインドネシア警察と軍は、これらの人々とこれらの人々が代表している人々の声を、実質的に黙らせている。
アチェのインドネシア軍は、最高警戒態勢にあり、さらに多数の兵士が戦場に送り込まれる途上にあり、戦争が勃発したときに予想される難民流入のために、隣接する地域での準備が行われている。アチェに戦争の暗雲が立ちこめている。国際社会は、声を揃えて、インドネシア国家の統合を支持すると述べている。「いかなるコストでか?」が問題である。
国際社会はインドネシア政府に対して、CoHAの文言と精神を遵守するよう圧力をかけなくてはならない。対話プロセスを無条件で再開しなくてはならず、交渉者の保護を謳う文書に署名しなくてはならない。交渉の一方が、他方により常に逮捕の脅威のもとに晒されているとき、意味のある対話を行うことはできない。そしてプロセス全体を崩壊させようとするインドネシアの試みを認識し、非難する必要がある。これは、ここ数年のアチェにおける最後の平和への機会となるかもしれない。けれども、インドネシアは、国際社会の船首に向けて、「不介入」という矢を放った。インドネシア当局は、この行為はイラク戦争と比べると重要でない、というのも、インドネシアの主権のみが問題であるからだ、と述べている。暗黙のメッセージは次のようなものである:我々はイラク侵略と「望ましくない」体制の追放という前例を学んだ。そして、我々は、現在のこの国際的な政治情勢を、アチェにおける軍事的解決のために、全面的に利用する。
現在の国際政治風土は、虐殺にとって最高のアリーナである。世界で最も残忍な軍の一つが、アチェに集結している。戦争と死、破壊へのロードマップは、見ようとする者には、あまりに明らかである。我らが偉大な民主的価値のチャンピオンたちは、インドネシア軍の音楽に合わせて踊っているようである。アチェ人たちは、「テロリズムに対する戦争」、経済、現実政治といったものの名のもとで、犠牲を払うことになる。東チモールから学んだ教訓?どうやら、何もないようだ。
レスリー・マッカラーは豪メルボルン市モナッシュ・アジア研究所の研究員。