40年にわたり、オーストラリア政府は、インドネシアの国家テロと共謀関係を結んできた。
今回のバリ島事件への憤激を使い、ジョン・ハワードは、自らの偽善から注意を逸らそうとしている。
オーストラリアの首相たるジョン・ハワードは、バリ島での残虐行為は、
「テロリズムに対する戦争を、倦むことのない力と無条件の献身をもって進めなくてはならない」ことを
「証明」したと言う。ハワードが意図しているのは、自分が、
ジョージ・W・ブッシュ・ギャング団の−広く認められてはいないにせよ−最も献身的な海外メンバーとして、
ブレアよりも神聖な役割を果たし続けるということである。オーストラリア軍は、
実質的に、ペンタゴンの出先機関である。
オーストラリアの戦艦は、湾岸地域で、米国の艦隊とともに行動し、 イラクに対する経済封鎖を監視している。国連子供基金によると、この経済封鎖により、 60万人以上のイラクの子供たちが死亡した。インドネシアでは、 オーストラリア人たちは、アメリカ人の仲間と一緒に、インドネシア軍に対する訓練を秘密裡に再開した。 インドネシア軍といえば、テロリズム・ワールドカップにおいて、議論の余地ない王者である。
ワシントンは、バリの事件についてアル・カイーダが関与していると示唆した。 脚本に変更はない。ブッシュとブレア、ハワードにとって、バリ島での爆発は、 単に、イラク攻撃のさらなる正当化となるに過ぎない。
米国による世界制覇作戦は、何とまことに異様なものとなったことか。まず、 アフガニスタン爆撃があった。これは、マフィアの身柄引き渡しを実現するために、 シシリー島を爆撃するようなことであった。「テロリズム」が敵である。あるいは、 モンティ・パイソンのテリー・ジョーンズが述べたように、「奴らは抽象名詞を爆撃しているのだ!」。 明らかなのは、ブッシュやブレア、ハワードが好戦的になるにつれて、 それぞれの国の市民がますます大きな危険にさらされることだ。
騒ぎ続けるネズミのようなハワードの戦争挑発は、 ハワードやブッシュの挑発が過激派により歓迎されるような国々を旅する、 オーストラリアの若いバックパッカーたちを、危険にさらすことになる。 1996年に首相となって以来、ハワードは、ハワードは、アジアにおいて、 オーストラリアはヨーロッパ人だけのための場所だという評判を新たにした。
これは悲劇的である。というのも、 オーストラリアが、悪名高い「白豪主義」による文化的孤立から逃れ、 人種的に多様な社会であることへの信頼を表明したように見えたのは、たのはそう昔のことではないからだ。 アジアを祝福することは政治的にファッショナブルなこととなり、 アジアの大群が−重力の法則により−オーストラリアに下ってくるという、 古い植民地の恐怖は、特に若い世代を中心とした多くのオーストラリア人により拒絶されたからである。
ハワードの公に人種差別主義的な政策は、オーストラリアを再び孤立させている。 彼は、公海上で、多くがモスリムからなる亡命を求める人々に対して、オーストラリア軍を派遣した。 そして、現在明らかになった情報では、オーストラリア軍諜報は、 これらの人々が、大きな危機にさらされていることを知っていたにもかかわらず、 350人以上の人々が、昨年、沈むボートの中で死亡したのである。 彼はまた、オーストラリアに到達した人々の多くを、 砂漠の集中キャンプに投獄した(その多くは、イラク人とアフガニスタン人、 すなわち、ハワードが「解放」しているとのたまう国々からの難民である)。 そこの状況は、国連査察官によると、査察官が視察した世界中の40カ所以上の中でも、 最悪のものだったという。
ハワードと、ハワード政権の無能な外相アレクサンダー・ダウナーが、 空虚な「対テロ戦争」を口にしない日はほとんどない。真相はといえば、 オーストラリア政府は、40年近くにわたり、隣国インドネシアでの国家テロリズムと、 共謀関係を結んできていたのである。1965年、当時の首相ハロルド・ホルトは、 西洋の友人たるスハルト将軍が権力の座についたときに犯された大量殺戮にたいして冗談を言っていた。 「50万から100万人の共産主義シンパが妥当された」と彼は述べた。 「再教育が行われたと考えてもよいだろうと思う」と。 西洋の資本、西洋諸政府、世銀により潤った、長いスハルト独裁政権下で、 恐るべき規模の国家テロリズムが行われたが、無視されてきた。 オーストラリアの首相たちは、資源豊富なインドネシアとの「投資関係」を賞賛するのに多忙過ぎたのである。 スハルトによる東チモール併合では、人口の3分の1の人々が命を失ったが、 外相ガレス・エバンスは、それを「不可逆のこと」と述べた。エバンスが簡単に述べたように、 チモール海には石油とガスから生み出される「何兆ドル」もが存在していたのである。
日本の橋本龍太郎なる元首相は、この独裁者スハルト退陣のときに、 「偉大な業績に感慨を感じる」と述べています。いまだに東チモールについて、 「インドネシアからの独立」という妄言を繰り返してはばからない某朝日新聞は、 1978年7月18日(東チモールでは人々が集中キャンプに入れられ飢餓が蔓延していた時期)、 「見えない内戦の傷跡」(内戦は1975年夏に短期で終了しましたから、見えないはずです: インドネシア軍による殺戮の痕は、探せば見えたはずですが)とする、 インドネシア御用記事を掲載しています。 スハルト政権崩壊時にわずかに悪行を認めたオーストラリアの政府やメディアと比べても、 ひどいものです。
こうした死を招く偽善について、オーストラリアの政治・メディア・エリートたちは、 スハルト独裁が倒れる最終段階においてのみ、わずかに認めたにすぎない。 1998年、世銀いうところの「模範生」は、インドネシアの短期的資本流出のあとで、 ついに、自らの腐敗の重みで崩壊した。7000万のインドネシアの人々が赤貧にさらされた。 倒れつつある自主的に複雑なインドネシアという国に対する抑圧を考えると、 目的が何であれ、過激な集団が肥沃な土壌をインドネシアに見いだすことができたのは、 まったく驚くことではない。こうしたグループを、アル・カイーダと一緒くたにし、 「グローバル・テロ」という言葉でくくることは、今一度、 強欲な西洋の利害関心が果たした役割を抹殺することになる。
今日、ほとんど報道されていないが、インドネシア軍は、米国と英国、オーストラリアの暗黙の支援を受け、 アチェと西パプアの人々にテロを行い恐怖に陥れている。 これらの地域でおこる「人権侵害」−国家テロの婉曲話法である−のほとんどは、 アチェいおける米企業エクソンの石油利権と、西パプアにおけるフリーポート社の銅と金、 ブリティッシュ・ペトロリアムの利権とを「守る」一環なのである。 多国籍資本の進出と国家テロの関係を知りたいならば、これらの地域を見ればよい。
西洋のジャーナリストやアナウンサーにとって神聖なタブーの一つは、 自国政府が犯しているテロリズムである。これらの人々が、そのことを認識し、また、 人類の多くに対して、それが果たした重大な役割を認識したときに、ようやく、 非国家集団によるより小規模なテロについて正直に報道することができるようになるだろう。 エドワード・ハーマンとジェリー・オサリバンによる研究では、1965年以来、 アル・カイーダのような非国家テロリストによる殺害が数千のオーダーであるのに対し、 国家テロリズムにより殺害された人々の数は250万に上ることを示している。
国家テロリズムによる犠牲者の数字には、南アフリカのアパルトヘイト政権の犠牲者、 インドネシアのスハルト政権の犠牲者、ニカラグアの「コントラ」の犠牲者をはじめとする、 米国が後ろ盾となったテロリスト国家の犠牲者が含まれる。250万というのは、 少な目に見積もった数字である。というのも、イラクに対する英米主導の経済封鎖で引き起こされた、 イラク市民の死者数は考慮されていないのであるから。ニール・サモンズが指摘したように、 「1996年5月に、マドレーヌ・オルブライト米国国務長官が、 イラクの子供たち50万人を殺害したことは、イラク政府に圧力をかけるためには、 『払うに値する値段』であったと述べたとき、彼女は、説得性のあるテロリズムのいかなる定義にも、 完全にあてはまる行動をとっていた」のである。
バリ島で行われたいやらしい大量殺人を犯したものは追求され、その組織は解体される必要がある。 けれども、国家テロリズムが増加しつつも、 それがあらゆるものの中で最も有害な脅威であるり、そして多くの場合、 非国家テロの根元にあることが隠されたままで、バリ島の大量殺人が追求されることはありそうにない。 イラクに対する海賊的攻撃は、ワシントンの国家過激はによるテロリズムの行為である。 それはまた、今後何年にもわたって、 摩天楼やディスコで西洋人を殺害しようと望む人々をリクルートする触媒ともなるだろう。
聖アウグスティヌスは、アレクサンダー大王と、彼が捕まえた海賊との会話を巡る話を伝えている。 「いかなる資格でおまえは海をかき乱すのか」とアレクサンダーは尋ねた。海賊は、 「いかなる資格であなたは世界をかき乱すのか」と尋ね返した。「私が小さな船だけでするから、 私は泥棒と呼ばれる。あなたは大海軍をもって行うから、皇帝と呼ばれる」と。