暗がりに向かって、そして時に人々に向かって発砲すること、土塁を吹き飛ばし、 メディアに「取り押さえた」武器を示すこと、これらはみな、 英国海軍がアフガニスタンで行っている屈辱的な役割の一部である。その役割は、 ブレア政権が彼ら/彼女らに押しつけたものだ。 ブッシュというギャングにすり寄り結託するブレア政権は、 帝国の廷臣のパロディに成り下がっている。
ギャングと呼ぶのは誇張ではない。私の辞書によると、ギャングという言葉は、 「犯罪的な、いかがわしい目的のために一緒に活動する人々の一団」である。 ジョージ・W・ブッシュ、そして彼の演説を執筆し意思決定を行い、そして、 権力の座について以来、国際法の基本そのものを壊してきたものたちを 正確に言い表している。
アフガニスタンにおけるこれらの人々の記録には議論の余地がない。 月曜日(7月1日)に結婚式に参加していた40名もの人々を殺害したことは、 「へま」ではなく、まず発砲し爆撃してからのちに何が起きたか確かめるという、 ジョージ・W・ブッシュが9月11日のあと数週間のうちに発表した政策の 直接の結果である。
貧しい国々を攻撃する米軍の力については異論の余地はない。むろん、 米国地上軍は派遣せず、代わりに、英国海軍のような「同盟」軍を派遣するという条件がつくが。 (英帝国の全盛期には、同様の役割を果たすためにインド人をはじめとする植民地の部隊が使われた。 とはいえ、米国たちとは違い、英国は自国兵士の犠牲をも受け入れる準備があったが。)
昨2001年10月以来、アフガンの指導者たちは、米国の航空機が、 たった一夜にして、「どんな地図にも記すのが困難なほど小さな村」破壊し、 「300名以上の人々が殺された」と述べていた。 インディペンデント紙のリチャード・ロイド・パーティーは、40名の家族の中で、 生き残ったのは小さな少年と祖母だけだと伝えた。
米国ニューハンプシャー大学が行った研究によると、 TVカメラが映し出す光景の外で、「少なくとも3767名の一般市民が、 2001年10月7日から12月10日の間に殺害された・・・ 1日平均62名の無実の人々が死亡した」。現在では、 一般市民の死者は5000人を越えると推定されている。 9月11日の死者のほぼ2倍である。
アルカイーダの指導者が一人でも捕まったとか、あるいは知られる限り、 殺されたという証拠はない。タリバーンの指導者も同様である。 アフガニスタンは、1990年代にアフガニスタンを支配していた 人殺しを何とも思わない封建的勢力の時代、そしてタリバーンが権力を握る前と、 ほとんど変わっていない。
首都カーブルの見かけの変化にもかかわらず、女性は今もベールなしで外出しない。 「タリバーンは犠牲者の体を4日間公衆のもとでつり下げていた」と、米国が据えた 新政権の司法相は言う。「我々は、公開処刑ののち、 短時間しか、例えば15分しか、体をぶら下げておかない。」
ブッシュのように、そしてブレアーが繰り返したように、 これを「悪に対する善の大勝利」と述べるのは、 1940年にドイツの戦争機械をナチズムの正しさの証明として賞賛するようなものである。
英国海軍だけでなく英国の人々もだまされたと感じるべきである。 米国政府も英国政府もはるか前から、 アルカイーダはもはやアフガニスタンにはいないと知っていた。 国内を喜ばせるための復讐の要素はさておいて、アメリカ人は、 お気に入りの傭兵たち−自国の何千人もの死に責任のあるものたち− に対する統制を再確認しようとしているのである。
2001年10月、米国はパシュトゥン人のメンバーが支配する政権を据えようと計画していた。 タリバーンを離れると予期していたのである。 けれどもタリバーン分断は起こらなかったので、米国はやり方を変え、タジク人とウズベク人の軍閥を「同盟」にまとめようとした。 現在の「暫定大統領」ハミド・カルザイはパシュトゥン人だが、民族的にも軍事的にも権力基盤を有していない。 カルザイは米国の子分なのである。
「国際治安支援部隊」と言われるところの部隊を率いる英国海軍の存在は、 19世紀からそのまま受け継がれた理由によるものである。 米国の命令のもとで、英国海軍は、米国による石油をはじめとする戦略的利益が「安定化」するまで、 米国お気に入りの軍閥たちがお互いの喉元に剣を突きつけないよう見張っているのである。
中央アジアの大規模な埋蔵エネルギー資源は、大きな問題を抱える米国経済にとって、 そして、ブッシュ家をはじめとする石油企業の利害に支配されるブッシュ政権にとって、 決定的に重要である。香港のアジア・タイムズ紙が1月に行った調査によると、 米国は「カスピ海パイプラインの多重ネットワーク」を狂ったように開発している。
ブッシュの選挙キャンペーン最大の支援者の一つであった忌まわしいエンロンも、 カスピ海を横断する25億ドルの石油パイプラインの実行可能性調査を行っていた。 現及び元米国政府高官は、チェイニー副大統領を含め、「全員が、直接間接に、 石油企業のために取引を締結している」とアジア・タイムズは言う。
中央アジア一帯に「対テロ戦争」のために設置された米軍基地の地図があるとすると、 それが、ほとんど完全に、インド洋へ向かう石油パイプライン予定路に沿っていることはすぐに目に付くだろう。
むろん、ブレアも饒舌なジェオフリー・フーンも、 米国の帝国主義ゲームを演ずるために送られた英国兵士に対しては言うに及ばず、 英国の人々に対しても、この重要な情報をまったく提供していない。 幸い、英国兵士はおなかにくる風邪にしかかかっていない。 アフガンの人々はそれほど幸運ではなかった。
アフガニスタンにおける米軍の作戦行動が体系的に人殺しをしていることについての懐疑は、 5月に、麦畑で寝ている子供たちが射殺されたという報道が米国メディアでなされて吹き飛んだ。 4時間にわたり、米軍の戦闘用ヘリコプターが畑と村を銃弾とロケットで集中爆撃し、 それから米軍を展開するために着陸した。地上に展開した米軍は生き残りを射殺し、 他の「容疑者」を拘束した。
実は、この地域はタリバーンに反対することでよく知られており、 オルズガン地方の知事は、殺害された人々が「一般の人であった。アルカイーダも タリバーンもここにはいない」と確言した。
数ヶ月前、米国という無法国家は地球温暖化を押しとどめ環境破滅の可能性を減じる可能性を持ったでろう京都条約を反故にした。 米国は「先制攻撃」において核兵器を使用すると威嚇した(この威嚇はフーンによっても繰り返された)。 また、国際刑事裁判所設置をサボタージュしようとした。 米国の将軍たちや主要な政治家たちが被告として召還されるかも知れないことを考えると、これは理解できる。
米国は、さらに、ジェニンのパレスチナ人難民キャンプに対するイスラエルの攻撃を調査する国連委員会覇権をイスラエルが妨害するこをと認めて、 国連の権威をさらに傷つけた。 また、パレスチナ人に対し、選出された指導者たちを追放して米国の太鼓持ちを指導者とするよう命じている。
米国はイタリアでの世界食料サミットを無視し、カナダとインドネシアで開催されたサミット会議では、 地上で最も貧しい人々に対する清潔な水とか電気といった純粋な支援を妨害した。 米国における食料産業補助金を8割増加させる提案は、世界の穀物市場に対する米国の支配を維持するためのものである。
(世界最大の食料会社であるカーギル社の代表取締役は次のように言う。 「毎朝、朝食の食卓から立ち上がったとき、シリアル、パン、コーヒー、砂糖など、 食べたもののほとんどが、私の会社の土地を通過している。」カーギルの目標は、 5年から7年ごとに、規模を2倍に拡大することである。
米国の無法なふるまいのほとんどには、絶望がつきまとっている。 ワシントンを運営するキリスト教「自由市場」原理主義者は心配している。 米国の財政赤字は現在記録的な340億ドルに達しており、 膨大な米国国債の海外購入者は急減している。米国株式市場はひどく過大評価されており、 ドルの行方は不明確である。
ある評論家が述べたように、 「ブッシュ・ドクトリン」は「米国の独占資本の要求に従って世界を並べようとする最後の試み」のように見えるのである。
つまり、これは、昨日の株式市場の劇的な落ち込みが示すように、 米国経済が深刻な凋落を始める前の最後の犀のひとふりなのかも知れない。
それは、中央アジアの石油をはじめとする化石燃料支配を意味する。それはまた、 イラク攻撃を攻撃し、サダム・フセインを追放し世界第二の石油資源を獲得することを意味する。 それは、新たな経済的挑戦者である中国を基地で取り囲み、 主要な経済ライバルであるヨーロッパの指導者を、NATOを軽視し貿易戦争を仕掛けることで脅迫することを意味する。
私は少し前に米国を訪問した。多くの人々が心配していることがはっきりわかった。 けれども、多くの人々があえて否といえないことも。こうした人々の見解は、 おそらくはかつてないほどに自主検閲と自主規制を適用する米国主流メディアでは、 ほとんど報道されない。
その代わりに、ワシントン・ポスト紙のチャールズ・クラウサマーのような見解が 満ち満ちている。これからの50年間の世界を記述する中で、 「単独主義が我々の成功への鍵である」と彼は欠く。 米国以外のあらゆる国の市民に核攻撃や環境破壊からの保護がない世界、 米国の「利益」と対立するならば「民主主義」という言葉は何ものでもない世界、 そうした「利益」に反対を表明することにより、テロリストと決めつけられ、 監視と弾圧が正当化される世界。
このような無法権力に対抗する方法は一つしかない。声をあげること。 それも、緊急に。我々の政府が声をあげないならば、我々があげなくてはならない。