もしあなたがテレビのニュースしか見ていないならば、中東紛争の根にあるものが何かについても、また、パレスチナ人が不法軍事占領の犠牲者であることも、まったくわからないだろう。
2002年5月、メディア分析の草分けとして著名な、英国グラスゴー大学のメディア・グループがイスラエル/パレスチナ紛争を巡る報道に冠する研究を発表した。この研究は、ニュース編纂室やメディア教育機関で必須資料とされるべきものである。研究は、ニュース報道−特にテレビの−が、紛争とその起源に関する人々の無理解に輪をかける結果となっていることを示している。
パレスチナ人が不法な軍事占領の犠牲者であることが視聴者に伝えられることはほとんどないと研究は述べている。「占領地」という言葉はほとんどまったく説明されない。実際、イスラエルが占領者であり、「入植者」がイスラエル人であることを知っていたのは、インタビューを受けた若者の9%に過ぎなかった。言語の選択的利用が重要な役割をもっている。
この研究はまた、「殺害」、「残虐行為」、「リンチ」、「残忍で冷酷な殺人」といった言葉が、イスラエル人の死について述べるときにのみ用いられることを示した。グレッグ・フィロ教授は、「説明を『逆に』してパレスチナ人の行動として提示してみると、ジャーナリスムがどれだけイスラエルの視点を取り入れているかがわかる」と述べる。「『パレスチナ人による攻撃はイスラエルによる不法占領に抵抗している人々の殺害に対する報復である』と報道するニュースに出会わなかった」。
紛争の中心にある真実がいつもいつも曖昧にされたままであることを考えると、これは驚くべきことではない。イスラエルが、おおむね武力によって、歴史的にパレスチナと言われる地の78%の上に建国されたこと、そして、1967年以来、残りの22%の土地を不法占領し、様々な軍事支配体制をしいてきたことを、視聴者に伝えるニュースや時事番組は、ほとんどない。
メディアの「報道」は、はるか以前から、弾圧者と犠牲者の役割を逆転させてきた。イスラエルがテロリストと呼ばれることは決してない。このタブーを破る特派員は、しばしば、反セミティズムの汚名を着せられる。パレスチナ人もセム系であることを考えると、暗澹たる皮肉である。
ずいぶん前に自らの土国の3分の2に対するイスラエルの「権利」を認めたパレスチナ指導陣は、パレスチナ人の新の独立を否定しイスラエルによる覇権と統制の継続を意図した大部分が米国の手になる計画の迷宮に自らを合わせようと身をよじらせてきた。
ごく最近まで、無批判に「和平プロセス」と呼ばれてきたものがこれである。「もうたくさんだ!」と叫び、パチンコを主な武器として第二のインティファーダに立ち上がったパレスチナの普通の人々は、米国が提供した高精度の武器と戦車、アパッチ戦闘機により狙撃され倒れて行った。
絶望から、一部の人々が自爆攻撃に訴えはじめた今、パレスチナ人は、爆弾を仕掛けたり暴動を起こすものとしてしかニュースに現れない。グラスゴーの研究が指摘するように、「これはまさに、イスラエル政府の見解である」。最新の宴曲話法である「急襲」は、ベトナム戦争で発明された嘘のための語彙から採用されたものである。この言葉は、戦車や戦闘機を用いた人々への攻撃を意味する。「暴力の連鎖」も同様である。この言葉が含意するのは、せいぜいが、同等の立場にある二者であり、パレスチナ人が暴力的な弾圧に暴力で抵抗しているということを伝えはしない。
英国チャネル4TVディスパッチは最近、イスラエルによるジェニン難民キャンプ攻撃を、パレスチナ人による「入植地」攻撃によって、「バランス」させた。それが入植地などというものではなく、パレスチナに対して戦略的・軍事的統制を強制しようとする政策の中核にある武装した不法な要塞であるという説明はまったくなかった。
2002年6月9日、BBCテレビの特派員シリーズは、ベツレヘムの生誕教会包囲攻撃に関する報告を放映した。この番組は、グラスゴーの研究が示した問題を例示するものである。番組は、実質的に、BBCが流したイスラエルの占領プロパガンダであった。番組は米国の番組との共同製作で、制作者リストには、イスラエルの番組制作会社を経営するイスラエル・ゴルドヴィヒトの名前があった。
制作者たちが自ら取り入ったイスラエル軍に対し疑問を呈する試みがなされていたなら、この点は問題ではなかったかも知れない。「イスラエル人たちは、建物に損害を与えない決意を持っていた」という言葉で、ナレーターは始めた。「国際報道陣はマンガー広場から退去させられたが、我々は残ってイスラエルの作戦を観察することを許された」。
この「特権的アクセス」については視聴者に説明せず、番組はある大佐を、「負傷した人すべてに医療措置」を保証し、オックスフォード・ストリートの友人に携帯電話で陽気な挨拶を送り、そして他の大佐と同様、パレスチナ人についてパレスチナ人のために語る、これ以上ないいいやつとして示していた。
大佐は「殺人者たち」について述べていたが、これについての疑問はBBC/イスラエル・ゴルドヴィヒト・チームからは出されなかった。これらの人々は、祖国への侵略者に抵抗するものではなく、「テロリスト」であり「ガンマン」だった。外国の平和的抗議活動家を「逮捕」するイスラエルの権利についてBBCは何も質問しなかった。パレスチナ人は誰一人インタビューを受けなかった。大佐の横顔に夕日が沈む中、善良な大佐が最後の言葉を発した。イスラエル人とパレスチナ人との問題は、「個人的な視点の問題」である、と彼は述べた。
そうではない。どのように法律を解釈したとしても、パレスチナ人を残忍に弾圧し服従させることは、大規模な不正であり、番組中の大佐が主導的な役割を演じている犯罪行為である。BBCは常に、世界中でも最上の、最も洗練されたプロパガンダを提供してきた。正と不正、善と悪の問題を、単に、「バランス」とかリベラルな洗練によって強奪してきたのである。人は、「親イスラエル」か「親パレスチナ」のいずれかだというわけだ。
特派員シリーズの政策責任者であるフィオナ・マーチは私に、制作者が真にジャーナリスティックな質問をしていたら、イスラエル・ゴルドヴィヒトがイスラエル軍の「信頼」を得ることはなかったろうと述べた。それが「壁の上の蝿」のように黙って状況を目にし耳にするもののやり方だと。率直な告白である。
「番組はステレオタイプを破っている」と彼女は言った。「善良な、まっとうな男(大佐)についてのものだ」と。特派員シリーズの以前の番組を見るべきだった、そこにはパレスチナ人がいる、と彼女は私に述べた。
彼女はこの番組を、ベツレヘム包囲攻撃について「バランス」を取るために提供しようとしたのだと思われる。仮に、民族的相違を基準にして人権を否定し、起訴も裁判もなしに人々を投獄し、「体系的」殺害と拷問を行うとアムネスティが述べている政権への共犯映画とされないとしても、安手のPR映画に過ぎないようなものを。
ゲッペルスなら賞賛したろう。
占領地についてのきちんとした地図が報道で説明されることは多くありません。パレスチナ周辺の地図もご覧下さい。