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21世紀に入って一年が過ぎ、2002年の春がやってきます。音協会員のみなさん、お元気でお過ごしでしょうか。最初からいきなりで恐縮ですが、ここでクイズです。2002年という年は横書きにすると左右対称です。では、次に左右対称となる年は何年後でしょうか。簡単すぎます?
そうです。110年後の2112年です。「それがどうしたんだ」などと言わないでください。
SF映画「2002年宇宙の旅」が描いた時代は「過去」となりました(知らない人、ごめんなさい)20世紀を代表するミュージシャンのジョージ・ハリスンはこの世を去って、今頃は天国でジョン・レノンと一緒に新バンドを結成している頃でしょう。とにかく、21世紀の大衆音楽がこれからどんな風に歩んでいくのか、私は見守っていくつもりです。
ところでもう一問クイズです。前回、左右対称だった年はいつだったでしょうか。これも簡単すぎますか? 11年前の1991年、ついこの前なんですね。何だか海図のない航海のように、過去に前例のない時代を我々は進んでいる、そんな気がします。「オンリー・イエスタディ」を書いたF・L・アレンの言葉を借りるならば「新しい価値の体系が要求されている」そんな時代なのでしょうか。
2 不思議の国、日本
ところで、前号の「わがまま音楽紀行」は、夜にシンガポールにたどり着き、宿を求めてタクシーで走り出したところまででした。カーラジオからジャズを流しながら、真っ暗な道をタクシーは走っていきます。なんでもいいから宿へ行ってくれ、という私のわがままを聞いて、車は郊外のビジネスホテルに着きます。「部屋ありますか?」「ありますよ」「シングルはいくらですか」「50ドルです」「お風呂あります?シャワーじゃない、バスタブのやつ」「はい、あります」というわけでやっとねぐらを探し当てました。部屋に入り、ああやれやれと背中のリュックを降ろします。時計は午前2時です。
突然ですが、ここでいつものように話が脱線します。シンガポールは人口300万人あまりの島国で、1人あたりの年間所得1万ドル以上という先進国です。赤道直下の「先進国」なんて、世界中でシンガポールだけです。この国を訪れると、常夏の太陽の下、外見上はまるでヨーロッパの都市へ出張でやってきたような気分になります。高層ビルの並ぶ都心、緑いっぱいの公園、整った街並み、道はゴミも渋滞もなくクリーンです。
この小さな島国でも、公用語の英語や中国語以外に、マレー語やヒンディーなどが使われます。色々な顔立ちの人が行き交い、様々な言葉が飛び交います。人々もバイリンガルです。見ず知らずの相手に「何語で」「どのように」呼びかけたらいいのか、「ハロー」なのか「ニイハオ」なのか「セラマット」なのか、使えるボキャブラリーは少ないながら一応考えるのです。
ところで、前回のタイ旅行でのことです。ミャンマーとの国境のラノーンという街に着いたとき、同じバスに乗っていた僧侶姿の青年が突然、「どこへ行くか」と日本語で話しかけてきました。私は驚きました。聞くとビルマの僧侶だということです。彼は、手さげ袋の中から日本語の単語帳を出してきて、「日本語を学習している」と言います。
いったい何のためにビルマの僧侶が日本語を学んでいるのでしょう。それが何の役に立つのでしょう。手さげ袋の中の日本語単語帳は、いったい何に使うのでしょう。目の前の若い僧侶の笑顔を見て、言葉の持つ力を改めて考えさせられました。
ひるがえって日本は日本語の国です。当り前のことが、日本から離れると不思議です。1億人以上の人が住む国で、ひとつの言語で何もかもが間に合うというのは、まさしく不思議の国、日本です。ことばで苦労しなくて済むのです。英語なんて覚えなくても生活に困ることはありません。
3 宣伝です!
個人的なことですが、昨夏にスタートした私のアルバム作りは2001年の末で完了しました。全ての作業が終わったのはクリスマスの夜です。マルチ録りという多重録音のレコーディング作業をひととおり経験して、これなら自主製作アルバム作りは誰にでもできる、と確信しました。
オリジナルの楽曲を録音して自作のアルバムを作る、というのは夢です。ひとつひとつの楽曲の誕生からそれが実際の音になってこの世に生まれ出るには、一粒の種から芽出て花が開くように長い時間がかかります。でも、音楽が好きで実践している人ならば自作アルバムはできるのです。
新しいアルバム作りは何年もかけての私のプロジェクトでした。すべての録音を終えた夜、飲んだビールの味わいは格別でした。酔った頭で新アルバムの試聴版を聴きながらあれこれ考えて、CDのタイトルを「惑星の空の下で」としました。 (つづく)