|
|
|
司会の松本敏之、右端司会の松本敏之、右端 2000年度なかまのうたの合唱で出演する自治労の仲間
★一番
仲間の歌をしっかり聞く態度が強く見える。十年前に比べれば参加者は少なくなっているが、拍手がジワーっとあたたかく響いている。音楽祭に結集した仲間のほとんどが参加した大交流会も影響したかもしれない。顔は見たことはあるが話したことの無い仲間と始めて話すことが出来た。しかし、私の利き酒何点だったのでしょうか。とにかく楽しい時間でした。
★二番
全逓の仲間の発表が活き活きと変ってきた。労働運動の面から言えば閉塞感が強いのだが、ステージはさわやかだ。佐藤みさ子さん、メロディーがきれい、しっとりとした声、それを生かす素敵なアレンジと演奏。スポットライトのトップバッターで上がり気味になり?、すこし音程が不安定になったが、落ち着いてうたったら震えが来るかなと期待してしまいます。
近畿支部、全逓のメンバーがたぶん多いのでしょう伴奏もすばらしいし、何より発表するぞの気持ちが伝わってくる(Vテープ販売にも現れている)。全逓音楽協議会、元気に楽しく歌っているのが見えて気持ちいい、ピアノとギターをいかした伴奏アンサンブルがまた心地よい、私もその中に入って一緒に歌いたい。たぶん、全逓の仲間は、今自分が存在していることを確認できたのではないか。
★三番
富山の演奏は、ししの子・県支部・CAMと聞いたが、雄大・厚いハーモニー・元気を感じた。官公労の一万人集会に象徴されるように労働運動の厚みが『歌』に現れているのか。ただ、ピアノとギターの息が合えばもっといいのに。
★四番
日教組の構成「きわまりていのち」、接するのは2回目だが声の掛合いが心地よく突き刺さってくる。うたもいいが、言葉も使い方によって力が出てくる。自殺した仲間に対する想いが「言葉」にのせてただよってくる。
★五番
ギター合奏のラグリマ、素晴らしい演奏のように思ったが、ベールをかぶっているようで何か違う。生の音で聞きたかった。「なんで拡声装置を使うのだろう」。
★六番
指揮が出来てよかった。音楽祭になると毎年誰が何をするんだろうと思います。今年も松代に来てやることがわかりました。準備不足で、東京の森さんから何度も指摘されましたが、なんとか本番は間に合わせることが出来たか。しかし、時間がもっと欲しい。松本さん、もっと連絡が必要ですね。
★七番
会場が三百席と小さくなったのは残念だけれども、一方でマイクを通さず、生音で勝負できるチャンスだ。(これまでの音楽祭でマイク無しは声楽家の発表しか経験がない。)装置をうまく使えばソロやもともと音が小さい伴奏楽器、音量が必要なロック等や今回のゲストコーナーのように効果的に使うことが出来るのだが、大部分リハ無しの現状でどうなんだろう(ミキサーが悪いと言うことではない)。ねえ、藤原さん。
合唱の場合マイクに近い人の声だけ伝わり、練習と雰囲気が違ってくることがあることが多い。発表する側にとっても拡声装置が間に入ることは、本当の音が伝わらない可能性があることを考えてみてはどうか。次回は、ぜひ生でやってみたい。
★最後に
来年も音楽祭を続けたい。日音協を取り巻く情勢が大きく変ろうとしている今、音楽祭を続けること自体財政的に組織的に難しくなってきている。
自治労音協が自治労に認知されることも大切だが、同時に日音協を存続させることも非常に重要だ。音協会員の皆さん、日音協の会員加入も考えてみてください。
|
長野で開催された「はたらくものの音楽祭」に、久しぶりに楽しい思いで参加してきました。
まず、全日程が無理なく計画されていて、あわただしい思いをしなかったですね。参加者が少ないなりに、みんなで作り上げようという雰囲気が感じられ、会場づくりや進めかたなど、全体を通して丁寧に取り組まれていたと思います。事前からの長野の皆さんの意気込みが、伝わってくる手作りの「音楽祭」だったのではないでしょうか。
日音協富山県支部としては、比較的近い長野県開催ということで、昨年の沖縄に引き続いて気心の知れた多くのメンバーが参加できたこと、事前の数回の練習に各自が努力して参加してきたことも成果のひとつだったと思います。県支部としてはメンバー作曲の「時は刻むもの(詩・曲大門悟)」「竹よ空高く(詩・高山博:曲・中田信夫)」の2曲を発表しました。どちらも作者の特徴がにじみ出る富山らしい曲ではなかったかと思います。皆さんどうでしたか。
日音協富山の創作集団「CAM」(まだ存在しています)では、これまた富山らしい曲ということで、中田さんの「ゴールのない石ころ道」、中元由昭さんの「あなたにあこがれて」の2曲を歌いました。
いつもは暗いといわれる私たちですが、ちょっと若くて明るいメンバーが増えたことで、集まるのが楽しい集団となりました。楽しくなくては、元気も出ませんよね。来年も又…よろしく