自治労音協通信

 3面  NO38号/00.3.20発行

★舞台裏から見続けた二十年/第七話 芝居を見よう! Part 2

 NTT労組  常盤 数行

★ミレニアムでスタート

二千年も早いもので二ヶ月が過ぎようとしていますが、皆さん活動してますか?
いろいろ言い訳しながら怠け心をだしていませんか?
今年はミレニアム(千年紀)という年らしいのですが、昨年は二千年対応で大騒ぎしていましたが、何事かが起る事をちょっと期待しつつ、暮の三十一日は丸の内のパレスホテルでディナーショウの照明をやっていました。ショウが終わって、機材をトラックに積み込み終わったのが、十一時…これでは電車の中で新年になってしまう…電車が止まったらどうしよう…なんて考えながら0時を迎えたのですが、何事も起りませんでした。チョットばかり拍子抜けしたのは僕だけ?
というわけで、引き続き今年も元気よく舞台の仕事に取組んでおります。もちろん、会社の仕事もやっておりますので御心配なさらずに…(誰も心配してないか…?)
本題にもどって、前回ちょっとふれましたが、昨年十二月にやった芝居について書いてみたいと思います。、劇団名=ギルティー、演目=DOOR2、サブタイトル(Now&Hear)これだけでは、なんのこっちゃという感じですが、人間にとって様々なDOORをもっていて、そのDOORを開ける事で色々な世界が見えてくる。一つのDOORを開ければまたDOORがある。私たちと一緒に様々なDOORを開けてみませんか?がこの集団のコンセプトになっています。

★台本のない芝居

今回の芝居で、自分にとって初めて台本の無い芝居というものを経験いたしました。本当に台本がまったく無いのです。
音響、照明、その他のスタッフは芝居の流れを頭の中にたたき込んでおかなくてはいけないのです。というのも、この集団はインプロビゼーション(柔軟なセリフの対応とでも訳しましょうか)をとても大切にしており、芝居の構成はテーマを決めて、そのテーマにのっとり劇団員相互のディスカッションのなかで、お互いに確認しあいながら進めていくためなせるのです。役者連中はイメージがたたき込まれているため、アドリブも入れながら演じていきます。
スタッフも役者の演技やセリフに反応しなくてはいけないため、緊張感の持続が勝負となってきます。台本のある芝居が緊張感がなくて良いという事では無く、台本のある芝居より更なる緊張感が求められるという事です。二日目の公演でセリフキッカケで音楽がINすることになっていたのですが、セリフが違う言いまわしになったため、普通では戸惑うところですが雰囲気を把握している音響担当は慌てることなく見事なタイミングで音楽をスタートさせていました。このような事は本来あってはいけない事なのですが、舞台では何が起るかわからないため、どんな状況にでも対応できるようにならなければ、本当のスタッフになれているとは言えないのでしょう。
インプロビゼーションの訓練を行っているこの劇団の特徴として、役者個々の目線の使い方が素晴らしいという大きな特徴があります。生きている目線とでもいいましょうか、見つめられたらゾクッとしてしまう雰囲気があるのです。目線の使い方はとても重要で、たとえば音楽祭で譜面で顔をかくして歌ったり、下を向いて歌ったりしている人がいますが、そのような舞台を見て皆さんどう感じますか?緊張感は伝わってこない事は事実と言えるでしょう。もっと自信をもってと言いたい感じです。
文化活動を推進されている皆さん、いろんなジャンルにふれてみて感性と自信をもっともっと伸ばしていって素晴らしい舞台を作りあげて下さい。そして、ふれるジャンルに芝居を選択肢の一つに加えて下さればと思います。演劇界全体の観客動員数はここ何年も増加していないのです。
というわけで、この夏、西荻窪でこの劇団の公演をやりますので、ぜひ見に来てください…!            

●労働歌は心の絆
 
出典:ゼンセン新聞1997.4.24より一部抜粋・ゼンセン同盟書記長菅井

今から十八年前、「国のすみずみから」などすばらしい労働歌が第五十回中央メーデーで紹介され、当時は組織的に競争、競合関係にあった総評と同盟など、組織の枠組みを超えて多くの組合員に親しまれ、いまだに記憶のなかで歌い継がれている。それ以降、このように多くの仲間にくちずさまれ、うたい継がれるような新しい労働歌はほとんど生まれていない。
やがて、”カラオケ全盛時代”となって、人前ではめったに口をきかない消極派人間までもが、一旦マイクを握ると人が変わったように積極果敢に変身する。そんななかで、労働歌との関係でいうならば、自分の好きな歌を自分一人で歌うのならいいが、『労働歌はダサイ!』ということのようでまさに”商業歌”(コマーシャルソングではない)に労働歌が駆逐されてしまったかのようである。
校歌や寮歌、そして軍歌や各地に歌い継がれている民謡(労働歌が多い)などを引き合いに出すまでもなく、歌は古くから私たちの生活に深い関りをもってきた。先人達は、うれしいにつけ、悲しいにつけ、歌で仲間と心をつなぎあい、なぐさめあいながら企業や組織のなかで、お互いの絆を強めあってきたのである。そしてそれがまた、「歌の心」であったともいえよう。しかし近年は、そうした歌の心も様変わりし、仲間との絆を大切にすることより、カラオケマイクを通して同僚よりいかに上手に歌いこなすかを競い合って自己満足する、いわゆる歌も形を変えた一つの「自己主張の場」になってしまったようである。
折しも、わが国労働組合の組織率は年々下降の一途をたどり、あの素晴らしいメーデー歌が全国津々浦々にこだました十八年前(一九七九年)には三一・六%あったものが二一・二%にまで落ち込み、歯止めのきかない状態が続いている。組織率の低下はとりもなおさず労働運動の力量の低下を意味している。
労働歌を歌うことで運動の力の回復がなると思はないが、第六十八回メーデーも目前である。年に一度くらいは「カラオケ大好き組」の若者も、みんなで労働歌に声をあわせ、労働者が団結することの大切さや、励ましあいの大切さを確認しあってみてもよいのではないか。


★マンガにリンク

自治労名古屋市職労の山口 真さんのまんがです。
主人公は、沖縄の石垣島の民謡歌手安里 勇さんでしょうか?


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