自治労音協通信

 4面  NO35号/99.9.10発行

☆道楽道

舞台裏から見続けた二十?年 第5話 

NTT労組  常盤 数行

「間」

今回は、舞台表現では一番重要な「間」についてお話ししたいと思います。
「間」を辞書でひも解けば、@空間的なあいだ、すきま A時間的なあいだ、ひま B頃合い、しおどき C具合、ばつ D演劇・演芸・舞踊・音楽のせりふとせりふ、動作と動作、音と音等の時間的間隔 E謡曲で、前句の語尾をのばす事stc・・の様な記述がされています。
いい舞台であるかそうでないかは、もちろん個人個人の技量の問題もありますが、この「間」の良し悪しが大きな比重を占めていると言っても過言ではないでしょう。
私はJAZZが好きでたまにライブハウスなんかにふらっと出かけますが、テーマからアドリブ又アドリブからテーマにもどるときなんか、なんとも言えない絶妙のタイミングでつながって行きます。聞いていてワクワクしてくる感じがします。演劇の世界でも同様で、役者どうしでセリフをしゃべっていても、Aがしゃべって次にBがしゃべるというように相手のしゃべり終わりを待って自分がしゃべる。このような芝居を「段取り芝居」とか「追っかけ芝居」とか言いますが、このような芝居は見ていて面白いというものではなく、直ぐ夢の世界に引き摺りこまれてしまいます。しかし、セリフや役者のからみがいいと舞台が生きてきます。生きている舞台は見ている人達に感動を与えます。
観客も舞台との「間」を持っているわけで、「劇団四季」の浅利慶太氏は、どん帳の上がりきる時間が何秒かかかりすぎるため、これではお客様が待ちきれないと、どん帳を交換させたという逸話がありますが、これは観客との「間」を意識した結果でしょう。もちろん、出演者とそれを支えるスタッフとのあいだにも「間」の取り方はとても重要で、よく呼吸を合わせるともいいますが、これが出来なければ舞台を台無しにしてしまう恐れがあります。
照明でも、役者やプレーヤーの息づかいを感じとっていないといいオペレーションは出来ません。明かりを点ける、消すのチョットしたタイミングのずれが「間」がぬけたものになってしまうのです。
音楽でも、ロック等のビートの効いた曲で明かりをあおる(点滅)場合、リズムに合わせたあおりが必要です。人間が演奏するものですから、どんなに正確で一定したリズムは難しくここでも、プレーヤーに息を合わすことが重要になってきます。又、野外ステージ等でステージとオペレーション・ブースがかなり距離がある場合、音はかなり遅れて聞こえてきます。そんな時、聞こえてくる音に合わせてのオペレーションでは間がぬけてしまいますので、ややリズムの先取りが必要になって来るわけです。
プレーヤーどうしや、役者どうしで息があわない「間」の悪さはスタッフがいくら頑張ってもカバー出来るものでは有りません。しかし、息のあった演奏や芝居をスタッフの気のゆるみによって壊してしまうことは有りうるのです。そんな事が決してないように、私たちは頑張っていかなくてはいけないのです。
「間」がいい、すなわち息を合わせることは普段の生活の中でもいえることで「間」を大切にして行きたいものです。  (つづく)

音楽夜話
私とブルーグラス 第9話 
 
栃木県職労 松本 敏之

★ブルグラフェスティバル

夏も盛り。夏といえば、ブルーグラスフェスティバルです。
ブルーグラスフェスティバルというのは、夏、どこかキャンプ場みたいなところで、朝から晩までブルーグラス好きが集まってブルーグラスを演奏する(ブルーグラスが聞ける、聞かされる)という集まりです。現在、世界的にもっとも有名なのは、『音楽運動』八月号の北海道版にも登場したビーン・ブロッサム・ブルーグラス・フェスティバルでしょう。インディアナ州ブラウン・カウンティのビーン・ブロッサム村(マメの花!?)で毎年開催されるもので、亡くなったブルーグラスの父、ビル・モンローが主催していました。今は、どなたが主催しているのでしょうか。ビーン・ブロッサムの様子は、日本でも簡単に手に入る、ライブレコードで伺うことができます。御大ビル・モンローのほかに、レスター・フラットとナッシュヴィル・グラス、ジム・アンド・ジェシー、ジミー・マーティンなどの大御所の演奏が二枚組に収められています。
ところが、残念ながら私はビーン・ブロッサムに参加したことはありません。私が参加したことのある唯一のブルーグラスフェスティバルは、箱根は夕日の丘で開催される(開催されていた?)サンセット・クリーク・ブルーグラス・フェスティバルです。私が参加したのは、もう二十年近くも前のことですから、今もこのフェスティバルが続いているかどうか、わかりません。キャンプ場の入り口で入場券代わりのバンダナを受け取って中に入ると、例のごとくのブルーグラスの演奏が聞こえてきます。午後から夕方にかけて、一バンド二十分か三十分のステージが延々と続きます。もちろんみんなブルーグラスの演奏です。これをずっと聞くだけでも相当の地獄(または天国)。夜も暗くなってステージが終わると、今度はビールやバーボンで酔っぱらった参加者によるジャム・セッションがあちこちで始まります。楽器を持って輪の中にはいってみましょう。十数人がそれぞれの楽器を持って、一緒に演奏し、歌っています。いつもはそれぞれの地域で別々のバンドで活動している人たちです。それが一堂に会して、ブルーグラスのスタンダードを中心に、いろんな曲を歌い、コーラスをし、即興演奏をします。何曲か、または何コーラスか進むと、新入りのあなたにもワン・コーラス、アドリブで演奏しろと声が飛ぶでしょう。見事に演奏しおえると、大歓迎されます。それほど見事でなくても、仲間入りして朝がくるまで、または全員が酔いつぶれるまで次から次へと曲を変えて同じことがくり返されます。周りを見ると、このような輪がキャンプ場のあちこちにいくつもあって、それぞれがアドリブの腕を競い合っています。
恐らく日本でもっとも大規模で歴史も長いのが、宝塚ブルーグラスフェスティバルではないでしょうか。何にしても関西が強い日本のブルーグラス界。私も一度は行ってみたいと思いながら、二十年がたってしまいました。   (つづく)

地連別夏期交流集会参加の感想

★「また来るぞー!」”その前に来年の中央にもいこう”

(東北地連参加)新潟市職労 山田 芳裕

第十三回東北地連夏期交流集会文化班に初めて参加しました。
いや〜とっても楽しかったです!七月二十三(金)〜ニ十六(月)福島県桧原湖畔碇潟キャンプ場に集まった文化班は男七人、女三人計十人でした。班長佐藤智子さん、チーフ佐藤仁一郎さんの上手なまとめ方でこの四日間を過ごすことができました。
前泊で二十三日の昼に、ボロボロの小屋に集まると自己紹介をしました。その後夜まで仲間の歌、組合歌などの練習をしました。ボロボロの小屋なのでいろんな羽虫がどこからともなく部屋に入ってきて体から払いのけるのが大変でしたよ。(笑い)
二十四日集会初日、青森、秋田、岩手、宮城、山形、福島、新潟の七県から約八百名を、文化班は野外特設ステージで仲間の歌を歌って迎えました。開会宣言、基調講演が終わり第二部へ。夕日が沈みかけて黄金色に輝いた桧原湖に突如黄金の声が突き抜けました。新潟市tyのロックンローラーBaby★Babaの歌です。続いて劇団はぐるま座による三人のハーモニー『ヘリポート建設絶対反対〜!』という歌がとても印象的でした。続いて急遽飛び入りの佐藤正和先生がキーボードの弾き語りを。数学の公式の歌が印象的でした。この三人のそれぞれのイメージをメインの構成詩の前にもってきたのは今回が初めてで、いろいろ不安はあったみたいですが、非常にモリ上がり、全組合員が楽な気持ちでこの集会に溶け込めることが出来たという事で、良い結果を得られたそうです。
構成詩は青森、山形、福島のみなさんが行ってくれました。ちなみに、司会は文化班から私山田芳裕(新潟市職労)と永井明美(新潟佐和田町職労)がアドリブばかりの絶妙なコンビネーションで決めてくれました。
二十五日は朝から午後二時半まで職種別分散会の後のスポーツ交流の時間文化班は部屋に戻り文化班の歌を作りました。(近日発表!)夜になると文化班コンサート、いわゆる一人一芸を披露、歌を歌う人、笛を吹く人、佐渡島の踊りを踊る人ととても楽しくに賑やかでした。最後に佐藤仁一郎チーフのリードにより、インターナショナルを皆で歌いました。
熱くなった体と燃え尽きる一歩手前の気持ちの私は最後の三日目の夜”ボロボロの小屋だけどずっとこのままここにいてもいいな〜。”なんて思いながらMy寝袋に入りました。そしてグー。
…………二十六日閉会集会↓各班の紹介の中で「また来るぞー!」発言した私は昨日家に届いたこの集会の写真を見ながら”その前に来年の中央にもいこう”と思ったのでありました。

★初コント出演

写真は『コント自衛隊part9』上演の植木、黒沢、宮内

(関東甲地連参加)群馬県 黒沢 真由美

夏期交前日「いったい何をさせられるんだろう?」という不安と期待?を抱えて集まった仲間は、総勢十二人のうち半数が初心者(私も)。台本が配られ配役が決まり、練習が繰り返されるにつれ、重苦しい雰囲気が漂い始めました。「こんなにも沢山のセリフや歌が覚えられるんだろうか」セリフをぶつぶつ呟きながら、来るんじゃなかったと後悔しつつ、本当に舞台の上で演じることが出来るのかしらという不安を抱えたまま、無情にも時だけは過ぎていきます。
夜になると講師のNOさんの苛立ちも感じられ、声が出ないもどかしさ、いくら声を張り上げても会場全体に響かない。こんなにも声を出すこと、響かせることが難しいとは。焦りばかりでコントのセリフも全然入らない。どうしよう。
当日は歌もセリフもほとんど一夜漬け。自信がないから大きい声が出せません。そんな状態でとても満足できる舞台をお見せできる筈はありませんでしたが、何とか初コントも終了。構成詩もどうにか発表できました。本当にNOさんと舞台の関係者の皆さんに感謝します。でも閉会集会では文化班の人数も五人に減ってしまい、勇ましいインターを歌うには、ちょっと迫力不足だったでしょうか。次回また参加することがあったとしたら?その時はもう少し仲間を誘って行きたいと思いました。
初の文化班参加で、夏期交の楽しさをまた発見できた気がしました。でも『コント自衛隊』で笑いが取れていたかどうか、私は客席の反応をきにする余裕がありませんでした。御覧になった方はいかがでしたでしょうか?

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