自治労音協通信

 2面  NO35号/99.9.10発行

わがまま音楽紀行(連載第5回)

★香港から北京編

大阪市職労 宮本雄一郎

万里の長城のトイレの看板です

北京天安門広場の国旗掲揚

★香港で夕食を☆香港世界的魅力

前回の「わがまま音楽紀行」は香港の周辺をあてもなくうろついて終わりました。いつも気の向くままに話があちこちへ飛んでしまうので、「なんじゃ、この連載は」というような気分の方もあろうかと思います。広い心と根気ある音協会員の方はどうぞ見捨てずにお付き合い願います。
さて、前号で書き忘れたのですが、香港は食べ物のおいしいことと夜店が楽しいことが最大の魅力です。和食洋食はもちろんインド料理やベトナム料理、中華料理の中でも広東料理や上海料理、はたまた韓国焼肉店など、街中が書いているだけでよだれが出そうな世界の味のオンパレードです。
大阪ではおいしいものを食べるためなら何時間でも列に並んで待つ、というのが気風というか土地柄です。なぜか食べ物への執着が強いのです。香港に来ると、極彩色ネオンの看板を見て歩きながら、「今日の夕食は何にしようかなあ」と考えるのが楽しみです。地下鉄モンコック駅の近くにある「東大門」という韓国風焼肉店は最近のお気に入りで、香港に立ち寄るたびにこの店に通っています。
ところで、世の中はうまくできているもので、香港では夕食を食べ終わる頃には夜店が全盛の時間帯となります。地元の人々で満員の「男人街」や「女人街」と呼ばれる有名な夜店街を見て回ります。路上で食べ物や飲み物を売る店、衣服や時計、下着、アンティーク、おもちゃ、本やCD、中国古典劇やら民謡をうなる人、いったい何に使うのかわからない品物など、およそ考えられるありとあらゆる変なものがそろっています。
夜店の屋台でGショックの偽物をながめていたら、店の主人が寄ってきて「これ、カジノ時計」といって別の時計を出してきました。一見普通の時計なのですが、文字盤が二段になっていて、表の蓋を開けると内側はさいころが三つ入っているカジノ場になっています。「これならいつでもどこでもギャンブルができるよ」と勧められて、私の友人は数個買っていました。
私がカジノ時計を買わないでいると、店の主人は「これ、楽しい時計」といって別のを出してきます。時計の文字盤は女性の写真です。「これ、どうして楽しい?」と聞くと、主人は「これ、楽しい」と言いながら文字盤を暖めています。見ると女性の姿が変化してヌードになっていきます。「どう、これいいでしょ、ほれほれ」といいながら店の主人は暖めた文字盤を私の顔の前に差し出して「どう、楽しい? どう、楽しい?」と迫ります。「楽しい」と応えると何か時計を買わなければいけないような気になるし、「楽しくない」と言うと店の主人のせっかくの熱狂的なサービスに対して申し訳ないような気がするので、私はヌードの文字盤を見ながら「はあ、いやあ、これはまったく…」などといいながらあとずさりしていったのでした。
まあ、こんなことはどうでもいいことなのですが、香港の魅力は、音楽も含めてこんな無秩序で混沌とした世界が奇跡的に存在しているということなのでしょう。

 ★ 北京で朝食を☆揺滾的 首都(ロックの首都)

香港からはるか北へ飛ぶと中国の首都北京です。今年は北京が中国の首都になってから五十年という年になります。そして、中国の首都北京は、政治的な中心という顔とは別に、「ロック音楽の首都」という知られざる一面も持っています。
五十年代にアメリカに発したロック音楽の波は、六十年代に入るとイギリスで独自の発展をし、七十年代には世界中にその影響を広げていきました。中国は、こうしたロック音楽の影響力からもっとも遠い位置にあった国です。その中国にロックの影響が及んだのは八十年代になってからでした。
最近日本でも知られるようになりましたが、中国のロック歌手崔健(ツイジェン)は、はじめて中国でオリジナルのロック音楽を創造した音楽家であり、中国ロックの第一人者として有名です。もしロック歌手の世界人気投票を実施したら、彼は第一位になるかもしれません。
彼の作品に「一無所有」(邦題「俺には何もない」…何ひとつ持っているものはない、という意味)という歌があります。この歌は八九年の中国民主化運動で学生たちにも愛唱されました。「一無所有」は中国にロック音楽の誕生を告げた歴史的な曲なのです。
この曲を含め、崔健の発表した「新長征路上的揺滾」(あたらしい長征のためのロック)というアルバムは、中国大陸の若者たちに、今までとまったく違う新しい音楽の存在、その音楽を自分の手で作り上げることができる、ということを事実をもって示したのでした。
ロック音楽の存在は、中国では未だに公式には認められていません。ロック音楽の存在そのもの、ロック音楽を作り演奏し発表すること、新聞やテレビなどのマスコミに載ることなど、一部の例外を除いて許されていないのです。彼等は細々と自分たちのアルバムを販売したり、チャリティなどの合法的公演を行ったりして音楽活動を続けています。だが、こうした圧力の存在は、逆にロック音楽の持つ若者への影響力を証明するものでもあります。ロック音楽が支配層から危険視されるという事実は、ロック音楽が誕生したときからの宿命であり、ロックの歴史は文化的抑圧の歴史でもあったからです。
中国の首都北京は、政治的にもっとも厳しい制約のある場所です。それでありながら、北京は「ロック音楽の首都」という側面も併せ持ちます。中国の中でもっとも先進的で優れた音楽家が北京に集まってくるからです。
北京でおいしいものは北京ダックと羊のしゃぶしゃぶ鍋です。北京の繁華街王府井や西単を歩くと、人ごみの中にどこからともなく料理のにおいが漂ってきます。そして、街のレコード店のスピーカーからは、崔健のしゃがれた声が、「お前は俺を笑うだけ、俺には何もないと…」と呼びかけているのが聞こえてきます。
世界でもっとも遅れてスタートした新しいロック音楽の小さなうねりが、確かにここに息づいています。
(つづく…かもしれない)  

★サークル奮闘記
「岩手県職労バンド」発足物語(氈j

岩手県職員労働組合県職労バンド 
主任雑務手/兼書記長 高橋 伸明

後段左から 高橋TP、菊池TP、畠山As、石川Ds、大沢Tp
前段左から 伊沢代表Tp、富岡Ts、佐藤G、大内前代表As

◆「岩手県職労バンド」とは?

ビッグバンド形式の演奏集団です。会員資格は岩手県職労組合員であること。バンド編成はトランペット六、アルトサックス二、テナーサックス一、トロンボーン五、チューバ一、エレキベース一、ストリングベース一、ギター二、キーボード二、ドラム一の合計二十二名、うち女性は四名です。しかし、一度も全員が揃ったことはありません。
現代表は伊沢昌弘・県職労特別中央執行委員(岩手県議会議員)です。

◇ 結成よもやま話

当バンドは一九八八(昭和六十三)年の結成です。俗に言う「飲んだ時の話」で、岩手県職労書記長を退任して暇を持て余していた伊沢昌弘さんや、地元のジャズバンドで活躍中の大内雅貴さん等が県職労定期大会の懇親会の際、前任地や独身寮に住んでいる仲間に管楽器を演奏する人が多くいることに気付き、「県職労組合員は約四千人もいるし、自分の回りは楽器を演奏できる者が多い。だから、集めて、将来はブラスバンドにしよう」と酒を飲みながら、文字どおり「吹いて」歩いたのがきっかけとなり、その結果、岩手県職労バンドがめでたく結成されました。
初代代表は花巻支部の役員をしていた大内雅貴さん。代表兼世話役としてこの役を押しつけられました。発足当初のメンバーは約十二名。そんなわけで、私も高校時代はチューバ演奏者だったわけですが、「トロンボーンを吹く者がいないから来い!」と職場に電話があり、急造トロンボーン奏者として、県職労バンドに参加しました。


◆練習場所ではカツ丼が 待っている!

メンバーは広い岩手県内各地から車で集まるため、駐車場があり、また、会場使用料が安いところを探したところ、盛岡市郊外にある岩手県畜産研究所の会議室を使わせてもらいました。昼は「駅前食堂」のカツ丼を出前で取ることが決まりました。この駅前食堂も曲者であり、とてもその食堂に行って食べたいとは思わないようなキタナイ店です。(今もバンドメンバーの大半はこの事実を知りません)出前が来るのを待ちながら練習をしました。
当然、この会議室は冷房はなく、また「畜産研究所」ですから蠅と虻、また、風向きによっては匂いとの戦いを余儀なくされたなかで練習を行いました。なお、この思い出多い会議室は研究所の移転に伴い、今年の春に取り壊されました。 

(つづく)

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