大阪市職労 宮本雄一郎/メールアドレス miyamotoyuichi@webtv.ne.jp
写真/タイの犬のスタンダードなスタイル。「犬」の形になって寝るのがおかしい。
● J・BOY
春がやってきました。音協会員のみなさんはもうお花見に行ったのでしょうか? 前回3月15日号の音協通信に、新宿区職労の中村浩さんが浜田省吾さんと肩を組んで一緒に写っている写真がありました。「J・BOYツアーで…」という写真の解説があったので、たぶん十年くらい前の写真でしょうね。私は浜田省吾の「J・BOY」というアルバムが大好きで、当時よく聞いていたのを覚えています。彼の数多くの作品の中でも「J・BOY」というアルバムは最高傑作に入るでしょう。私はその中でも「アメリカ」という地味な曲が一番気にいっています。
「アメリカ」という曲はヒットしませんでした。この曲を書いた浜田省吾は、ヒットすることを狙ったのではなく、純粋に彼の心の中にある放浪の夢を表現したのではないか…と私は勝手に想像しています。「アメリカ」では、8ビートのシンプルな曲の構成と、何かから逃れようとアメリカを旅する男の孤独感、その旅の途中のせつない気持ちがよくマッチしています。浜田省吾の悲しみを帯びた張りのあるボーカルが、この曲にふさわしい孤独感を切々と歌い上げていて、すばらしい出来でした。
アメリカに行ったことのない私ですが、「ロスからサンフランシスコへ 続くフリーウエイを俺たちヒッチハイクした 1984…」というセンチメンタルな歌詞に、まだ見ぬ西海岸の風景を思い浮かべていたような気がします。
● タイのロック
というわけで、この「わがまま音楽紀行」はどこでどう脱線するのか、書いている本人にもまったく予想できませんが、どうぞ見捨てずにお付き合い願います。
ところで、前号では相変わらずネパールをうろついたまま話が終わってしまいました。
今回のネパール行きの途中ではタイに立ち寄りました。そのタイを2年前に旅したとき、「戦場にかける橋」という映画で有名になったカンチャナブリという地方都市を訪ねました。カンチャナブリといっても知らない人が多いと思いますが、「クワイ河マーチ」という曲ならどこかで聞いたことがあるかもしれません。この町で一泊した夜、タクシーに乗って、「ロックをやっているライブハウスへ行ってください」と頼んで地元のライブハウスに向かいました。
タイの人は概して親切です。片言の英語とタイ語でお願いすると、運ちゃんは暗い町の中を駆け回り、一軒の店を探し出してくれました。運転手さんに礼をいってタクシーを降り、半分野外のような広々とした店に入ります。時間が早かったせいか、店には客は少なくガランとしています。私と友人の二人は店の隅に陣取ってビールを飲みながらライブの始まるのを待ちます。長髪の兄ちゃんが舞台に登場して歌い始めます。バンドがロックを演奏し始めると少しづつ客が増えていきます。タイ語と英語のロックが続きます。
店の客はそれほど熱狂的ではなく、歌を皆それぞれ自分なりに楽しんでいる、というリラックスした雰囲気です。言葉はあまり分からないものの、ライブは楽しいものでした。
私は友人と店の片隅で「ええぞ、ええぞ」とエールを送りながら、タイの地酒メコンウイスキーを飲み過ぎてグデングデンの沈没状態に落ちて行ってしまいました。
● ロックの誕生
話はロック音楽に飛びます。ロック音楽はもともと一九五〇年代のアメリカに生まれました。「暴力教室」という映画のテーマ曲となったビル・ヘイリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」などが、ロック音楽の始まりを告げた曲として有名です。きっとどこかで聞いたことがあると思います。ロック音楽の源はブルース音楽といわれます。19世紀頃からアメリカ黒人の間で歌われ発展してきたブルース音楽が母となり、20世紀にロック音楽が生まれたのでした。
ロックというネーミングは「ロック・アンド・ロール」から来ています。この「ロック・アンド・ロール」は、もともと下町の隠語で性行為を意味する言葉でした。ロックは、正統的な音楽とまったく違う、即興的、肉体的な歌の衝動と、自己の内面のつぶやきから歌いかけという二重性を持っています。「ロック・アンド・ロール」というあからさまな名称は、この新しい音楽を支持する人々にとって、自分たちの感覚にぴったりと来る言葉だったのでしょう。
ロックの特徴は、それがどんな土地にも根付いて、そこから新しい芽を伸ばしていく、という点にあります。だからこそ、今やロックは世界中に広まり、国や地域の違いを越えた世界共通の音楽となりつつあります。当り前のことのようですが、タイにはタイのロックが育ち、人々はそれを自然に受け入れています。よく考えると、これは不思議なことではないでしょうか。なぜなら、これはロック以外の音楽には見られない現象だからです。
日本でもアメリカの影響で一九五〇年代にロックが流行してから10年後、そこから独自の芽を出しています。日本オリジナルのロック音楽が生まれたのは60年代の後半、ジャックス(またまた古くてすみません)あたりからですから、日本のロックは30年の歴史を持っています。現在ではアジア各地でもその土地ごとにロック音楽が根付いて、独自のカラーを持つ時代となりました。
アジアを旅して町のレコード店に行くと、地元のアルバムとともに日本や世界各地のロックのアルバムが棚に並べられていて、人々は国や人種や言葉の違いなどに関係なく自分の好きなアルバムを手にとって選んでいます。こんな当り前のような光景が、思えばとても不思議で、音楽に国境がないことをふと実感する一瞬です。
追伸 CMです。私のCD「急いでベイビーズ」を扱ってやろうという希有な店ができました。きっと赤字になるでしょう。通信販売がメインの店で、名前は「ナチュラル・ステップ」です。どうぞよろしく。
(つづく)
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