自治労音協通信
   2面 NO29号/98.9.5発行

韓国光州(クワァンジュ)訪問記(中編)(1998.5.15-19)

小川典子(事務局)

全南大学校訪問

五月十五日、ソウルの金浦空港から乗り継ぎクワァンジュ空港に到着。迎えにきてくれた、友人とその生徒さん(日本語勉強中)の研究室のある全南大学校を訪問。校舎屋上から、光州の町並みを眺めここで光州事件があったのかと感無量の心境でした。

友人の研究室には、日本の地方自治の書籍がその三分の二を占めるくらい沢山ありました。『真理、創造、奉仕』を大学の教義にしているこの国立大学は総合大学です。この旅では、友人の生徒である行政学部の修士過程と、働きながら学ぶ博士過程の学生たちが私の面倒を見てくれました。

待ち時間に、学生に多くの質問をされました。「日本の青年がどのように学習しているのか」とか、(韓国では社会主義の文献はつい最近まで発禁されていたので、日本の文献をコピーして読んでいたが、解禁されたいまではあまり読まれていない)「東大安田闘争とは何だったのか」とか、かなり古い話を質問されたので三池闘争や成田闘争のことなど話し、とにかく学生と労働者の結合された闘いの重要性を知ってほしいと思いました。このような交流の機会があまりないのでしょうか。

最終日に寄った、構内食堂はバイキングで好きなだけ食べられ種類も豊富でボリュームもあり、チケット代は日本円で三百円でした。ちなみに友人は、昼も夜も学食だそうです。

5.18光州人民抗争祈念広場でマダング(庭劇)

「光州事件」を上演

5.18光州人民抗争祈念広場で孔玉珍さんの

パンソリの上演風景

五・一八追慕祭

「光州市郊外に新しく創られた「光州人民抗争祈念広場」で追慕祭が繰り広げられました。十六日は市民・宗教団体に依る追慕集会が開催され、仏教団体では有名な舞踏家の孔玉珍さんのパンソリの熱演があり、冷たい雨の中、追慕の情念を表現し観客と一体となりました。また、会場内の美術館では日本の画家富山栄子さんの個展が開催されていました。広場では、連日マダンク(庭劇)の劇団員が光州抗争を語り伝える寸劇を上演しました。

全羅南道各地、ソウル等から学生や市民、そして道庁職員、市役所職員などがバスを列ね追慕に訪れていました。この広場には、旧市民墓地から移された二百五十人の墓石が斜面に連なり、会館にはその遺影が祭られています。

十七日の遺族追慕式では、儒教にもとづく式典の後、地元の詩人文炳蘭(ムンピョンナン)さんの「不死鳥」(*翻訳参照)が朗読されました。

光州事件の犠牲者は、今でもその遺体や身許不明者の調査が市役所で行われていますが、何千人に登るといわれています。光州市営墓地には、家族や学生が追慕に訪れ、学生が闘争歌を歌い拳を挙げる光景がありました。その墓地に国鉄のリストラに抗議するスローガンや、労働組合のスローガンが掲げられています。「死者の意志が今も生者の中で生きている」と感じました。ガイドの博士さんは、事件の際その近所に生活していたそうです。軍隊に占拠され、封鎖された十八日から二十七日の間、市民は助け合い生活し、水道・電気も止まらず生活に支障はなかったと言っていました。この事件の間、空挺部隊による殺戮と、弾圧による死傷者以外には、市民学生による治安維持により、民衆の側の暴動も略奪も一切なかったこと。道路封鎖による経済活動や食料配給が遮断された光州市全域の、悪夢と化した都市の中でさえ、市民が平然と生活し秩序を保つことができた事に感動しました。

警察や軍当局はデモ参加者を写真に撮り、連行し拷問の末多くの人民を虐殺しました。その時の体験を実体験するコーナーが、刑務所跡の空き地に設置され多くの市民が体験に参加していました。いまでもその刑務所のできごとを多くの市民が心の傷として持っているのです。

十七日には、市民学生による大行進が「人権・平和ー和合を未来へ」のスローガンのもと道庁噴水前広場まで行われました。噴水前の大通りには大舞台が設置され、空挺部隊により多くの市民学生が殺戮されその血と怒りの涙がしみ込んだその同じ場所に数万市民が結集、その場に座り込みました。そこでは小学生や女子大生による素晴らしいコーラス、光州事件の感想文の表彰式、アジア人権宣言の採択など夜遅くまで祈念行事が繰り広げられました。

この広場で、ソウルからきた日本語学校の学生さんに呼び止められ、自分が現在兵役中で、日本語を学んでいる学生である事を紹介され、最後に「良い旅をして下さい」と別れの挨拶をされたのが印象的でした。(つづく)

5.18光州人民抗争祈念広場に眠る250体の犠牲者の墓

●光州広域市国際協力室日本担当

連絡先/光州広域市東區鶏林洞五◯五ノ九◯◯(大韓民国)

TEL 062-228-6017、FAX 062-226-4448

●関係論文

社団法人東京自治研究センター機関誌掲載

1995年10月15日「韓国における六・ニ七、四大選挙の意義と特徴・第一回全国同時地方選挙によって韓国の民主主義は根付かれた」

1998年2月15日「韓国の大統領選挙と地域主義;第十五代大統領選挙を中心に」

1998年5月15日光州広域市報「無等山」に掲載「民主は生活様式だ」

「第二回全国同時地方選挙」は六月地方選挙以降の掲載となります。

著者/呉 在一(全南大学法科大学教授)

URL 先 http://www.jca.ax.apc.org/tokyojic/

*社団法人東京自治研究センターのWeb sitでご覧になれます。

不 死 鳥

 5.18民衆抗争18周年追慕詩      

文 炳蘭(ムンビョンナン)   

千回死に

千回また生きるというおまえは

9死を越え

時代の暗さを越え

今日、また自由の翼で飛び上がる

灰の中から選ぶ骨片ごとに

百万千万

熱い胸達

数多くのささやきで再び燃え上がり

生き残った者達の心の中に来て

自由の息遣いとなって愛の十字架として湧き出てくる

だれがこの死を無駄にせよと言うのか

一握の土にかえって嘆息するのか

生きても死に 死んでも生きる理を

あの薔薇の花の刺の痛みとして悟らしめる

死んでも死にきれない5月の魂

血に浸った肉親を貫いて

あの無上の胸にはためく

偉大な勝利の旗を見よ

死んでも死んでも再び生き返る正義の種子

燃やしても燃やしても

その骨の中に種火が残り

再び燃え上がる自由の花火

銃剣に勝ち 暴力に勝ち

正義は千年の歴史をかけぬける

自由は万古の真理を生きつづける

おお 望月(マンウォン)洞の1998年5月

その日の真っ暗な灰色の空の下

一筋の花火として燃え上がり

不義を狙う偉大な自由の篝火よ

不義と暗やみを噛み

青天の空に飛び上がる不死の翼よ

会員からのたより

『Swmmer omunibus in SASEBO』CDリリース 

高倉卓哉(山口県)

高倉琢哉 収録曲 「時は流れて」「ずっと」

佐世保の自主バンドグループの仲間たちとオムニバスでCDをリリースしました。ぼくたちのメッセージをぜひ一度聴いて下さい。

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