立川ビラいれ最高裁判決に抗議します(2008年4月12日:不戦へのネットワーク) |
11日立川のビラいれへの最高裁判決は、私たちに愕きと怒りを与えました。
三人の裁判官全員一致した判決という報道には愕くばかりでした。最高裁には民衆の多種多様な考え方、表現を率直に認める裁判官は誰もいないのでしょうか、時の国家権力=政府の意向を司法の場から擁護するのみになったのでしょうか。三権分立と政府=行政の国家権力意思の強制へのチェック機構としての司法の役割は終わったのでしょうか。民主主義の前提が喪失してしまいます。
判決内容は全面的にでたらめで不当なものです。
判決は表現の自由の問題やビラの内容が警察の取り締まりの対象であったこと、罰金に相当しないような軽微な「犯罪」にもかかわらず長期拘留をおこなったということに一切触れず、むしろ意図的に排除して配布手段の是非を形式的に論じているにすぎません。
「表現そのものを処罰することの憲法適合性」ではなく、「表現の手段」として「ビラの配布」のために「管理権者の承諾なしに立ち入ったことを処罰することの憲法適合性が問われている」、という表現の手段が「犯罪」とされることによって「表現の自由」の機会そのものが奪われる、ということを意図的に無視した暴論です。
「他人の権利を不当に害するものは許されない」ということもきわめて恣意的な解釈、適用を行いました。差別を助長や、根拠のない誹謗中傷などや、生命、財産を侵すなどの行為に対して適用されるものであり、政治的意見の表明を制限するものでないことは自明のことです。
有罪の最大の根拠である管理者からの被害届けも事前に警察が用意したものであることは公判で明らかになっています。この点はマスコミも認めています。(4月12日中日新聞解説記事)警察の取り締まり、さらにいえば「被告」を狙っての逮捕の決定が先にあって、そのためのシナリオとして被害届けが用意されたのです。また管理者は旧防衛庁―自衛隊であり、居住する隊員や家族も軍事組織の一員として公式には自由な意思表明はできない、命令指揮に従うしかないということを意識的に無視し、手続きの形式をすべての根拠にするというきわめて政治的な判決です。
「管理権者の意思に反して立ち入ることは、管理権者の管理権を侵害するだけでなく、そこで私的生活を営む者の私生活の平穏を侵害するもの」というのもでたらめです。「一般に人が自由に出入りすることのできる場所ではない」というのもでたらめです。通常の生活をおこなっている居住者にとって自由な人の往来が制限されることがもっとも重大な私生活の侵害にほかなりません。官舎にでも旧防衛庁―自衛隊は日常的な外部からの来訪者への規制は行っていません。セールスや商業目的のビラ配布が「犯罪」とされたこともありません。政治的なビラの配布のみに限って立ち入りを制限するというのは憲法に保障された表現の自由を制限することにほかなりません。ビラの各戸配布が実際にどのように「私生活の平穏を侵害」したのでしょうか。
三権分立のなかで特に憲法判断の最終決定権をもつ最高裁が、国家権力によって意図的・政治的になされた弾圧を形式論議にすりかえてはその存在意義が根底的に問われることになります。
政治的意見にとどまらない表現の自由の保護は、その伝達手段も含めて最大限に保障されることが民主主義の根本原理です。同時に多種多様な意見や表現を知り判断する自由も保障されることが不可欠です。今回の判決は自衛隊員と家族は自衛隊の行動への批判的な意見は事前にシャットアウトし知らせないということを認めたものです。
「被告」とされた人たちの基本的人権を侵害だけでなく、情報の受け手になる人たちの基本的人権も奪い去ったことになります。民主主義の存立基盤と司法の存在意義もろとも覆した不当な判決です。
不戦へのネットワーク