埋蔵文化財と沖縄の新基地建設についてのアピール(2007年4月7日) |
本日、私たちは考古学者・元沖縄県立埋蔵文化財センター所長の安里嗣淳さんをお招きして学習会を行いました。
沖縄では、米軍普天間飛行場の移転先として日米両政府が予定している辺野古のキャンプ・シュワブにおいて埋蔵文化財の分布調査が進められようとしています。
新基地建設の予定地に存在が確認されている遺跡の中でも、思原遺跡は原始古代の人々が住むことの多かった海浜砂丘にあることから、最も注目すべき遺跡の可能性があるといわれています。吸収の縄文人が沖縄へ渡来した頃の最古の新石器時代の文化層、九州弥生社会との貝殻交易を展開した時期の文化層、そして琉球王国にいたる経済と社会の変革がどのようになされたかを解明する手がかりとなる7−10世紀ごろの文化層の発見の可能性を秘めているといわれます。はるかな遠い時代にこの地にくらし、歴史と文化を育んできた先人たちが残した貴重な文化遺産がどのように取り扱われていくのか私たちは知りたいと思います。
沖縄の米軍基地は「人間の住みよい場所」にあり、多くの遺跡が存在します。かつて基地内の遺跡調査行われましたが、行動範囲が制限され、十分な調査が行われていません。この機会に米軍基地内埋蔵文化財の十分な分布調査が行われることが大切だと考えます。
そして建設による破壊を前提とするのではなく、分布調査の家庭とその結果を公開し、基地内に残された貴重な文化財をどのように伝え、いかしていくかについて、地元住民を始め一般市民や教育関係者、専門分野の研究者と共に検討し、協議していくことが必要だと考えます。
米軍は沖縄戦後「銃剣とブルドーザーで」住民の土地を取り上げ占領し続けています。沖縄の基地はかつてはベトナム戦争の出撃基地となり、今、イラクへの出撃基地となっています。沖縄国際大学に米軍ヘリコプターが墜落した事件は、沖縄券面は危険な中田暮らしていることを改めて認識する出来事でした。沖縄では日常生活が米軍の起こす事件、事故の脅威にさらされています。本土で暮らす私たちは、沖縄の現実にこころを寄せ、先人たちの歩みに学び、平和を願う人々と共に、一人一人ができることから行動していきます。
2007年4月7日
NoBase辺野古☆名古屋、命どぅ宝あいち、有事法制反対ピースアクション、アジアボランティアネットワーク東海・沖縄クラブ、日本聖公会中部教区沖縄プロジェクト、東海民衆センター、不戦へのネットワーク、自衛隊イラク派兵差止訴訟の会