(『ヒューマンライツ』2005年6月号掲載)
いわゆる「反日デモ」は、長春では起きなかったようだ。上海や瀋陽でデモのあった四月十六日の土曜日も、街は表面上いつもどおりであった。しかし、何ごともなかったのかというと、そうでもない。その晩、ある街角の食堂で、わたしたちは日本人三人で串焼きをつまみにビールを飲んでいた。当然会話は日本語だ。すると、別のテーブルの若い女性の一行が、席を立ち際に、「小日本」と吐き捨てていったのだ。わたしたちは耳を疑った。この言葉が日本や日本人への蔑称であることを知ってはいたが、とっさのことに、対応もできなかった。その場に凍りついたというのが、正確かもしれない。今たしかにあの子、「小日本」って言ったよね、と。
街頭の有力な国際紙『参考消息』(新華社)と『環球時報』(人民日報)では、日本の右傾化、戦時体制化を伝える日本批判の記事がめずらしくない。これは今に始まった話ではない。とりわけ最近は日本の国連常任理事国入りについて、反対の論陣がはられていたという印象がある。実際そのような一面見出しが売れるのだろう。
東北地方では、日本の敗戦時に埋め捨てていかれた爆弾が見つかることもよくある。毒ガス弾頭の被害では日本で国家賠償訴訟が進行している。それに長春は、かつて満洲国の首都に選ばれ、新京と名づけられた歴史を持っている。満洲国時代の「遺産」である重要建築も現役で、たとえば満洲国の実権を握っていた関東軍司令部は、これは日本のお城の天守閣のような外観の建築なのだが、今では中国共産党吉林省委員会として使われている。このことを知らない中国人も多いが、複雑な思いをいだく住民もいるようだ。
とはいえ、留学生活を始めた半年前には、日本人留学生は特別な存在ではなかった。昨秋十月初旬、学校の運動会の入場行進に留学生が動員されたとき、先生は当然という顔でわたしに日の丸の小旗を手渡した。われわれは歩く万国旗なのだ。これには、わたしのほうが困った。すると先生は、おまえは自分の国旗に誇りがないのかと言うのである。日本ではわたしは日の丸に反対する政治的立場ですと伝える語学力はまだなく、高々と振る気にもなれず、とっさに別の国旗を振るという才覚もなく、渋々とぼとぼと持って歩かざるをえなかった。そうか、中国では日の丸をそんなに気にしないのかと、なんだか拍子抜けしつつ。だが、情勢は変わってしまったらしい。
ある日本人留学生は最近、大学食堂で「彼は日本人だ」と名指しされたりしたと語る。このように日本人としてあぶりだされる情況は、決して愉快ではない。当惑もするし、身がまえも強いられる事態である。ただし念のために書きそえると、当地では外出の際に身の危険を感じるということはない。みんな、買物にも、食事にも、旅行にも出かけている。
北京でデモが起きても、上海でのデモの翌日にも、テレビや新聞などのマスメディアでは、デモそのものへの言及は奇妙なまでに、見かけなかった。しかしそもそも、学生は新聞をあまり読まない。寮の各寝室に新聞は配布されるものの、公式報道が知らせないことは少なくない。報道より伝聞を信じる学生も少なくない。新聞はウェブで読む。外国語の学習もかねて、外国の新聞サイトを見る学生もいる。デモのことは知られていたらしく、ある学生に、ネットでは随分もりあがっているけど、と問いかけると、それは一部の人だ、それに自分は政府間の問題を個人の関係にもちこむつもりはないという反応であった。
上海デモと日中外相会談の翌々日、国営放送のテレビニュースは、中国外相の外交報告会での発言を紹介するかたちで、日本との関係の重要性を強調し、無許可デモに参加しないようにと呼びかけた。この日から連日、テレビや新聞のインタビューや論説で、「愛国」の正しいありかたが啓発された。五四運動当時との時代状況の違い、日本がとりわけ経済の分野でどれだけ大切なパートナーであるか、日本関係の雇用の大きさ、中国で生産されている日本ブランド製品の多さを考えたときに日貨排斥がいかに不合理であるか、などなど。おくればせながら、扶桑社版の歴史教科書に反対する日本国内の動きや、その採択率がきわめて低いという事情、日本の教科書検定制度についての解説も報道された。
日本の側にしてみれば、唐突に日本の国連常任理事国入り反対を掲げた日本製品不買運動が始まり、あっというまにデモにまでなった、しかしなぜこういう展開になったのか、よくわからないという印象があるのではないだろうか。だが、中国の側からすれば、それなりの因果がある。とくにここ数年来、中国政府の度重なる反対をかえりみることなく、それとも摩擦をひろげたい理由でもあるのか、小泉首相は靖国神社参拝を続けてきた。無視されているのか、それとも喧嘩を売られているのか、どちらにしろけしからんと憤る中国愛国青年は決して特別ではない。扶桑社の中学校歴史教科書がふたたび教科書検定を通過したことも、過去に日本が犯した罪を政府が国民から隠蔽し、忘れさせようとしているという意思表示にも取られたであろう。さらに、台湾「有事」には日米が共同対処するという報道もあり、対日関係を焦点に「愛国」の気分は十分にひろがっていたようだ。
ただ、この手の愛国青年の話を、わたしは直接聞いていない。もっとも、かりに日本人一般への敵意を隠さない初対面の学生から討論を求められたとしても、対話が成立するかどうかについては、確信を持てないが。知識や中国語会話能力の壁だけではない。
歴史学が専門のある学生は、日本問題では、ほかの学部へと進んだ同級生たちと意見が合わないことが珍しくないと漏らす。別の学生は、自分が日本語を学ぶことへの風当たりはかなりきついし、友人に第二外国語として日本語をすすめたら家族の反対で選ばなかったことがあると語ってくれた。日本に関わることは何でも嫌という気持ちは、今でも上の世代を中心に根強いのだという。根は意外に深いらしい。でも、くどくなるが、日本への嫌悪が中国をおおいつくしているわけでもないのである。
歴史問題を解決すれば日中関係は万事うまくいくというほどには、両国の関係は単純ではない。それでも、歴史に向き合うことを日本は求められているし、それは本来、求められたからというのではなく、日本社会が自発的に向き合い精算すべき課題なのだ。
冒頭に紹介したできごとに話をもどそう。中国のナショナリズムもまた、人種差別的な情緒へとつながりがちである--「小日本」と。具体的な被害の歴史が共有されているぶんだけ、その憎しみは深いだろう。しかしその怒りも、出会い頭に個別日本人にぶつけられるだけでは、なんの生産的出会いもない。不快さを残すだけだ。日本でも、中国人留学生や研修生が犯罪者予備軍であるかのように報道されたり、日朝あるいは日韓関係が問題化するたびに朝鮮学校の生徒が暴力にさらされたりする。レッテル貼りという点では同じではないだろうか。わたしたちは、この動きにどう抗らうことができるのだろうか。
「愛国」を旗印に憎悪をあおり対立をたかめたい動きも、それに乗せられて発火しやすい民衆感情も、残念ながら日中の双方にある。こんなときに日中双方の社会で忘れられているのではないかと心配になるのは、すでにさまざまなかたちで人が往来し、越境し、不可分に結びついているという事実である。たとえばわたしの今いる大学でも、中国に血縁のつながりを持つ日本人留学生は、わたしの知っているだけでも、一人や二人ではない。
留学してきて感じるのだが、日本人は過去の日本の植民地支配と戦争犯罪について教わっている内容があまりにも少ないと、中国人からは思われている。それでも、見たかぎり、中国の友人たちはあまり、歴史問題を話題にしてこない。もちろん本人に関心のない場合もある。が、そうでなくとも、政治や歴史は話しにくい。日本の中国人差別、外国人差別も、けっこう知られている。それに、その相手の日本人は、南京大虐殺はでっちあげだ、中国は嘘つきだと言うかもしれない。普通、これには中国人は怒るし、それだけではなく、はずかしめられた思いになる。誰しも、わざわざばくちを打って、傷つきたくはない。
日本人の側はといえば、往々にして相手に甘えて、あるいは俎上にのせる方法が思いつかず、結果としてあまり話題にならないのが実情であろう。たしかに触れにくい。対話といいうるものが成り立つのかどうかさえ、おぼつかない。言わないということの重みと、そこにあるのだろう痛みを考えると。だが、途方に暮れてしまうには、まだ早いように思うのである。あえて言えば、日本人の側は、そこに溝があるということにくらいは気がつかなければならない。ちっとも具体的ではないし甘いかなあと自分でも思うのだが、とりあえずは、そんな考えしか浮かばないのである。