『部落解放』第532号(2004年4月号)掲載


(本の紹介)

『黒坂愛衣の とちぎ発《部落と人権》のエスノグラフィ』

Part1「部落へ飛び込む」
Part2「出会い、ふれあい、語らい」
著者=黒坂愛衣、コメンテーター=福岡安則、
創土社、四六判、311頁、293頁、2003年12月、各1800円

評者: 廣岡浄進 大阪大学大学院生

 社会学に、参与観察という調査の手法がある。ある共同体や組織にその一員として参加しつつ、その現場を社会学者として見つめる。その記録をフィールドノートとよび、切り取られてくる記述をエスノグラフィ(民俗誌)という。

 埼玉大学大学院生の黒坂愛衣さんは、二〇〇二年九月から一年間の予定で、部落解放同盟栃木県連合会でアルバイトを始めた。実家を出て、県連関係者の世話でJR小山駅に近い部落内のアパートに入居し、栃木県連というフィールドで、彼女は修士論文を書くための参与観察を始める。

 本書は、二〇〇二年八月半ばから十二月半ばまでに黒坂さんが書きつづったフィールドノートを軸に構成され、その指導教官である福岡安則さんからのアドバイスや情報提供が、時系列にそって挟みこまれている。この記録すべてが電子メールであることが、本書の特色のひとつだ。フィールドノートはそのつど、メーリングリストで配信される。黒坂さんは読者たちにあててメールを書き送るという仕掛けなのだ。文体もこのためか、語り口に近い。

 研究テーマが決まらなくて悩んでいた黒坂さんは、栃木県連にアルバイトにはいる計画について福岡さんに相談のメールを送った。本書はここからすべりだす。彼女はまず、遊びに来た伯父からの猛反対に遭遇する。あるスーパーの店長が結婚の報告に来た部落出身の店員に、婚約者も部落かとたずねたら、弁護士が出てきて、結局その店長は体調を崩して退職したなどといった伝聞をいくつも繰り出して、伯父は姪っこを翻意させようとした。この出来事が黒坂さんを踏み切らせる。「ああ、ほんとに部落差別ってあるんだ」と。

 県連での黒坂さんの仕事は、決まっていない。解放新聞の発送などの雑用、研修の資料作成、いろんな集会の動員。フィールドワークがあれば便乗する。解放新聞の記事執筆。それやこれやの記録や、あるいは共同作業をしつつ聞き取った話が本書の骨格にあたる。栃木県をはじめ関東の部落と解放運動の現状が、そしてその苦悩も、一九七七年生まれの彼女の目を通して活写される。たとえば、インドのアウトカースト(いわゆる不可触民)との連帯についての、和田献一委員長の講演記録。女性たちの自立への取り組みは、暴力とむきあいながらの識字運動である(P・フレイレ『被抑圧者の教育学』の世界だ)。と同時にこれは、県連の組織のなかにはらまれていた人種差別にたいする取り組みでもある。

 自分が運動に従事するのは「いろんな人と出会えるから」だと、ある支部長は言う。青年部のメンバーも別の場で、同じことを話す。黒坂さんはそれを書きとめていく。

 各地の部落へも行く。かつて太鼓作りの元締めだった家では、先方はその過去を隠したいらしく、とぼけられる。墓にまつわる差別を現地で実感もする。栃木皮革工場の見学では、ある大学生たちの書いた「臭い」という差別的な感想文に思いをはせつつ、工程を「おもしろいなあ」と感じる自分に「ちょっとホッと」したりもする。

 ある青年は、数年前に福岡ゼミの学生による聞き取りに協力した時のことを回想する。子どものときの遊びについての質問が「部落の人間は違う遊びしてるんだろ」と聞こえて、非協力的な態度をとってしまい、福岡さんが慌てた、と。社会学者の端くれでもある自分が問われる話として、黒坂さんは聞く(福岡さんは当時の記録を探し、真偽を確かめようとするのだが)。

 黒坂さんの筆に熱がこもるのは、周防の猿曳き、猿舞座の村崎修二さんの話だ。村崎さんの講演で「すごく、いい声」に惚れこんだ黒坂さんは、翌日の猿曳きの実演に駆けつける。猿の育て方の話や、ドキドキした気持ちの書きこまれている実況中継的な描写もおもしろかったが、評者は、民俗学者の宮本常一とのかかわりで村崎さんが部落の伝統芸能復活に足を踏みいれたという経緯の話が興味深かった。子どものときに見た、部落の教育集会所での猿まわし。評者はあの情景を思い出す。

 本書は、栃木県連をフィールドとしてはいるものの、栃木県の解放運動を描くことがその目的ではない。予備知識もほとんどない部外者が県連に飛びこんで、こういう体験をした、という記録である。これを読んでも、栃木県連の全体像はつかめない。しかし、県連に黒坂さんという存在が迎え入れられていくさまは具体的で、そこから人びとの像が輪郭をつくっていく。これは、叙述における自分の主観というフィルターに彼女が自覚的であり、それに誠実でありつづけようとしたことによってもたらされた効果だと思う。

 運動の側にとって外から学生が関与してくることの意味は、ことなる文化や視点を学生が持っていることにあるのだと、評者は先日、ある支部関係者から聞いた。黒坂さんが栃木県連にかかわり、かつ書き記すという営みは、それ自体が、その双方に、なんらかの化学反応をゆるやかに引き起こしていくのではないだろうか。

 編集についてだが、本書では序文もなく、電子メールがそのまま収録されている。これは読みにくい。伴走を買って出た福岡さんのメールは、過去の聞き取りをテープ起こししたものもふくめ、全体の三分の一になる。そのうえ彼は、黒坂さんをほめちぎる。教育の場では学生を肯定することが必要な局面もある。が、それをそのまま同列に掲載する必然性を、評者は感じない。むしろ福岡さんの評価が、黒坂さんの叙述を多様な読みに開くことをさまたげる恐れもあるのではないだろうか。

 三カ月は短い。本書の最後で黒坂さんは「黄色いゼッケン」を着けることができるが、自らの立つ位置を自問自答する正念場はこの先に到来するのではないかという思いも、評者にはある。正直をいうと、あまりの屈託のなさに、違和感さえ覚えたほどである。だが、見方をかえるならば、読者は出発点に立ち会っているのだとも考えられる。

 パート3の刊行が予定中のようだ。さらに厚みをもった記述を期待したい。小林綾『部落の女医』(岩波新書、一九六二年)に比肩しうるような作品は、栃木から送り出されてくるだろうか。


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