日本軍性奴隷(日本軍「慰安婦」)
SEX SLAVE

日本は、軍隊を送り込んで占領したアジアの国々や、朝鮮・台湾などの植民地、そして日本本土に、日本の陸軍・海軍専用の「慰安所」を設けた。そこで兵隊たちの性的な相手をおもにさせられたのは、だまされたり拉致されたりした朝鮮人女性だった。日本軍の占領地では、朝鮮人女性の不足を補うような形で地元の女性たちが暴力的に集められた。


●韓国・朝鮮人 (KOREAN)

姜徳景(カン・ドクキョン) 1929年生まれ
「富山県の『不二越』で、食事があまりにも少なくて寮から逃げ出したんです。運悪く憲兵に捕まり、長野県松代にあった『慰安所』へ連れて行かれて、兵隊たちの相手をさせられました」(撮影地=韓国・ソウル市)
郭金女(カク・クンニョ) 1924年生まれ
「連行されたのは、中国東北地方の穆稜(もくりょう)の『慰安所』でした。今まで生きてきたのは、日本に仇を打たなければという強い思いがあったからです」(撮影地=朝鮮民主主義人民共和国・平壌市)

沈美子(シム・ミジャ) 1924年生まれ
「アサガオの花を並べて日本地図の刺繍したところ、授業を受けていた教室から警察へ連れて行かれ拷問を受けました。気がついたら福岡の陸軍部隊の中の『慰安所』でした」(撮影地=韓国・城南市)

沈達蓮(シム・タルリョン) 1927年生まれ
「自宅近くで姉とヨモギを摘んでいたら、いきなり兵隊に捕まってトラックへ乗せられたんです。私は『慰安所』で過酷な体験を受けたため記憶を失い、姉は行方不明のままです」(撮影地=韓国・慶尚北道)
金学順(キム・ハクスン) 1924年生まれ
「『慰安婦』をさせられたことはいつも胸に中にありました。どれほど泣いたかわかりません。死ぬ前にこの体験を暴露して、スッとした気持ちになりたかったので名乗り出ました」(撮影地=韓国・ソウル市)

ユ・善玉(ユ・ソンオク) 1923年生まれ
「中国東北地方の『慰安所』で妊娠してしまい、軍医に子宮ごと胎児を取り出されたんです。子供を産めなくした日本に、復讐することばかり考えて生きてきました」(撮影地=朝鮮民主主義人民共和国・平壌市)

鄭玉順(チョン・オクスン) 1920年生まれ 「中国・広州の『慰安所』から、12人で逃げようとして失敗しました。兵隊たちは私の全身に刺青をしたんです。過去を思い出すと、胸が張り裂けそうです」。(撮影地=朝鮮民主主義人民共和国・平壌市)

朴英深(パク・ヨンシム) 1921年生まれ
「ビルマへ連行され、次に中国雲南省拉孟の『慰安所』へ連行されました。ここで中国軍の捕虜になり、米軍に写真を撮られました。妊娠してお腹が大きい女性が私です」(撮影地=朝鮮民主主義人民共和国・平壌市)


●台湾人(TAIWANESE)

パラビ・アニカ 1921年生まれ
「夫が兵隊に行った後、香港にあった日本軍9322部隊の『慰安所』へ送られました。戦後、その被害体験は夫にも話すことができませんでした。日本軍から受けた心の痛みは忘れません」(撮影地=台湾・高雄県)

イタル・タナハ 1931年生まれ
「日本軍が山を掘って造ったこの倉庫の中で、4人のタロコ族の女性が兵隊の相手をさせられたんです。今でも怖いので見たくありません。思い出すと涙が出ます」(撮影地=台湾・花蓮県)


●フィリピン人 (FILIPINO)

ファニタ・ハモット 1924年生まれ
「16人の女性が中華街にあるビルに監禁され、兵隊の相手をさせられました。米軍の爆撃のために移された教会には、たくさんのフィリピン人がいました。そのうちの141人が日本兵によって殺されたんです」(撮影地=フィリピン・マニラ)

ロザリオ・ノプエト 1927年生まれ
「日本兵は住民たちを片っ端から殺し、私を駐屯地へ連れて行って性的虐待をしました。米軍の攻撃を受けたために逃亡しようとした日本兵は、私たち40人のフィリピン人の首を切ったんです」(撮影地=フィリピン・パナイ島)
クリスティタ・アルコベル 1926年生まれ
「30人の女性が日本軍に、昼間は飛行場建設の重労働、夜は屋外で兵隊の相手をさせられました。死んだ方がましと思ったものの、見張りがいるために出来なかったんです」(撮影地=フィリピン・マニラ)

マニラの日本大使館前で、デモをする被害女性たち。日本政府は被害女性たちに「女性のためのアジア平和国民基金」を支給しようとした。だがそれは補償ではないために、被害者たちの中に大きな混乱をもたらした。(撮影地=フィリピン・マニラ)


●インドネシア人 (INDONESIAN)

バンドンに設けられた日本軍「慰安所」の建物の前で、インドネシア人女性たちを撮影した当時の写真。女性たちは被害者であるものの、性的被害であるため恥ずかしくて下を向いている人もいる。
日本軍に性的被害を受けたインドネシアの女性たち。朝鮮民主主義人民共和国・大韓民国・中国・台湾・フィリピン・インドネシアから多くの被害女性が勇気をもって名乗り出たが、日本政府は補償を拒否している。(撮影地=インドネシア・スカブミ)


「奪われた記憶を求めて」  「IN SEARCH OF LOST MEMORY」



写真パネル破られた沈黙─アジアの「従軍慰安婦」たちを貸し出ししています

仕様>木製パネル/37×55a白黒69枚・カラー1枚、80×120aカラー3枚
梱包木箱/49×75×70a3箱・23×133×92a
<問い合わせ・申し込み先> itoh-takashi@nifty.com


WEB写真展「戦争と日本」へ戻る