2007.10.15(2019.9.10分離)
その時 歴史が動いた
「賤ヶ岳に散った夢~猛将・柴田勝家の悲劇」
10月11日(木) 22:45~23:28「信長死す」。定説では、本能寺の変の後、早い時点で羽柴秀吉が天下取りレースの主導権を握ったと言われる。
明智光秀を討ち取った山崎の合戦、信長の後継者を決めるための清洲会議、そして織田家筆頭家老格の柴田勝家を滅ぼした賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い。
この間、終始秀吉のペースで事態が進んだように見られがちだが、最近相次いで公開された新史料から、賤ヶ岳の戦いに至るまで二人が水面下で激しい攻防を繰り広げていたことが浮かび上がってきた。
去年一般に公開された柴田勝家の書簡によると、秀吉の独走を抑えるため、勝家は家老格の武将の合議制によって織田家体制を維持しようとしたことが明らかになった。
一方、今年初公開された秀吉の書簡によると、光秀を倒した直後、秀吉は政治的な要衝地に早くも天下取りを見据えた政治工作を行っていた事実が判明するなど、勝家を出し抜いて自らの覇権を確立しようと動き出していたことが分かってきた。
新史料や合戦現場の発掘成果をもとに、賤ヶ岳の戦いに至るまでの秀吉・勝家の知られざる攻防の軌跡を明らかにする。
(↑2019.9.10改行追加)
(2019.9.10追記)
タイトルを入力した以外は、番組案内の丸投げ… 「日誌」だから良いのかもしれないが、野次馬的には良くない。
編集長こと木村愛二曰く「僕は歴史が好きだから」
だから?
「僕は小説が書きたくて防衛大をやめて東京大学に入り直した」
で?
「織田信長の小説を書く」「キリシタンと織田信長」…
そういえば当時、織田信長を扱った小説がブームだった。ベストセラーは「信長の棺」。ブームに煽られたのかは分からない。
分かっているのは資料を大量に集めたこと。フロイスの「日本史」全集はじめ、キリシタン史、村上海賊、朱印船貿易史その他諸々。資料の山というか壁を築き上げたが結局使われていない。
そういえば、編集長の古い書類を整理中に、原稿用紙に万年筆で書き殴られた小説のようなものが出て来た。書き出しは、
…… 乱世は英雄を生み、英雄は乱世の空気によって行き得る。曹操もカエサルも、その時代を抜きにしては想いを致すことはできぬ。その時代とは、唯単に権威が地に落ち……
殴り書きだから判別しがたいが、じっと睨んでいると「尾張」だの「信長」だのが出てくる。もしやこれは、その昔に書きかけた「織田信長」ではあるまいか。
解読してサイトに収録すべきか。いや夢は夢のままで置くべきか。野次馬思案中。