編集長の随時日誌 2007年7月 から分離

ミヤケン死去でスパイ査問事件の殺人の意図と論文剽窃の疑惑が残る

2007.07.08(2019.9.6分離)

 ミヤケンと同じ事件で共に有罪となった袴田里見は、共産党除名後の1978年に、週刊新潮誌上において小畑に暴行を加えて死亡させたと主張した。なお、小畑達夫はスパイではなかったことが後に判明している。

 以下は、朝日新聞の記事である。


http://www.asahi.com/politics/update/0718/TKY200707180450.html
共産党の宮本顕治・前名誉議長が死去
2007年07月18日20時44分

 日本共産党の中央委員会議長、同幹部会委員長などを歴任し、40年近く同党の最高指導者だった宮本顕治(みやもと・けんじ)氏が18日午後2時33分、老衰のため、東京都内の病院で死去した。98歳だった。同党が非合法とされていた戦前からの幹部で、50年代に「宮本体制」を確立。旧ソ連や中国などの社会主義国と一線を画した「自主独立」、国内での「議会主義」の路線を進め、「少数が多数に従う」という「民主集中制」を組織原則とする共産党を築き、同党の支柱として90年代まで君臨した。

 宮本家で密葬を行うとし、共産党として参院選後に葬儀を執り行う。自宅は東京都多摩市連光寺1の31の28。

 宮本氏は97年9月の第21回党大会を機に引退し、実権を持たない名誉議長になり、00年11月の第22回党大会で名誉役員の一人になっていた。

 宮本氏が一線を退いた後の党運営は、委員長を引き継いだ不破哲三・前議長が中心となって担ってきた。不破氏も06年に議長を勇退し、党の実務は志位和夫委員長と市田忠義書記局長に引き継がれている。

 不破氏は90年代に志位氏とともに「ソフト路線」を進めた。現在の党運営は不破氏が敷いてきた路線に沿っている。宮本氏の死去で党の政策や路線に変更は生じないものの、党にとって宮本氏の死去は大きな節目となりそうだ。

 1908(明治41)年、現在の山口県光市生まれ。東大在学中の29年、芥川龍之介を論じた「『敗北』の文学」が雑誌「改造」懸賞論文の1等になって文筆活動を開始。大学卒業後の31年に共産党に入党。翌32年に作家中条百合子と結婚、33年5月には党中央委員になったが、同年12月に逮捕され、治安維持法やいわゆる「スパイ査問事件」などで有罪となり、無期懲役の判決を受けた。その後、45年10月に網走刑務所から釈放されるまで非転向を貫いた。

 戦後は、55年に指導部に復帰。58年には書記長に就任し、事実上の最高指導者となった。70年には新設された幹部会委員長となり、不破氏を書記局長に抜擢(ばってき)。82年には委員長を不破氏に譲り、議長になった。77年には参院全国区で初当選。83年には比例代表区で再選され、89年まで議席を維持した。

 宮本氏の指導下、共産党は64年には旧ソ連の「修正主義」と日本の党に対する干渉を批判して断絶。66年には文化大革命直前の中国共産党と決裂するなど、外国の共産党に対する「自主独立」路線を取った。87年の大韓航空機爆破事件について「北(朝鮮)のやったことだ」と発言。89年からの旧ソ連・東欧諸国の体制崩壊に対しては「科学的社会主義とは無縁の出来事で、こうした政権の崩壊は当然のことだ」との考えを表明した。


 「敗北の文学」に剽窃の疑いあり。


http://anarchist.seesaa.net/article/11710499.html

雑誌『改造』の懸賞論文に1位入選を果たした宮本顕治の論文「敗北の文学」。これと、そっくり同じ「敗北の文学」が、別人の作品としてそれ以前に旧制松山高等学校の文集『白亜』に載っていたというのだ。
ところが、それが掲載されていた号だけ、国会図書館にもどこにも、紛失してないという。
日本中から旧制松山高等学校の文集『白亜』特定の号を抹殺した日本共産党。
それは、いつ、誰が、誰の命令によってなされたのか?


 ミヤケンが担いだ「闇の男」、野坂参三は、アメリカとソ連のスパイだった。ミヤケンも怪しい。論文剽窃の証拠を握った特高警察が、ミヤケンをスパイに仕立てた可能性は非常に高い。小畑達夫は、むしろ、ミヤケンがスパイであるという証拠を握ったので、口封じに殺されたのではないか。

(2019.9.6野次馬追記)
 宮本顕治

 兵本達吉の研究によると、日本共産党内で神格化された宮本顕治の「獄中12年」が嘘で、大半は「未決」のまま、東京の小菅刑務所に拘留されていただけ、という。
 (『亜空間通信』1041号「宮本顕治"獄中12年の嘘"」暴露WiLL記事)

(2019.9.6野次馬追記)
 野坂参三

 中国の解放区、延安からソ連を回って帰国して救国の英雄のように迎えられ、首相にまで擬せられた野坂参三元議長についても、つい最近の死の直前に、「同志」をスターリンの銃殺隊に引き渡した過去が明らかになった。
 (『読売新聞・歴史検証』)

 戦前の日本の「国禁の書」『共産党宣言』を、従妹でのち妻の献身的な手書き写本で読んだことを自慢の種にしていた野坂参三が、自分の延命のために「同志」の一人をスターリンの毒牙に引き渡していた事実が明らかになったのは4年前のこと。
 (「外国禁の書を恐れて、何の言論の自由ぞや」)