2002.02.05.(火)(2019.8.7分離
さる1月27日、日曜日、久しぶりに母校、とはいえ実は卒業に必要な取得単位が一つ足りなかったのに卒業できてしまった(これは明らかにおかしいのだが)のか、もしくは追い出されたのかして卒業扱いになってしまったという因縁付きの場所、東京大学の本郷の方の構内に赴いた。
単位の件は複雑な事情だが簡略に記すと、どうやら、授業に出たことも無く研究室に出入りしたこともなく、遅れて試験会場の教室に入った私を、普通なら卒業予定の4年生と気付かなかった仏文科の助手が、3年生用の答案用紙を寄越したらしいのである。
「らしい」というのは物的証拠が無いからである。当時の仏文科の友人の話によると、卒業予定の学生には赤い印が付いたのを渡していたのだそうである。私は気楽に、かなり勝手な答案を書いた。無理して卒業する気がなかったためでもある。安全弁に余分の単位を取る友人もいたが、私はぎりぎり丁度の数しか試験を受けていなかった。
ところが、その年は1961年であって、かの1960安保闘争の翌年であった。当時の学生「活動家」は留年するのが多かった。私は、まさに山場だけの「即席活動家」として勇名を馳せただけなのだが、大学側は留年の「危険」を感じたらしい。
以下の部分は間違いなく自ら確認できた事実であるが、仏文科ではなくて私が在籍していた英文科の助教授が、わが家に電話して母親に、「ノートか論文を出せば合格にする」と告げたのだ。就職先が決まって安心していた母親が驚いて、私に「そうしろ」と言うから、私は英文科の研究室に赴いて、その助教授と会った。
この場面も簡略にすると、授業に出ていないのだからノートがあるわけがない。他人のノートを写す奴もいたが、私にはそんな気は毛頭無い。論文を書くよりも勉強したいと言ったら、いわゆる潜りで授業に出ても良いという。そう約束したが、日本テレビに就職した直後に労組結成、とんとんとんと不当解雇まで受けて和解で退職するまで、まるで時間がなくなってしまった。だから、卒業の条件の約束を果たしていないのである。
てなわけで、記憶は定かでないが、もしかすると、その後、そこにしかない本を訪ねて本郷の図書館には入ったことはあるが、教室に入ったのは41年振りのことになるのかもしれない。法文系の第1大教室だったが、そこで、1月27日、日曜日、姜尚中(東大教授)編『ポストコロニアリズム』刊行記念と銘打った「シンポジウム/9.11以後の世界とポストコロニアリズム/アフガン~沖縄~東アジア、そして私たち」に参加した。
参加した理由は、この集会の最後の「特別講演」の講師で中東史の大御所、板垣雄三(東京大学名誉教授、敬称略)の話を聞くと同時に、講演後の時間を狙って直接頼みたいことがあったからである。板垣雄三とは何度も会って話している。しかし、この時には集会後の懇親会で向かい合わせに座って、1時間半も歓談の仲間入りが出来た。その件は別途記したい。
本日は、むしろ、ついでに聞いた姜尚中以下の若手大学助教授とか大学助手とかへの唖然たる思いの方を先に記す。もちろん、集会の表題の「9.11以後の世界」云々との関係が、緊急を要する問題だからである。
簡単に言うと、彼らはまったく「謀略説」を論じなかった。私が会場で質問しても、虚空を睨むような逃げ方を示した。姜尚中は、冒頭に長い「問題提起」をしたが、配られた印刷物の要旨のままの話だけであったから、中身を確認しやすい。
彼は、9.11.をメディアの造語そのままに「同時多発テロ」とか「テロリズム」と表現しただけでなく、ユダヤ人の哲学者のアーレントまで引き合いに出して、ユダヤ人問題の「最終解決」とか、「ドイツの悪夢」とか、「アウシュヴィッツが突きつけた近代の臨界」とか、要するに空疎な言葉遊びによるだけの「現代」世界の理解振りを露呈した。
姜尚中とは、数年前、日本ジャーナリスト会議主催の集会後の懇親会で話をしたことがある。私が、読売新聞論で深めた日本の侵略戦争の精神的推進者、後藤新平の「文装武備」と、関東大震災当時の中国人、王希天の虐殺問題についての話をしたのだ。その時にも、女性の市民運動家の「追っ掛け」的人気の対象の割には、中身が薄っぺらな印象を受けた。
当日の会場でも開会前に顔を合わせ、先方が会釈をしたので、こちとらも「いつぞや」と言い、「その後、王希天のこと調べましたか」「いえ、まだです」との短い会話を交わした。その時には、先の記憶よりも、やつれて見えたので、在日朝鮮人として東大教授になったのが、実は重荷なのではなかろうかと、いささか同情したほどだったが、「問題提起」を聞いて、(実は退屈で堪らずに半分居眠りしてしまったのだが)、その印象が当たっていたと確信した。
この目で見て、この耳で聞いた事実は、まさに典型的だった。在日朝鮮人の視点を重用された姜尚中が、実は、脱亜入欧型の日本の文化人こと欧米崇拝奴隷根性どもと同様に成り果てているのだ。9.11を語り、アフガンを語りながら、アメリカの俗物の視点でアラブ・イスラム世界に「同情」してみせるから、からだがねじれて、頭もねじれて、まったくチグハグ、矛盾だらけになるのである。
この話は複雑だから続編を予定するが、私が会場の整理に応じて紙に書いて出した二度目の質問の方を、彼は、「コーディネーター」とかの立場で、まるで存在しないかの様に扱った。私の質問の要旨は、なぜ、アラブ・イスラム世界では多数派の「9.11.モサドまたはCIA謀略説」および「ホロコーストの大嘘説」を検証しないのか、であった。これはとても難しかろうが、重要な質問なのである。(後日に続く)。