第3章 人と機構
4 プロダクション・システム
A 新しい組織
――プロダクション・システム発足のいきさつ――
―― これまでの放送番組の制作に当っては、プロデューサーがプランナー業務も演出業務もあわせて担当してきた。新機構ではプロダクション・システムに一歩進めるため、企画・演出・制作の業務をはっきりわけて、制作業務を合理化することによって専門職能の一層の向上を期している。
〈企画〉長期かつ連続的なリサーチ活動(例えば文研で行っている視聴率調査のようなものなど)に基づいて新番組の開発を図るとともに、長期、その他の企画案をつくる。
〈制作業務の合理化〉チーフ・プロデューサーをそれぞれの制作班において、制作管理の合理化を進める。チーフ・プロデューサーは所属班員の制作スケジュールや番組単価、管理計画を作成のうえ運用し、担当制作番組に責任を負う。
〈専門的技能の練磨向上〉番組の進歩発展のためにはすぐれた専門的技能と知識をもった人材が必要なので新たにチーフ・プロデューサーとチーフ・ディレクターという職位をおき、制作・演出を専門的職能として明らかにし技能の練磨向上と後進の指導に努める。
以上のようなことを目途としてプロダクション確立の一歩を踏み出したのである。――
ネットワーク、1965年4月
芸能局のプロダクション・システムは1965年の4月から発足し、それまでの組織・機構……
芸能局長
┏ 第一文芸部
┃ R・Tのドラマ番組の企画・制作業務
┣ 第二文芸部
┃ R・Tのバラエティ・舞台中継・演芸・クイズ等の番組の
┃ 企画・制作業務
┣ 第一音楽部
┃ R・Tの洋楽、軽音楽(レコードを除く)の企画・製作業務
┣ 第二音楽部
┃ 邦楽・レコード番組の企画・制作業務
┗ 庶務部
芸能局の庶務人事、計理、労務管理の業務と芸能局所属の
デザイナーの管理
を次のような新しい組織・機構に改組した。
┏━━━┓
┃芸能局┃
┗━━━┛
局 長
次長 2名
CP 1名
CP 1名
┏━━━┓
┏┫企画部┃
┃┗━━━┛
┃ 部長 1名 C 7名
┃ 副部長 2名 B 3名
┃ 主管 1名 A 1名
┃ CP 7名
┃┏━━━┓
┣┫演出室┃
┃┗━━━┛
┃ 室長
┃ 副室長 1名 C 16名
┃ CP 8名 B 1名
┃┏━━━━━┓
┣┫第1制作部┃
┃┗━━━━━┛ ┏━━━━━┓
┃ 部長 1名 ━┫統括デスク┃ C 2名
┃ 副部長 3名 ┗━━━━━┛
┃ 主管 1名
┃ CP 15名
┃ ┏映画班 C-1 B-2 A-2名
┃ ┣大岡政談班 C-1 B-4 A-3名
┃ ┣太郎班 B-3 A-1名
┃ ┣ラジオドラマ班 C-3 B-4 A-3名
┃ ┣クイズ班 C-3 B-4 A-9名
┃ ┣舞台中継班 C-2 B-2 A-2名
┃ ┣あしたの家族班 B-2 A-2名
┃ ┣おはなさん班 C-2 B-4 A-3名
┃ ┣N劇・長時間ドラマ班 C-2 B-7 A-5名
┃ ┣三姉妹班 C-1 B-2 A-3名
┃ ┣太陽の丘班 C-1 B-4 A-3名
┃ ┣演芸班 C-2 B-2 A-5名
┃ ┣源義経班 C-1 B-3 A-2名
┃ ┣試作番組班
┃ ┣デザイン班 C-3 B-14 A-8名
┃ ┗効果班 B-4 A-21名
┃┏━━━━━┓
┣┫第2制作部┃
┃┗━━━━━┛
┃ 部長 1名
┃ 副部長 2名
┃ 主管 2名
┃ ┏歌謡曲・軽音楽番組班 C-3 B-7 A-4名
┃ ┣民謡番組班 C-2 B-3 A-1名
┃ ┣ふるさとの歌まつり班 C-3 B-2 A-4名
┃ ┣音楽は世界をめぐる班 C-2 B-1 A-4名
┃ ┣リサイタル番組班 C-3 B-7 A-7名
┃ ┣邦楽番組班 C-2 B-1 A-4名
┃ ┣シンフォニー番組班 C-2 B-5 A-2名
┃ ┣軽音楽構成番組班 C-3 B-6 A-3名
┃ ┗洋楽構成番組班 C-4 B-8 A-1名
┃┏━━━┓
┗┫総務部┃
┗━━━┛
部長 1名
副部長 2名
┏庶務班 C-2 B-1 A-4名
┣計理班 C-1 B-1 A-6名
┣放送料業務班 C-1 B-1 A-3名
┗美術班 C-1 B-1 A-2名
(註)第1、第2制作部の各番組制作班はプロダクションを意味する。
このプロダクション・システムは膨張、複雑化していく芸能番組の制作体制を抜本的に検討し直して、あくまでも番組制作に適応した組織に作り変えようとするものであった。
この芸能局首脳の構想に対して当時の我々は基本的にこの構想を歓迎するとともに、むしろこの構想を積極的に推進してとくに
1.業務・人事管理本位の副部長――班制度を廃止して、番組制作のための責任あるプロダクション・システムを作る。
2.プロダクションの制作責任者であるチーフ・プロデューサー、演出の専門家であるチーフ・ディレクターとともに、デザイナーおよび効果の専門家への道を確立する。そのために演出室に準じてデザイナー室を独立させる。
3.企画部は職員の企画提案の窓口を積極的に解放し、また制作部との人事交流を活発にして職員の企画能力の開発を図る。
等の主張をした。
当時、芸能局の組合員はこの機構改革に対して期待を抱いてはいたが十分な組織討議にかけられていなかったためその具体化にあたっては漠然とした不安感が潜在していた。
いずれにしても1965年4月、芸能局のプロダクション・システムは実施され、その年の10月、芸能局が放送センターに移動して新しい部屋割りスタジオの使用が始まるに至って、ようやく本格的に動き始めたのである。