第3章 人と機構
1「プロデューサーからの訴え」
A なんでも屋PD
「プロデューサーを、一生やる気はしないね。」「どうせ俺たちは消耗品さ。使いに使われて、挙句のはてはボロ雑巾みたいになってしまうのがオチさ。」
「プロデューサーやった人間、きっと長生きできないね。みててごらん、平均寿命はきっと恐るべく短いよ。」
こうしたプロデューサーたちのつぶやきが、我々PDの職場に、ここ何年も重苦しく淀んでいる。
先輩は、新しく入ってきた後輩に、PDとしての夢ではなく、その明日(アス)なき悩みを語る。
一体PDとは何なのだろうか。NHKのPDとして、我々はどうあるべきなのか。それに比して、我々はいかに不当に遇されているのか?
まず第一に、我々が恐るべき「なんでも屋」に仕立て上げられている現状から報告しよう。
報道第7分会の報告。
―― 「我々には、PDとしての仕事以外にあまりに雑事が多すぎる。例えばロケの場合、現地へ行くのはカメラマンと2人だけだ。現場での我々の仕事は、カメラマンと共に荷物運びから始まって、ライトのセッティング、出演者の世話、録音取り、カメラ助手スチール撮影と雑事に忙殺される。荷物といっても、1個持ち上げるのがやっとという重い奴が、5個も6個もある。それを、出演者の約束に遅れまいと、車の昇らない石段を、駆けのぼるようにして運びあげる時など、汗びっしょりになる。目がくらくらするのを押えて、さっそく、ライティングにとりかかる。電源をとりに、電柱へかけのぼる。かくしてロケーションに出たPDのまず、第一の試練は、この力仕事に、耐えうるかどうか?ということだ。
カメラマンも同じである。かくして、1カ所のロケが終るや、風のごとく、移動して次のロケ地へ向う。神風ロケには、同じ日本人でもペースの違う、地方の人たちなど眼を丸くする。カメラマンと共にファインダーをのぞき、映像を工夫する余裕など、とてもない。ある民放の場合、ロケ隊の編成はプロデューサーの他にカメラマン2人、制作助手1人、録音、ライトマンが各1人付いて行くという。専門家がそれぞれの分野で働きプロデューサーは番組の構成、演出に専念できるという。我々の現状は前田会長のいう「放送人」の理想像そのままを条件も整わないまま無理やりやらされているといっていいだろう。」
中継PDは、なおさらのことである。重いコードをズルズル引っ張って泥まみれになる。そこで曰(いわ)く、「PDに首から上はいらない。力さえあればよい。」曰く「首なしPD!」「体力がどれだけもつかが、PDの勝負だ」
ウデの力。アシの力。曰く体力PD。「人足PD」……。これは、やはりPDの姿としては、どこかおかしい。仕事の性質上、そういうことも、あろうけれども、それが仕事の主要な部分を占めて、本来PDがやるべき仕事を、追い出すところが問題なのだ。他にもある。
報道第8分会からの報告。
―― 国際会議があって海外から、大臣が大勢来て、関連番組を組むことがある。もちろん、企画をし、具体的な打合わせのために、PDが、各国大使館と連絡を取るが、当日も礼を失しては大変というので語学堪能のPDを配して準備する。それは当然だが、番組制作とは関係ない、まるで協会を代表した接待係のようなことまでやらねばならないことがある。
なにも大臣に限ったことではない。PDは出演者のために、毎日お茶を運んでいる。三十面(ヅラ)をさげて、お茶を汲みに湯沸し場に走るシーンだけは、女房に見せたくないとかと、PDはみんな思っている。
それかあらぬかは、PD本来の仕事として、まかり通っている仕事の大部分は、雑用なのである。大部分というのは、量的に大部分ということであって、質的に大部分を占めるべきは、別のものであること、いうまでもない。
―― ここに、プロデューサーという仕事がある。それを日本語にすれば、製作者ということであって、まさに生産者なのだが、実際の仕事というのは、脚本家に執筆を依頼し、タレントに出演を依頼し、スタジオの手配を済ませ、制作にかかわる、もろもろの伝票を切り……といった雑務が、彼の時間の大部分を占領する。つまり、プロデューサーは、情報生産の場を製作する、いわば設営班に過ぎなくなる。プロデューサーというのは、放送人の中で、情報生産者を名乗ることのできそうな、恵まれた職種のひとつである。そのプロデューサーにしてからが、こんな調子である。(加藤秀俊CBCレポート 1965年9月)
というような意見は、まさにこの間の事情を指摘している。経営者が安易にいつまでも、NHKのPDを、雑用係、小間使いのように、こき使っているから、放送人としてのPDの姿が曖昧で、放送人としての職業イメージが現場に確立されないのである。
或いは、教育第2分会のように、本来の放送の仕事以外に、通信教育の自習テキストの編集まで請け負わなければならない場面もある。こうした雑用の多い仕事を、しかも1本の番組に日々専念するのではなく、大部分のPDは、「かけもちPD」で、週何本もの番組を、かけもっているため、どうしても圧縮できない手続上の雑用部分が、ますます仕事の大部分を占めて、のさばり、妥協や質を落すことによって伸縮できる、「企画や演出」の重要な本来業務がますます追い落とされて、小さく姿を消すまでになる。
B 「特級酒」を創らせてもらえないPD
「君たちに、特級酒をつくってくれといった覚えはない。二級酒でよいのだ。勝手に特級酒をつくって、時間外をくれと言っても、余分に働いた分はやれない」と、某職制が言ったという有名な話があるが、これが現在のNHKの中・末端職制の考えを雄弁に物語っている。NHKには、特級酒をつくりたいのに、二級酒はおろか合成酒つくりでガマンしろと言われているPDがたくさんいるのだ。
―― これまでだって結構お客がついているのだ。このままでよいから、カネとヒマのかからぬ工夫をしろ。
というような言葉を吐きかけられて、「プロデューサーは俺の一生の仕事だ」と決心するお人好しが、どこにいるだろうか。
例えば、健育第4分会からの報告。これは、二級酒しかつくれない条件のもとで、特級酒のある番組をつくるべく努力した涙ぐましい記録であるが、
―― PDの手を増やすこと、機械を確保すること、ミキサーの立会い、スタジオの確保など、全ては担当者が再三・再四にわたって上司へ懇願することによって、慈悲を与えられるがごとくして得たものか、或いはサービスとして得たものであるにすぎなかった。
人員、設備、技術、予算等に対する職制の見通しがなく、提案の際の要求予算は半分に削られた。さらに、担当者が熱意のあまり時間外労働をすることをおそれた職制の配慮がたたって、スタジオは延期となり、製作日数も増え、上述のような混乱を招いた。職制は、形式的な基準外労働規制に戦々恐々としながら、番組の内容には干渉して、再取材外録を追加させたりし、作成を3回もやり直す結果となった。それだけ担当PDの実質的な労働密度は締め上げられる。
時間外を単に形式的に恐れながら、良い内容の番組をつくれと言われても、あまりにも虫が良すぎると言いたくなる。
この担当者は、それでも熱意でカバーして何とか良い番組をつくろうと努力した。しかし、こういうことが続けば、そのうち言われた条件内で適当にやれば良いのだ、ということにもなりかねない。
職制側も、意欲的な問題作よりも、無難な平均作を求める傾向に走るPDが、「所詮、NHK御用達の番組しかつくれないのだ。それは真に自分のつくりたい番組ではない。そんな番組づくりに一生をかけるよりも、早く管理職になって……」と思い出した時、彼は「NHKの職員」ではあるが「プロデューサー」ではもはやない。この日本のどこにおいても、そうした純粋なプロデューサーなり録音なりの職種が確立されるとは考えられないが、しかし、我々はそれをNHKの中において要求していく権利があるし、また、そうしなければならないのではないかと考える。
C 創造と自由
PDとは何か。まずPDは、放送企業の中でも、各職種と最も接触の多い職種である。例えばカメラマン、彼は「放送番組」という商品を生産する、生産の原点である。美術デザイナー、彼もまた、商品生産の原点である。PDは、「企画演出という意味で生産の原点である。ただPDは、自らも原点であると同時に、他の原点と原点を結び合わせてゆく役割をもっている。こうして、大空の星が結び合わされて「白鳥座」や「さそり座」ができあがるように、番組という商品を結び合わせてゆく。
生産原点に立つ我々は、商品をつくる第一線の生産者である。放送企業において、その存亡は企業の存亡に繋がるのである。しかし、たまたまPDがその生産者原点を結び合わせる役割にあるため、職制からの圧迫も直接ここに掛ってくることになるし、さらには他の生産原点、つまり他の職種の間から、往々にして誤解を招き易いことにもなる。逆に言えば、それだけPDは生産の第一線に深い係わり合いを持っているわけである。良いカメラマンが良い番組を生産するのに役立つのと同じ意味で、優れたPDは優れた番組を産むであろう。
放送企業においては、特に「人」が資産なのである。ところで、それではPDとは何か。我々のいうところのPDは、企画者であり演出者であり製作者である。だが、製作も演出も根本的には「企画」に関わってくる。
それでは企画というのは、どういうことだろうか。これは疑いもなく、創造的な仕事であり、さらに突き詰めて考えれば、創造というのは個人ベースの孤独な仕事なのである。企画、演出という仕事は集団でもできるが、所詮は個人に帰りつく。個人が創造するためには、その個人は組織からも何ものからも本質的に自由でなければならない。創造と自由は、こうして表裏一体となる。
放送→創造→自由という関係については、さらに詳細なる理論の構築を行わなければならないことはもちろんであるが、少なくともPDには創造とその自由が、権利として許されていていなければならないと考えられる。
ところが、NHKにおいてPDに、どれだけの創造の自由が与えられているであろうか。例えば芸能局において、「プロダクション・システムを採用した結果、企画と制作を分けたのであるが、「おまえたちは、企画はしなくてもよい。企画は企業部がやることだ。おまえたちは、ただ、それを映像にする機械に徹すればよいのだ」といわれたPDたちの間には、ふつふつと不満の声、やり切れない不安感が挙がってきている。番組をつくる上で、全てのスタッフが創造と自由を駆使できるわけではないかもしれないが、それは今すぐ与えられなくても、「能力と才能によってはそれを持ち佇く」という大きな道が行く手に切り開かれて示されていなければならない。
機構的に創造への道が全てのPDに開かれていなければならないとの同様、番組編成上もそれがなされていなければならない。ところが、芸能第1分会で指導する如く、その門は年々狭くなっていく傾向が見られる。
―― 数年前までは、『TV劇場』『文芸劇場』」『創作劇』の3本の単発ドラマ枠があり、実験的で新しい創作の試みを行う場となっていた。さらに、これらの単発ドラマは新人登竜門としての役割も兼ねていたものである。ところがそれが、『NHK劇場』と『テレビ指定席』の2本となり、そのうちの『NHK劇場』は今年は『愛のシリーズ』と名前をつけられ、純愛ものしかやれなくなってしまった。『愛の不毛』もだめなら、『氷点』すらもだめだろうという、いわくつきのものである。
さらに今年10月からは『テレビ指定席』もなくなり、結局単発ドラマは1本に減ってしまった。
番組の大型化という美名のもとに、実験的な創作の試みは次第にその場を失いつつある。
こうした状況の中で、PDたちは必死になって、創作と自由の確立のために突破口を探し回っているのである。これを裏返していうならば、PDから創作活動とその自由を奪うことは、PDからその生命を奪うに等しいと、我々は考えるのである。