禁断の極秘文書・日本放送労働組合 放送系列
『原点からの告発 ~番組制作白書'66~』13

メルマガ Vol.13 (2008.03.05)

第2章 制作条件をめぐって

3 合理化要請と管理体制

―― 十分な準備をといってもそれは理想論だ……

 内外の情勢からして多少の無理は承知でどうしても進まなければならないことだってある。

 テレビ放送開始のときだって、教育テレビ発足のときだって十分な準備があったわけではないが、やがて何とかなったではないか。

 無理はしないでできるところからやっていくんだ……。
       〔カラー化団交のメモから:協会側発言〕

A 何とかなるだろう…

―― 今年の春から始まった「カメラレポート」は、毎週月~土の朝7時20分から35分までの15分間放送される社会番組部担当のローカル番組で、開始以来、かなりの視聴率をあげている。しかし、これは限界を超えたカメラマンの労働の上に成り立っているといえる。

 我々が既に発足するときから危険を感じていたように、この番組はカメラマン1名、PD1名でロケ日数3日という、従来のテレビ番組の制作の常識を破ったものであっただけに、労働量は想像を絶するものがあり、この制作条件はすぐさま改めざるを得ない状態に立ち至った。

 もともとこの番組は、以前あった街頭録音のような構成でよい番組で(「みんなの意見」を前提とする)。カメラ技術を駆使することは要らず、

同時録音取材の場合は、PDが録音を手伝うこと、

「時の動き」など他の番組でスタジオを多用してフィルム番組の絶対量を増やさないようにすること。

などの点で、TVニュース部と社会番組部との職制間の了解で始められたものといわれていた。しかし、このような約束は、ただ我々を開始させるのに納得させるための、一時的な言い逃れに過ぎず、テレビニュース部の業務量は益々増加の一途をたどって、今やギリギリの極限状態に立ち至ったのである。

 まず、ロケ現場からは、3日のロケ日数ではどうにもならないという悲鳴が上り、ロケ日数は必然的に4日から5日へと延びていった。しかし、これを抑えて3日でつくろうとすれば、わずか3日間で15時間を越える時間外労働をしなければならないケースが続出し、1人のカメラマンが月に2本のカメラリポートを受持てば、たちまち30時間~40時間もの時間外をするという、三六協定の範囲内ではさばききれぬような業務量である。

 このため仕方なしに日数を延ばすことになったが、番組のロケ日数が延びればそのカメラマンの労働はそのまま残った者の負担になるわけで、最近では本来の業務であるニュース取材のカメラマンを確保できないという本末転倒のケースも出てきている状態である。

 今日の番組がカメラルポルタージュの形式をとったカメラ技術の駆使によってつくられているように、例えばフィルモで撮っていたものが、アリフレックスで撮れば画面の効果が高いことから、カメラマンも機材の過重を承知の上でアリフレックスを使うというケースが増えた。これは仕事に対する愛情の深さからである。我々がつくる番組に基準というものがはっきりない以上、労働量を増やしても良い番組をつくりたいというのは担当者として常識であり、いきおいオーバーワークを生む結果となっている。職制がこれを十分承知しながら、制作の在り方を見くびっていた点は、強く指弾されなければならない。

 さらに、番組制作の場合、PDは取材の対象を十分調査してからロケに入るのが常識であるが、現状はPDの労働条件の悪さから、調査が不十分となり、ロケに入ってから取材の打合せなどを余儀なくされる場合が多く、一緒に取材するカメラマンに無駄な労働が増える原因になっている(この点については報道第7分会で検討を要望する)。それというのもカメラマンとPDとが企画の段階から打合わせを行わない、または行い得ないためで、両者の定期的な会合をはじめ、担当者同士の企画段階からの打合わせを要するコミュニケーションがどうしても必要だという声が我々分会に多い。

 このように番組には解決されねばならない問題が山積みしているのに、テレビニュース部の職制の関心はニュース取材ほど強くなく、当然起っている人員不足の問題にも、その場かぎりでごまかすか、または口をつぐんでしまうという態度があたりまえになっている。(報5)――

 「無理はしない。できる範囲で……」というのは協会の常套手段であるが、この欺瞞を如実に語っているのがこの報告である。「できる範囲で……」のうらには「やってみれば何とかなる……」という考え方があり、それは必ず「何とかやれ……」となるのである。

 “できる範囲で”やってみて、成果が上らない場合その責任はどうとられるだろうか。何とか一定の成果を上げることは、担当者の責任としてかかってくる。(第3章1参照)また成果が上り話題番組となればなったで、その成果を維持すべく新たな負担を負うことになる。特にその場合、協会は「無理をしても良い仕事をしたい……」という担当者としての基本的要求からくる自己犠牲の上にあぐらをかき、制作条件の抜本的改善という本質的な管理責任を果たそうとしないことである。

 教育第4分会のレポート「特集番組の問題」において、芸術祭参加作品の制作を担当したあるPDは「特集番組の制作の過程で、担当者が現実に味わうものはプロデューサーとして、ディレクターとして、また労働者として、考えれば考えるほど『NHKは何のために特集を出すのか』という疑問のみである」。と前置きして

――1 担当要員について

 〈内 容〉

 当初2カ月間の取材中は、担当PDは1人であったため

○羽田空港という広大な地域での取材のため、コード類、ショルダー、テープその他器材を多量に持参しなければならず、しかも、それを携帯したまま広い地域にわたって徒歩で移動しなければならなかった。

○中継技術及び効果担当者に依頼して、機動的に収録し、かつ最適の収録時間が一定しているため、同時に3カ所以上を収録を行う必要も当然であったが、PD1人では連絡や打合わせをして歩くだけでも困難であり、むしろ、その不自由さの故に、折角の収録チャンスを逃したこともあった。

 例で示すと、夜9時から午前2時にかけて国際線出発ラッシュと航空機整備の時間とが集中しているため、この間に、管制塔、レーダー室、フィンガー、スポット、整備工場、滑走路内等、5カ所、いずれも数キロも離れた地点での同時収録の必要が生じたが、PD1人のため、連絡打合わせが不可能となり、一部収録し損じた部分もあった。

 制作効果の上でもマイナスであった。PDの仕事は収録の指示のみならず、協力出演者との事前打合わせや、誘導、内容の試聴、特殊は機械類操作についてのテスト、さらには技術関係者の休憩、仮眠の場所と時間、食事の心配、その他雑用が数限りなくあるので、大規模な外録に1人のPDでの取材効果の困難さは言わずもがなであろう。

○突発的に新しい収録現場が要求され、そこに急行するための車券追加など、本部へ現場からの連絡の必要も生じるが、そのためのデスク担当者すら不明確、さらに言えば、存在しなかったと言える状態であった。

○一応の収録を終って、改めて厖大な収録テープを試聴し、編集し、コピーを取るという作業方式であったため相当の期間、時間的にロスがあり、そのため編集がはかどらず作者との打合わせが遅延、さらに時間外労働にしばられて、スタジオを使用中止、延期すること再三に及んだ。

 取材開始後ほぼ2カ月程して(7月から)アシスタントが1名加わり、遅ればせながら2PDとはなったが、依然としてとして労働強化は改善されなかった。

 7月からの1名追加も各担当者に明確な業務命令がおろされたわけでなく、具体的な改善の方途が講じられないままに過ぎていった。

○1PDの際は、やむなく作者に機械の持運びや、事前の打合わせを手伝わせ、また外部出演者にテープ収録の操作を依頼せざるを得ぬときもあり、事実そうもした。そのため、外部出演者から、芸術祭番組の制作に、担当者1人とは、あまりにも貧弱であると失笑を買い、疑いを持たれたこともある。

 〈要 求〉

○番組の内容、質、予想される取材状況を明確に認識した上でなければ制作の業務命令を発すべきではなく、少なくとも2、3名の担当者を特集には配置できるような態勢を整えてほしい。

 ドキュメンタリーというものの性質上、いつ、如何なる場合に最善の取材チャンスを得るかわからないのに、最低の人員、1人で、量、質共に無理な制作状態を与えておいて、芸術祭で入賞せよと、晴れがましい結果のみを期待されたのでは、何のための入賞かと疑いたくなり困惑してしまう。

○取材収録と並んで、テープの整理、編集、コピーを行いながら、デスクの連絡を担当すべき人員が、担当者とは別に存在することが望ましく、事実、過去に、取材要員6名、編集要員2名の特集もあったことがある。

  2 設備について

○夥しい収録テープを保管し、同時に担当者2名が共に編集するための部屋も器材も用意されていなかった。 再三のPD側からの要求で、何とか小部屋を獲得してくれはしたが、週に2日は器材及びテープを撤去することが条件であった。そのため、作業はしばしば中断させられた。その中断の度数を最少にするための策は全て担当者の自発的努力に任された状態となり、他部所属の部屋であったがため、担当者は幾度となく頭を下げ、部屋の効果的利用に低姿勢を取り続けることになった。

  3 制作時間について

○担当者が2PDとなっても徹夜収録、深夜に至る編集、打合わせ、検討が当然のことながら実施されたが、取材内容、作業の進行状態、番組の質など以上に管理局が心配していたのは制作時間の長さであり、そのための労働違反を極端に恐れていた。

  4 予算の問題

○長期取材、かつ、羽田に日参するという関係上、相当多額の予算が必要であるのに、希望予算は、懸案を通過させるための手段として半分に削られた。そしてその不足分は他の番組から出すということとなったが、その番組への遠慮もあって、思い切った取材をし難い気まずさを感じさせられた。

 時間外労働の限界を超えさせないための配慮から、予定されていたスタジオ使用は延期となり、製作日数も増え、深夜帰宅の連日の車代が当然増大し、さらには命令による再取材外録の追加、作成の3回やり直し等により、相当の予算超過があった。

  5 管理上の問題

○制作内容、作業に対する質的理解の欠如

 人員、設備、技術、予算等に対する見通しがなく一にPDの手工業的労働、個人的努力、個人的工作(事を円滑に効果的に進めるために、他部上司に頭を下げに行く)過重労働などによってしか番組ができ上がるにすぎない。

 結果として2PDになり、専用の部屋を得、機械も得、ミキサーも立会い、スタジオも延期もしくは延伸し得たが、全ては、担当者の個人的努力によるものであった。

 芸術祭参加番組であるならば、当然そのための完全な制作条件への配慮がなされなければならないはずだ。

 労働違反は恐れる、しかし、仕事はやれでは担当者は困惑するのみである。より良き番組のために、やむなく結果として違反が出たなら、その違反を素直に認め、労働の報酬は与えられるようにするべきである。我々番組制作、演出の仕事は、定められたコースの上のみを走らされるようなものである。(教4)

 “仕事の質はあくまで高く”、“金と時間はかけないで”この矛盾した要求をし、しかも抜本的な条件整備の手は打とうともしない職制。全てをPDの責任にしておけば何かとやってのけるだろう、特に特集などの担当の機会を与えられたのがPD冥利だろうと考える職制。

 このような“責任逃れ”からは次に指摘されるような管理不在というべき事象が当然出てくるだろう。

―― 例年、年度末には予算オーバーで締めつけられるが、40年度下半期は理屈抜きに制作費削除をしてきた。「“何で不足したのか分らないが金がない”と」いう指示により、オケ減らし、役者減らし、report放送で定時番組は文字通り穴埋めと化した。

 番組が予算に従って作られているにも拘らず、不足を来たすという事情にはいくつかの理由が考えられる。そのための措置がとられていなければならないのは当然のことではないか。

 年度半ばにして急に予算不足を言ってきたことは、それまでの予算Systemがルーズであったということが言えると同時に、定時番組で格別使い過ぎてもいない状態で原因の説明もなしに制作費切詰めを命じられるということは全く理解に苦しむのである。(教4)――

―― オーディションには金をかけて作り、その後の予算決定時にはその番組を通すためだけに適当な数字をあげて一種のごまかし操作の上で枠をとる。足りない分は他の番組から補いをつけるという杜撰な予算の決め方に対する不満となってあらわれている。そして同時に「予算の使い得」といった風潮に対する批判ともなっている。(教4)――

―― デザインの定員24名の割出し基準はどこにあるのか、現状では1人病気すればoutであり、連続物などでは完全にoutである。

 明治百年の美術にアシスタントが定めかねる現状24名で間に合っていると思われると困る。要はデザイン本来の仕事面(技術打合わせ等)を欠いて間に合わせているのであり形としては大変不完全である。(芸4)――

 人員不足、予算不足を訴える声の中には、人員にせよ番組予算にせよ
「一体何を根拠に割出すのか」という不信感が根強くある。今度定員算定
の根拠を争う闘争を日放労の全活動の中に位置づけていかなくてはならな
い。

 番組単価制度についての見当は別に特別報告を待つことにしたい。