第2章 制作条件をめぐって
2 現場の実態
C 制作条件としての職場環境
職場環境、我々はこれも政策条件としてとらえねばならない。
―― 36年1月写真課のラボが現在位置にできてから5年余り、写真課の環境衛生は抜本的に何ら手を打たれるところがなく現在にいたっている。
現在までに受けた肉体的、精神的苦痛は次の通り
イ 有毒ガスの発生
ガスの量は確かに微量であるが常に目に見えない有毒ガスを呼吸し、健康管理に自信がなくなって来ている。
ロ 音について
資材搬入の際は地下にひびき渡り、それも目の前で行うので非常に気分を害し、仕事欲を疎外する。
また電送機の発信音のため事務能率が低下をまねいている。
ハ ネズミ・蚊・ゴキブリの発生
衛生上好ましくなく伝染病の発生も考えられぬことはない。
ニ 車の出入が多く、一度室内にとびこんだ例がある。地下で交通事故の心配までしなければならない。
ホ 湿度・温度が不安定であり、資材管理以上に健康上好ましくない。また空気がまずく、強酸ガスのため臭覚が麻痺してしまっている。
ヘ 白黒印画でも薬害があり、被服、ツメ先等がおかされている。
ト 地下で四方カベのためストレス状態にある。精神衛生上好ましくない。また撮影の感がくるい視力が低下する。
●●抜本的に改善するためには部屋を変える外ない。(業4)――
(●●は原稿破損につき不明部分。以下同。)
―― ●●上京する地方局のPDが我々の部屋―政社番百数十人●●221号室―にやってくると先ず例外なく顔をし●●場」と自嘲的に呼ばれている雑然さにあきれ返る●●
―― ●●された職場環境調査でも不良と判定され●●の部屋)この他でも可がほとんど●●不良)
そしてまたこうした調査が毎年行われるにもかかわらず一向に改善されぬ事実に強い憤りを感ずる。
代表的な例として221号室の社政番部屋には292㎡(但し壁を含んだもの)に150人もの人間がひしめいており、こうした環境の改善なくして、番組内容を云々する事はできない。(報10)――
我々はここでも単に快適な居心地をむさぼろうといっているのではない。我々の放送を真に充実したものとして成立たせる要因として、責任ある番組を出すための必要条件としてそれを要求しているのである。
―― そして編集が終れば、殆どのPDが自宅へ帰ってから深夜になって原稿を書いている。ご存知のようにNHKには1人で静かに原稿を書ける部屋はない。そして文章を書く仕事ほど、孤独で神経の疲れる仕事はない。より人をうつ論理の発展とそれを表現するよりよい方法、よい文章を作るにはこれで終りという限度がないからだ。(報7)――
―― 資料ノート、参考文献等をそれらを分類し、整理して記憶を客観的に保証するような工夫が要る。
報道PDにとって基本的に必要なこれらの作業の蓄積は全て職場において保障されなくてはならないのだ。
しかし、実際は1人に一つの机もなく、ロッカーもない。資料は玉石混淆で山と積まれている。自分の机がないのでじっくり腰を据えて本を読むという雰囲気に乏しい。確かに報道PDは足で材料を集めねばならないが、時には静かに考え、部厚な専門書にとり組むことも必要である。そういうことのできる物質的条件は労働条件の一環として認識されねばならないだろう。
良い番組を出すための条件整備について、ミドルマネージメントの段階で具体的な観察や対象追及が怠られているとしたら、それは直ちに現場PDの肌に鋭敏に影響することを知るべきだ。もちろん限られた建物の中の限られたスペースのやりくりの問題だから、今すぐに快適な職場環境が整備できるとは思わないが、PDにそのような職場が必要なことをこの際改めて主張しておきたい。(報8)――
一方、政経部、社会部の記者たちは次のように訴える。
一日中外まわりをしたり、夜まわりで取材を終えて帰局し、さて記事を書こうとすると机がない。デスクには机があるが、一般の記者たちにはない。やむなく報道総務分室や次長の机などを占領して書いているのが現状であるが、データを整理し、論理的に思考をまとめて原稿を書くという雰囲気からはほど遠い。「記者は机のない所でもどこでも記事は書ける、また書けなくてはダメだ。」というようなことをいう職制がいまだにいるが、やはりこれは古い記者かたぎの残滓というべきで、資料ロッカーもそなえ、資料をととのえて、条件のいいところで落着いて記事を書いてこそいいニュースができるというべきである。かつて、記者控室ができたが、今ではもっぱらデスクの会議室に利用されてしまっている。50人の記者にせめて10くらいの机がほしい。
放送のための資料……それなら資料部があるではないかと言われるかもしれない。では資料部の現状はどうか。
――――定員の不合理人員の不足は深刻である。そうして現実の条件を少しでもよくするように望む声が多い。理想的な諸条件を考えさせる余裕が現在の職場には少しもない。人間の居住条件を無視する事務室。資料の保管条件を省みない保存庫、廊下にカード、資料を放置する現状が資料部の発足時から続いていることである。(太字下線)“陽のあたらぬ”意識はこういう事実にも裏打ちされている。(業5)――
NHKの放送が新鮮な独創的な視点にたって内容の充実した権威あるものであるために、資料マンたちは単なる倉庫番としてではなくもっと本質的な資料活動を通じて放送制作への参加を望んでいる。しかしここでもそのようなあるべき活動を根本的に阻むものとして環境の問題があるのである。
仮に1日に1時間を生み出したとしよう。しかし「互いに椅子の背中がぶつかりあい」、「たえまなく電話のベルが鳴りひびく」、「四方カベのストレス状態」の環境で一体何ができることだろう。会長の訓辞をまつまでもなく、我々はだれでも何かの書物を携えて通勤している。しかしそれを読むところがないのだ。局外の暗い空気の悪い喫茶店を除いては……
人員、予算、環境、制作条件の劣悪さを物語るものはこれだけではない。制作パターン、機材、施設の問題などとり上げていけばきりがない。しかしここで視点をかえて問題を進めよう。
今まで述べてきたところでもう一度確認しておかなければならないのは、今のこの制作条件の悪さは相対的(太字傍点)な悪さなのではなく、絶対的(傍点)な悪さ―NHKの基幹業務が放送という文化領域の創造であり、我々が放送製作者であることのレゾンデートルそのものを空洞化させる悪さであるということである。
そしてこのレゾンデートルは単にNHKの財政の逼迫というような次元を越えて、放送労働者の社会的責任として、労働の倫理として不断の努力によって保持しなければならぬものであるということである。
制作条件をかくも悪化させている土壌は何か? 次にこの点を考えてみよう。