雑誌『憎まれ愚痴』1寸の虫の5分の毒針

「罵倒」表現の妥当性

問題は、中身のデタラメさ、または品のなさ

(1999.2.19)

 私は、明治時代の日本の言論史を学んでいます。そこでは、維新の元老を「老狗」(犬ですぞ!)と呼んだりしているのです。お上品になったのは、朝日新聞が、シベリア出兵(落語家も「シッパイ」とからかった)に発する米騒動の報道で「白虹貫日事件」などと略称される弾圧を受けて、暴力をこととする右翼の実力行使も加わり、「不偏不党」の綱領制定(実は政府批判をしない誓約)をし、廃刊を免れて以来のことなのです。以後の日本は、急速に、戦争への道を転がり落ちるのです。

 私は、ですから、本多勝一が「悪口雑言罵詈讒謗」を標榜すること自体は、非難しません。問題は、その手法にあるのではなくて、中身のデタラメさ、または品のなさにあるのです。私を、手法が似ているとして非難するのは、勘違いも甚だしいのでして、私は、本多勝一が、下手な悪口で売り込んだ結果として、悪口取り締まり法などができて、悪名高い禁酒法時代のアメリカのような、押さえ付けられたがゆえの心理的暴発の悲劇が起きることの方を恐れます。

 私はすでに、この種の悲劇が日本で起き始めているのだと判断しています。最近も電車の中で、その種の「汚い言葉」を吐き続けては笑う若くて見掛けは非常に上品そうな女性を見たことがありますが、それを聞きながら、日経の連載の通訳(女性)の内輪話に面白いのがあったのを、思い出しました。

 日本語でも、他人に腹が立つと「糞ったれ!」などと言いますが、どの外国語でも同じだと言うのです。私がフランス語を覚え始めの頃、ナポレオンの生涯を描いた大作映画がありました。そこで、敗北を覚悟の円陣を組んだナポレオン側の指揮官が、降伏を進める敵に対して、いかにも毅然たる武将の態度でサーベルを抜き放ち、誇り高らかに、「メルド!」と一喝するのです。私が学んでいた「文学」には出てこない単語だったので、さぞかし哲学的な用語でもあろうかと感じ入って、帰宅後に恐る恐る辞書を引くと、「merde[俗]人間或いは獣類の糞」とありました。つまり、卑俗な言葉に分類されているのですが、古代エジプトでは日本語で「糞転がし」と呼ぶ昆虫「スカラベ」を、神の使いに位置付けていました。いわゆる自然界の輪廻の思想の根本です。人間の言葉とは、そういうものではないのでしょうか。

 なお、私と同じく汐文社から『差別用語』シリーズを出している江上茂は、今は東京テレビに改名した12チャンネルで解雇反対闘争に勝利して職場復帰した労働組合運動の上での先輩ですが、私自身は、使用してはならない差別用語の範囲を、身体の障害、形態などへの侮辱を中心として考えるべきではないかと思っています。人間そのものが、偶然の産物であって、矛盾だらけである以上、上品にするための線を引き始めれば切りがなくなり、人間を廃止する以外には「理想的解決」がないということになるでしょう。

 以上。


本多勝一"噂の真相"

『1寸の虫の5分の毒針』
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