裸の猿の生まれ持った本能を無視する制度には、
必ず未知の、さらに恐ろしい危険が潜んでいる
(1999.2.19)
これはpmnへのmailですが、全体に共通する問題だと思うので、そのまま収録します。
木村愛二です。
少し長めですが、民衆のメディア連絡会の運動上、いささか意味のある問題だと愚考して、図書館でも調べる苦労をしましたので、それに免じて、ぜひ読み、ご意見下さい。
題名:「売春の権利」訴える台湾労働運動に思う
さる2月12日、自主ヴィデオ流通を目的として昨年結成されたばかりのVIDEOACT!の相談会で、ヴィデオ上映例会の第2弾候補に、つぎの作品が上がった。
活字資料には朝日新聞(1998.11.28)大阪版の朝刊「家庭面」記事「『売春の権利』訴える運動/台北で拡大」がある。東京の最終版のみによる縮刷版にはない記事である。
大阪版で取り上げたきっかけは、同記事によると、「学生や社会人を中心に今春発足した」「セックスワークの非犯罪化を要求するグループUNIDOS」が、上記のヴィデオを上映する集会を、「京都市内で開いた」からである。上記の「今春」とは、昨年の1998年の春のことで、昨年5月には、台湾の首都の台北市で、「欧米やアジアなと世界各地から参加者」を得て、「セックスワークの権利のための世界フォーラム」が開かれた。
台北市では、1997年9月に「公娼制度が廃止された」が、「売春する権利」を主張する「公娼」が、「女子工員やOLの労働者組織も支援する」運動を繰り広げている。彼女らは「『魂や体を売っている』のは既婚女性」と批判し、「私たちは自由だ」と主張する。京都の集会の「パネルディスカッションには、『売る身体/買う身体』などの著書がある著述家の田崎英明さんらが出席」している。これは日本では、かなり衝撃的な話である。
その後の日本における報道状況の情報は得ていないが、東京で上記のように、第2弾のVIDEOACT!ヴィデオ上映例会が行われて成功すると、新聞記事にもなり、議論が巻き起こる可能性が出てくるだろう。自主ヴィデオ流通の主旨から見ても、新しい「市民発信」の動きとなる。
ところで、以上の枕を振った上で、かねてからの意見をも述べてみたい。なぜ枕を振ったかといえば、これは、複雑でもあるし、誤解を受けやすい問題だからである。
私は、わがホームページで創刊したばかりの Web週刊誌『憎まれ愚痴』の4つの連載の1つに『本多勝一" 噂の真相" 同時進行版』を配した。そこで、「売春婦よりも下等な、人類最低の、真の意味で卑しい職業の連中」という本多勝一語録を紹介している。これは、本多勝一を名誉毀損で訴えて係争中の岩瀬達哉への、数ある侮辱表現の中でも、もっともドギツイものである。本多勝一が「売春」を、自分の怪しげな自称「新聞記者」の「職業」よりも、下に見るべき「職業」だと、当然のごとくに考えている証拠でもある。
本多勝一の間違いだらけ語録によって一言返上すれば、これには「筆誅を加える」必要を覚えていたのだが、そこへ上記のヴィデオと記事の存在を知らされたので、とりあえずの発言をして置きたくなったのである。
かなり前のぼやけた記憶なのだが、文京区の共同印刷で起きたストライキを背景とする小説『太陽のない街』には、売春を卑しむブルーストッキング型の女権運動に批判的な部分があるという主旨の論評を見たことがある。
そこで今回、図書館で検索して、『筑摩現代文学大系』38巻(筑摩書房、1978)を借りてきた。そこに収録された『太陽のない街』の原文を確かめると、女性の問題は各所に書かれているが、頂点の場面は争議団の「婦人部会」である。
「女史」型で「永遠の処女」の「ニックネーム」、「女学校を出たとか、退っこんだとかいう」「女学者」の婦人部長は、「御令嬢」の「赤ッ毛」と組んで、「不良少女の団長」一派の一人が「団の対面を汚す所業を犯してゐる」と告発させて、「自決」に追い込もうとする。「皆は」、その「告発された当人」が、「顔色の悪い」「きみちゃんだと」「判った」。「彼女は五人の家族を扶養しなければならない義務を持ってゐる」のである。
ついには怒鳴り合いの挙げ句、「不良少女の団長」が立ち上がって、「部長の貞操論を弾劾」する。「ブルジョワ的だとも、云ってあげようか……。あんたの貞操論といふのは、性欲行為を男子になるべく高価に売付けることなんですよ……。処女でござい、淑女で候つてね」。「ブルブルふるへ」る部長は、「淫売でもなんでもいいって云うんですか?」と「必死に絡んで来た」が、それにもまた、「同志として働くための……五人の家族を扶養するための淫売なら、あんた方淑女様の『神聖なる恋』とかよりや、ウンといいわ」と切り返して、「反部長派が完全に勝利」する。
終盤では部長派の旗頭、「御令嬢」の「赤ッ毛」が、ストライキから脱落する。「不良少女の団長」に、その報告が届く。「工場へ入っちゃったんだってさ……口では大きな事を云ひながら裏切っちゃったのよ」。その後、争議は無残な敗北に終わる。
著者の徳永直(とくなが・すなお。1899-1958)は、このモデルの共同印刷大争議を経験し、敗北後の千七百人の解雇者の一人となった。
実は、徳永は、私の母方の姓でもあったので、当然、母方の男系の従兄弟は、徳永姓である。だから、ずっと気に掛かってはいたが、特に調べはしなかった。ただし私が、日本共産党の「非公然主義」の下で「ペンネーム」を決めよと言われた時に、「徳永修」とした理由には、他にも母方の姓を使う仲間がいたこともあったが、さらに「修」の一字にした方の理由は、はっきりと「直」の一字を意識したからだった。
改めて調べる気になって、まずは手元の1988年版の平凡社『世界大百科事典』を見た。「小学校6年から印刷工、文選工などをしながら苦学、労働運動に近付き」とされている徳永直が、貧困ゆえに身を売る女性に同情的だったのは、むしろ、当然のことであろう。上記の本多勝一語録のような、傲慢かつ粗雑な考えは持ちようがなかったに違いない。
さらに上記事典では、「熊本生れ」とある。私の母親の実家は、すぐ隣の福岡県博多市である。いよいよもって、どこかでつながりがあるような気がしてならない。
上記事典では、1933年以降に「転向文学『冬枯れ』」を書いたとされており、1937年には『太陽のない街』の「絶版」を宣言したりする。この頃は、スターリンの独裁支配などをめぐって、国際共産主義運動全体に激しい動揺が見られた時期である。揺れない方がおかしいのかもしれないので、そのことも含めて、さらに詳しく知りたいと思う。
『筑摩現代文学大系』の方の「年譜」(津田孝)を見ると、徳永直は、「転向」の前の1932年に、『中央公論』に発表した論文「プロレタリア文学の一方向」に関して、「『プロレタリア大衆文学論』の復活であり。『右翼日和見主義の現われ』であるとして、当時、宮本顕治、小林多喜二から批判された」(p.472)とある。ところが、これも図書館で一緒に借りてきた『徳永直論』(久保田義夫、五月書房、1927)の年表の方には、「小林多喜二などから批判される」(p.193)としか書いてないのである。こちらは「徳永直研究会」に参加した筆者によるものであり、組織配慮からか、宮本顕治への遠慮がうかがえる。
もう一つ、強い印象を与えてくれた映画にギリシャの名女優、後の文化・科学大臣、メリナ・メルクーリが、闘う陽気な売春婦を演ずる『日曜はダメよ』があった。音符を読めないと音楽家ではない、などと思い込んで地元の楽士に説教したりする頭でっかちのアメリカ人の古代ギリシャ研究家が、ギリシャの売春婦から様々な教訓を受けるのである。
これらの予備知識に加えて、民放の労働組合運動で知り合った先輩で、自称「国際放浪癖」の江上茂の言葉があった。彼は、ある時、酒場で、「売春は良いんだよ」といったような簡単な言葉で、本部の婦人部長をしたこともあるインテリ女性を困らせていたのである。この2人は、その前にも、同じ問題で議論をした経過があるらしかった。その時には、深く聞く時間の余裕がなかったのだが、江上は、私も何冊か本を出した汐文社から『差別用語』シリーズを出しているし、「国際放浪癖」の持ち主だけに、この種の問題では深い知識を持っているに違いないのである。
日本の売春禁止法以後を見ても、かつてはトルコ風呂の名称が国際問題になって、ソープランドなどと改名してはみたものの、実際の売春の場になっている。その上に「援助交際」まで流行し始めた。非合法的な雰囲気の周辺には、必ず暴力団がはびこる。禁酒法がアメリカで大失敗した教訓もある。『太陽のない街』とは、またひと味違った現代の環境も下での再考が必要なのであろう。あえて私の用語を用いると、裸の猿の生まれ持った本能を無視する制度には、必ず未知の、さらに恐ろしい危険が潜んでいるのである。
VIDEOACT!のヴィデオ上映例会の第2弾では、上記の台北市売春婦組合の17分の作品だけでは短いということもあって、VIDEOACT!の事務局を引き受けている土屋豊さんの作品で、「援助交際」とも接点のある「伝言ダイヤル」を主題にした9分の短編『涼子21歳』の、それも、メトロポリタンTV放映の版と、それ以前の版の両方を上映して見比べ、いわゆる「自主規制」の問題をも合わせて議論したいということになった。
日程も会場も、まだ未定だが、乞う、ご期待!
以上。