早いもので、サイバー界に入国してから、すでに丸1年。いまだにカタカナ語のスキャナーとか、デジタルカメラとかの操作は苦手である。
かといって、けばけばしい箱入りで数千円の値段札を貼り付けた「ホームページ・ソフト」の世話になるのは、やはりくやしい。結局、私には、「字ばっかり」ホームページを技術的に改善する気はない。むしろ、字こそ重要な抽象的思考の記録に適しているとばかりに、意固地になっている。
その間、初の訳書『偽イスラエル政治神話』を、かなりの苦労と、やきもきの末、昨年10月15日に出版した。次の本については、『本多勝一“噂の真相”』というアイデアを出版者が「面白い」と言ったので、また苦労してもらおうかと思っている。
それも合わせて、今年からは、インターネット先行の出版を、いくつか試したいという気になった。
ただでホームページを見てもらいながら、意見を聞いて改訂増補する。恥も外聞もない開けっ広げの実験をしてみたくなった。
連載の一つに「遺言」という不気味な用語を配したが、これにも立派な理由がある。
実は、この数年間、高校時代からの友人の骨を拾う機会が増えた。戦争中に育った世代は餌が悪かったから、胴長短足は間違いない統計的事実で、背も低いが循環系統が手抜き工事という説がある。最近の若者も環境ホルモンとか、短命だとかいわれているが、それはともかく、居直って「遺言」したいような世相にもなっている。
あまり長い演説は当節でなくとも嫌われるから、以上を「辞」として、お辞儀する。今年もよろしく。