演劇青年としての木村愛二 「劇団駒場」他

2021.5.14:写真発掘追加(アンチゴーヌ)とタイトル不明分(▼下へ)

東京大学「劇団駒場」

久世光彦・木村愛二らが「劇団駒場」として第1回公演「アンチゴオヌ」を上演したのは1957年である。

2019.4.18現在、「劇団駒場」をネット検索すると、
「芥正彦」「劇団駒場で夏際敏生と共にアングラ演劇運動を指導」
「芥正彦」「1967年、東京大学にて劇団駒場を主宰」(年号に19追加)
が出てくる。1957年に関する記事は見当たらない。

1967年の「劇団駒場」が1957年の「劇団駒場」に繋がるものであるなら、10年の間にアングラへと変化したのであろう。
2021.5.14追記:木村愛二所有の「劇団駒場」名簿(後年の版)によると、二つの「劇団駒場」に繋がりはない様子。後日詳細掲載の予定。

1960年の「劇団駒場」第7回公演A・ミラー「るつぼ」パンフレットには、公演記録「repartories」として
  J・アヌイ  アンチゴーヌ    1957年秋(32年)
  A・カミュ  正義の人々     1958年春(33年)
  A・チェホフ 熊         1958年夏(33年)
  J・アヌイ  泥棒達の舞踏会   1958年秋(33年)
  J・アヌイ  ひばり       1959年夏(34年)
  A・ユッソン 俺達は天使じゃない 1959年秋(33年)
  J・ジロドウ ベルラックのアポロ 1960年春(34年)
とある。アンチゴーヌから数えていくと公演回数が合わないが、確認方法なし。

「演劇研究会」との合同公演もあるが、パンフレットにその旨明示されているのは「ひばり」のみ。「アンチゴオヌ」には「劇団合演」とだけ記載。

木村愛二卒業後の第10回公演、M・チェーズ「バーナーディーン」(1961年春)パンフレットにはレパートリーとして
  A・ミラー  るつぼ       1960年夏(34年)
  A・ルッサン アカンボ頌     1960年秋(34年)
が追加されている。

これらのうち、パンフレットが現存しているのは「アンチゴオヌ」「正義の人々」「泥棒達の舞踏会」「ひばり」「るつぼ」「アカンボ頌」である。

「泥棒達の舞踏会」パンフレットによると、「劇団駒場」の所在地は目黒区駒場町東大教養学部5号館内。
なおパンフレットには誤植が多く、アンチゴーヌとアンチゴオヌとアンチゴオ、J・アヌイとJ・アイヌなどが見受けられる。

「劇団駒場」を記録する資料として、以下に画像と、多少の説明テキストを加えて掲載する。

「アンチゴオヌ」 1957年(32年)秋 劇団合演

ジャン・アヌイ作(1942年) 芥川比呂志訳 悲劇一幕
ソフォクレスのギリシャ悲劇をもとにしている。

劇団駒場第1回公演と推察される(パンフレットには記載なし)。

劇団駒場アンチゴオヌ表紙 劇団駒場アンチゴオヌ裏表紙 劇団駒場アンチゴオヌスタッフキャスト
左より、表紙・裏表紙・スタッフとキャスト。裏表紙には「くじら屋」宴会200円よりの広告。クジラは昭和30年代には一般的な食糧であった。

劇団駒場アンチゴオヌキャスト アンチゴオヌと思われる舞台写真
左より、スタッフ名、アンチゴオヌと思われる舞台写真。木村愛二は衛兵だが、この写真では判別困難(右端と思われる)。

2021.5.14写真発掘:2枚目と3枚目の衛兵役中央が木村愛二
劇団駒場アンチゴオヌ 劇団駒場アンチゴオヌ 劇団駒場アンチゴオヌ

画像では不鮮明だが、演出は「志甫薄」氏である。60年安保当時、樺美智子が運ばれた警察病院を取材したTBSの志甫薄氏と同一人物かは現時点で不明。年齢的には、TBS入社が1958年、その年5月のパンフからは名前の記載がなくなっており、卒業したためと思われるが、あくまでも推測。

「正義の人々」 1958年春(33年)

アルベール・カミュ作(1949年) 5幕

久世光彦が「演出のことば」を書いている。一部を抜粋引用。

劇団駒場正義の人々表紙 劇団駒場スタッフ
「正義の人々」表紙とスタッフページ

パンフレットの最終ページには「劇団駒場について」という文章がある。署名はないが、連絡先として久世光彦までと書いてあり、久世氏によるものと推測される。ごく一部を引用。

「木村愛二の生活と意見」2000.6.17に「1960年安保論議から『正義の人々』(アルベール・カミュ)再読に至る」がある。

《 私の微かな記憶では、学生演劇でカミュがロシアのテロリストを題材とした戯曲、『正義の人々』を上演したのは、1960年安保の前だった。『正義の人々』のキーワードで検索すると、図書館の地下の「書庫」に入っている『カミュ全集5.』が出てきた。注文し、しばし待ち、受け取って、めくって目次を見ると、確かに『正義の人々』が入っていた。

 自宅に戻ってから、今度は、押し入れの中の「古い物」とマジックで大書したダンボール箱をひっくり返すと、『正義の人々』のプログラムがあった。やはり、1958年の五月祭での上演だった。私の名前は、「スタッフ」の中の「舞台美術」の2番目に記されているが、詳しくは「大道具」だった。

『正義の人々』の原題は、Les Justesである。私は、もっと素朴に「正しい人々」と訳したい。実録に依拠した戯曲なのだが、時代は第一次ロシア革命の1905年、革命社会党の行動隊の物語である。周到に計画したセルゲイ大公の馬車に爆弾を投ずる暗殺予定の当日、「詩人」の渾名の学生、カリャーエフは、大公の隣に子供がいるのを見て、爆弾を投げることができなくなった。その後の激論の末、再び志願したカリャーエフは、今度は独りで馬車に乗っていた大公の暗殺に成功する。カリャーエフは逮捕され、死刑となる

 この実在の歴史的人物、カリャーエフを主役とする「心優しき殺人者」たちの矛盾に満ちた物語を、カミュは、当時流行りの「不条理」のドラマに仕立て上げた。「正しい」とは何か。今の私にとっては、易しいようでいて、「とかく世間は住みにくい」現実の社会生活の場では、ますます難しさを増す問題なのだが、ともかく、自分たちの「存在」に気付いてしまった人類集団にとって、いわば永遠の矛盾の課題の中心であろう。》

「泥棒たちの舞踏会」 1958年秋(33年)

コメディ・バレエ4景 J・アヌイ作 鈴木力衛訳
劇団駒場第3回公演 11月29・30日 有楽町ヴィデオホール

スタッフページに「舞踊振付……島田広(服部・島田バレエ研究所)」とある。
島田廣(服部・島田バレエ団、元 服部・島田舞踊団及び研究所)のことと推測される。

演出は久世光彦。「演出のことば」と後書き「生活に形象(かたち)を」も久世光彦の署名原稿。

劇団駒場正義の人々表紙 スタッフ スタッフ
「泥棒達の舞踏会」表紙とスタッフページ 裏表紙の広告

学生の部活動にはパンフレッ広告などの形でスポンサーが必要となる。この公演では近隣の商店や大手メーカーの広告が掲載されているが、現時点(2019年5月)から眺めると、物価の変遷が面白い。
裏表紙の日本電氣株式会社のNECトランジスタラジオ広告では、値段が9300円、15500円、18500円、16500円となっている。現在の価格としてもずいぶん高いが、物価比較で考えるととんでもない値段となる。
➡ ネット資料「年次統計 サラリーマン月給」 昭和33年と平成24年を見ると、16,608円と326,000円。昭和33年のラジオの値段はサラリーマンの月収相当であった。
他ページ掲載の「全国学力コンクール」(主催 東京大学学生文化指導会)の受験料は250円、受験票返送料は5円である。

●「ひばり」 1959年夏(34年)

準備中

●「るつぼ」 1960年夏(34年)

準備中

●「アカンボ頌」 1960年秋(34年)

準備中

●タイトル不明分(写真のみ)

2021.5.14発掘追加:
タイトル不明 タイトル不明 タイトル不明 タイトル不明

東京大学英文科 演劇グループ

準備中

●「東大英文科演劇グループ」

1959年(34年)5月祭公演

J・M・バリー「遺言書」

●東大英文科「エリザベス朝演劇研究会」

1960年(35年)第1回公演

「THE TRAGICAL HISTORY of LIFE and DEATH of

DOCTOR FAUSTAS by CHRISTOPHER MARLOWE」

東京大学 演劇研究会 ほか

準備中