編集長の辛口時評 2006年10月 から分離

ホロコースト妄想書評の筆者は表象文化論専攻の東大大学院教授

2006.10.06(2019.9.2分離)

http://asyura2.com/0601/holocaust3/msg/506.html
ホロコースト妄想書評の筆者は表象文化論専攻の東大大学院教授

『日本経済新聞』(2006年9月10日・日曜日)書評欄に、訳題『イメージ、それでもなお』、フランス人の助教授、ジョルジュ・ディディ・ユベルマンの著書の書評が載っていた。書評の題名は「アウシュヴィッツの写真、厳密に読解」となっている。書評の執筆者は、「東京大学教授 小林康夫」と紹介されている。

 アウシュヴィッツ収容所の写真に関しては、これまでにも報道、論評の実例が、いくつかあった。「ホロコースト妄想」論者にとっては、肝心の「ガス室」の写真が、「ある」のかどうかが、一番重要である。いわゆる物的証拠の問題である。

 ところが、「ガス室」と判定できる写真は、どこにもないのである。「シャワールーム」とか、元・「防空壕」の部屋でしかない。

 以下は、1998年1月、拙訳『偽イスラエル政治神話』の原著者、ロジェ・ガロディの裁判でパリに行った際のフォーリソンの言葉である。


http://www.jca.apc.org/~altmedka/glo-1.html
連載:シオニスト『ガス室』謀略の周辺事態
(その1)「私にガス室を見せるか描くかせよ」
(Show me, or draw me, a gas chamber)

 この小見出しは、昨年の1998年1月、ホロコースト見直し論の国際的な最高権威のフォーリソン博士が、いかにもフランス人らしい力を込めた手振り身振りを交えて、私に教えてくれた論争用の台詞である。
 [後略]


 『イメージ、それでもなお』の問題の「アウシュヴィッツの写真」は「四枚」あるようだが、その1つには、「全裸の女たちの群がが認められる」という。

 書評の執筆者、小林康夫、または著者の「厳密に読解」したと称する説明によると、この「全裸の女たちの群」は、「五号焼却棟ガス室に追いやられる」ところなのである。

 小林康夫に関するインターネット情報は後に示すが、簡略に示すと、以下である。


小林康夫( 東京大学大学院総合文化研究科教授)
表象文化論
(東京大学 大学院総合文化研究科教授)


『イメージ、それでもなお』のアマゾン情報は以下である。


イメージ、それでもなお アウシュヴィッツからもぎ取られた四枚の写真 (単行本)
ジョルジュ・ディディ=ユベルマン (著), 橋本 一径 (翻訳)
価格:¥ 3,990 (税込)
内容(「BOOK」データベースより)
同胞の屍体処理を強いられ、自らも死を免れえなかった特殊部隊、彼らゾンダーコマンドのメンバーが絶望的な状況から送り届けた宛先すらも不確かな4枚のフィルムの切れ端。イメージの資料性を頑なに否定する者たちに抗し、そして何よりも、証言や写真がどこかへ届くはずだと信じた希望なき人びとへの応答=責任として、すべてに抗して、不完全な断片から1944年夏の絶滅の歴史を再構成せんとする強靭な意志。イメージ人類学の果敢な実践。
内容(「MARC」データベースより)
同胞の屍体処理を強いられ、自らも死を免れ得なかった特殊部隊…。アウシュヴィッツの地獄を知るためには自分で想像しなければならない。不完全な断片から、1944年夏の絶滅の歴史を再構築せんとするイメージ人類学の実践。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ディディ=ユベルマン,ジョルジュ
1953年フランス中部リヨン近郊サン=テティエンヌ生。リヨン大学で美術史と哲学を修めた後、パリ社会科学高等研究員(EHESS)に移る。1984年からはイタリアやアメリカで海外研究を行い、パリ大7大学勤務を経て、1990年よりパリ社会科学高等研究員助教授。著書はすでに20冊を超える。旺盛な執筆活動に加え、国際学会・シンポジウムでの発表や展覧会企画なども積極的に行っている
橋本一径
1974年生。東京大学大学院総合文化研究科博士課程・日本学術振興会特別研究員。表象文化論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


 上記の訳者、橋本一径は、「東京大学大学院総合文化研究科博士課程」「表象文化論」とあるから、小林 康夫の弟子であろう。

「表象文化論」に関するインターネット情報は、以下である。


「表象」(representation)という語は、人間が自己や他者や世界を、何らかの感覚や媒体を通じてイメージする行為、およびその行為を通じて生み出されたものを指す。代表的な視覚表象としては、絵画や写真があるが、そこに聴覚という別の感覚や時間も関与する映画やテレヴィ映像、触覚や空間も重要な役割を果たす彫刻、文字という別の媒体と交錯する書物や地図、さらには享受者自身がその中に入り込み全感覚的に体験する建築など、多くのジャンルやメディアが人間の表象行為に関わっている。
「表象文化論」という比較的新しい学問は、以上のようにさまざまな感覚やジャンルや意味を横断する「表象」という観点から、人間の創造行為を捉え直そうとするものであり、従来の美術史の古い枠組みでは捉えきれない多様な問題系に光を当てることを目指す。


 つまり、「表象」、イメージ、画像、写真を、想像を逞しくして、恣意的に解釈することにもなる。要注視である。

 問題の写真に関しては、「本書の厳密な読解によれば、その時にこれを撮った者、つまり同じユダヤ人でありながら同胞の殺戮に従事させられていたゾンダーコマンド(特殊部隊)の誰かは、そのガス室のなかに身を潜めていたことが明らかにされるのだ」という解釈が示される。「命がけ」という生やさしい表現では届かない意志によって、たった四枚の写真を残すこと、そこに最後の「希望」があった、というのである。

 しかし、この場合、「そのガス室」は、「全裸の女たちの群が追いやられる五号焼却棟ガス室」そのものなのだろうか。そうだとすれば、「全裸の女たち」は、真正面から撮影されたことになる。「追いやられる」という表現からは、撮影の位置が、後部、または側面であるように思えるのだが、どうだろうか。

 それとも、撮影した「ゾンダーコマンド(特殊部隊)の誰か」が「身を潜めていた」のは、「五号焼却棟ガス室」とは別のガス室なのだろうか。

 どうにも論理的に不可思議な「読解」なのだが、これが「最新」の学問の方法なのであろうか。

 最後に、小林康夫に関する詳しいインターネット情報を紹介する。


小林康夫( 東京大学大学院総合文化研究科教授)
表象文化論
(東京大学 大学院総合文化研究科教授)

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小林 康夫(こばやし やすお、1950年2月6日 - )は、表象文化論専攻の東京大学大学院総合文化研究科教授。東京都生まれ。
経歴
東京大学教養学部フランス科卒業、大学院比較文学比較文化専攻修士課程修了。パリ大学留学。電気通信大学助教授を経て東大助教授、教授。『知の技法』の編者として有名になる。
著書
単著
*『不可能なものへの権利』書肆風の薔薇, 1989
*『無の透視法』書肆風の薔薇, 1989
*『起源と根源』未来社, 1991
*『光のオペラ』筑摩書房, 1994
*『出来事としての文学』作品社, 1995(のち講談社学術文庫)
*『身体と空間』筑摩書房, 1995
*『大学は緑の眼をもつ』未來社, 1997
*『創造者たち 現代芸術の現場』講談社, 1997
*『建築のポエティクス』彰国社, 1997
*『思考の天球』水声社, 1998
*『青の美術史』ポーラ文化研究所, 1999(のち平凡社ライブラリー)
*『表象の光学』未來社, 2003
翻訳
*岩佐鉄男との共訳『デュシャンの世界』デュシャン,P.カバンヌ 朝日出版社, 1978(のちちくま学芸文庫)
* 『死の病い・アガタ』マルグリット・デュラス 朝日出版社, 1984
*『ポスト・モダンの条件』ジャン=フランソワ・リオタール 風の薔薇, 1986
*『他者のユマニスム』エマニュエル・レヴィナス 書肆風の薔薇, 1990
*飯吉光夫、守中高明との共訳『シボレート』ジャック・デリダ、岩波書店、1990
*『インファンス読解』リオタール 未来社, 1995
*竹内孝宏との共訳『子どもが殺される』セルジュ・ルクレール 誠信書房, 1998
*『緑の眼』デュラス 河出書房新社, 1998
*共訳『名を救う』ジャック・デリダ 未來社, 2005
編著
*『現代音楽のポリティックス』クリスチャン・ウォルフ 書肆風の薔薇, 1991
*船曳建夫との共編『知の技法』東京大学出版会, 1994
*同『知の論理』東京大学出版会, 1995
*同『知のモラル』東京大学出版会, 1996
*川本皓嗣との共編『文学の方法』東京大学出版会, 1996
*石光泰夫との共編『文学の言語行為論』未来社, 1997
*草光俊雄との共編『未来のなかの中世』東京大学出版会, 1997
*編『学問のすすめ』筑摩書房, 1998
*建畠晢との共著『現代アート入門』平凡社, 1998
*松浦寿輝,松浦寿夫との共著『モデルニテ3×3』思潮社, 1998
*船曳建夫との共編『新・知の技法』東京大学出版会, 1998
*編『美術史の7つの顔』未來社, 2005
*山本泰との共編『教養のためのブックガイド』東京大学出版会, 2005
*『日本語の森を歩いて』フランス・ドルヌとの共著 講談社現代新書、2005
*編『いま、哲学とはなにか』未來社, 2006
*編『21世紀における芸術の役割』未來社, 2006