2006.06.02(2019.8.30分離)
http://asyura2.com/0601/senkyo22/msg/732.html
NHKは受信料義務化よりも税金で賄う国営とし野党も関与せよ。
スキャンダル続発で受信料不払いが激増中のNHKに関しては、このところ連日のように、「改革」の議論の報道がある。以下は、昨日の状況である。
http://www.asahi.com/national/update/0601/TKY200606010320.html
NHK改革案、受信料義務化を明記 チャンネル3~4減
2006年06月01日22時22分通信と放送の融合をめぐる制度改革を話し合う竹中総務相の私的懇談会「通信・放送懇談会」は1日、最終報告書の原案をまとめた。焦点のNHK改革では、不払いの拡大が問題となっている受信料について大幅な引き下げを前提に「支払いを義務化すべきだ」と明記した。その後で必要があれば、罰則化も検討すべきだとしている。NHKが持つ8チャンネルのうちBS(衛星放送)とラジオの計3~4波を2011年までに削減する方針も盛り込んだ。
(写真)通信・放送懇談会に出席した(右から)古屋範子政務官、松原聡座長、山崎力総務副大臣ら
=1日、総務省で通信・放送懇談会がまとめたNHK改革案
懇談会は「NHKがグループ全体として肥大化している」との見解で一致し、原案はNHKに組織と事業の両面でスリム化を求める内容になった。6日に最終報告として正式発表する。総務省は報告をもとに改革の具体化作業に入る。
現在は放送法で受信契約が義務づけられており、契約すれば同法に基づく規約で支払い義務が生じる二段構えになっている。懇談会はこれを改めて放送法で支払い義務を定めることを求めており、総務省は早ければ来年の通常国会に放送法改正案を提出する方針だ。
カラ出張などの不祥事が続いた娯楽・スポーツの制作部門は「公共性が必ずしも高いとは言えない」として、本体から分離して関連子会社と一体化した新子会社とするよう提言。民間との競争にさらす方針を打ち出した。
すべての子会社について本体から出資を続ける必要性も精査し、抜本的な整理・統合・民営化に着手して子会社の数を大幅に減らすことも盛り込んだ。
国際放送は新設する子会社に移し、民間放送からの出資も受け入れて外国人向けの放送を強化すべきだと明記した。
チャンネル削減では、07年の放送終了が決まっているBSアナログハイビジョンのほか、BSで1波、ラジオで1~2波を11年までに削減するよう求めた。BSは2チャンネルを使って難視聴対策の役割を担っているが、「1チャンネルで十分」と指摘。ラジオのうちAM、FMのどのチャンネルを削るかはさらに詰める
私は、すでに別途、「受信料の支払い義務化」の動きに関して、「待ってました」と応じ、「電波の主権者の意識変革」の重要性を指摘した。
産経【NHK受信料の支払い義務化 自民党小委が提言】
http://www.asyura2.com/0601/senkyo22/msg/147.html
投稿者 木村愛二 日時 2006 年 5 月 17 日 14:02:07: CjMHiEP28ibKM
産経【NHK受信料の支払い義務化 自民党小委が提言】
http://www.sankei.co.jp/news/060517/sei070.htm
NHK受信料の支払い義務化 自民党小委が提言自民党通信・放送産業高度化小委員会(片山虎之助委員長)は17日午前の会合で、NHK受信料の支払い義務化を早急に実現することをはじめとする通信・放送のあり方についての素案をまとめ、大筋で了承した。
竹中平蔵総務相の私的懇「通信・放送の在り方に関する懇談会」の議論と「7、8割は一緒」(片山氏)の内容となった。
ただ、懇談会が求めているNHK受信料の引き下げについての記述はなく、逆に義務化について来年3月ごろに導入時期の結論を出すのが適当だとした。国際放送は、新たな外国人向け国際放送チャンネルを創設し、運営に国費投入の検討が必要ではないかと明記。チャンネル数は、必要の薄れたものは「削減を検討すべき」とした。
このほか、民放地上波のデジタル化が円滑に進められるように、税制、財政上の公的支援の検討が必要ではないかとの考えを提示。NTT改革は「拙速に結論を出すべきではない」とした上で、平成22年ごろに、NTT法など「関係法令の改正を検討すべきではないか」との方向性を打ち出した。
(05/17 11:46)
むしろ、「待ってました」である。問題は、電波の主権者の意識変革である。
15年前の拙著『NHK腐蝕研究』(当時は日本テレビ在籍中で徳永正樹の筆名で発表)では、すでに、この状況の解決策を、具体的に提言した。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/nhk-6-0.html
『NHK腐蝕研究』
終章 《受信者》から《送信者》へのコペルニクス的転回を!
[中略]
われわれが求める「放送制度」なり、それを実現するための「理論」なりを考えるとき、最も重要なのは「現実」の発展であり、そこに基礎を置いた「先見性」である。外国の制度に参考を求めるのなら、それは全面的にやらなければならないし、とくに、最も先進的な例を学びたいものである。自然科学でも社会科学でも、そうでなくては現実の役に立たないのである。いちばんわかりやすいのは軍事科学で、負ければおしまいである。
[中略]
NHKの受信料制度、もしくは受信料によって成り立つNHKという巨大機構は、戦前の公共独占放送、つまりは基本的に一局のみのラジオ放送時代の産物であった。その出発点では、ラジオ受信機を持っていれば、NHKラジオを聞く以外にないのだから、強制的に受信料ないし契約料を取られるという関係にあった。この関係をウラがえせば、話は、NHK(当初は三法人)が電波を独占使用したことにもどる。問題は、やはり、電波の使用権にさかのぼるのである。
それならば、いまNHKが使用している電波を、みんなが共同で使用できるようにすれば、論理的にはスッキリする。たとえば、国民もしくは外国人も含めた視聴者または住民の十%の支持をえた団体は、放送時間の十%を使用するといったやり方である。これに近い制度は、すでにふれたように、オランダやイタリアなどで実施されている。実現可能なのである。
そこでは、共同で電波を使用する。つまり、住民全体が送り手であり受け手であるという関係に近づいている。そして、この際、受信料という理屈のつけにくい分担金制度をも、発想のコペルニクス的転回(地動説から天動説へ)によって、使用料ないしは送信料にあらためるべきである。
放送団体のつくり方には、地方別なり職業別なり、思想別なり、いろいろな結合の仕方があるだろう。
電波の主権者としての要求という考え方からすれば、当然、民放も対象となる。
[後略]
国営の問題に関しては、今から25年、四半世紀前の拙著『NHK腐蝕研究』で、詳しく論じた。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/nhk-1-6.html
『NHK腐蝕研究』
第一章 NHKは《国営》ではないのか?
だれが“国営化”をのぞんだのか
(画像あり)
NHKを本当に国営放送局にしてしまったら、一番困るのは自民党の方であり、日本の支配者階級である。こういう言い方をすると、いかにも高度の革命理論を振りかざすかのように取られるかもしれない。しかし、たとえば放送評論家の志賀信夫は、民放については、「まったく企業の代弁をしているに過ぎない」(『テレビ腐蝕検証』)などという疑問を投げかけられているものの、NHKには手厳しい。フランスの実例を紹介しながら、つぎのように書いている。
「しかし、そうかんたんに、NHKを国営放送局にさせないところにむしろ問題がある。国営放送局になってしまえば、どうせ政府の御用放送局なんだからと、国民はNHKの放送番組の内容を信用しなくなる。そうなってしまったら、政府・与党も困ってしまうからだ。
パリにいったとき、フランスのある女性ジャーナリストにあってフランスの公共放送ORTFについて質問すると、彼女はズバリとこう答えた。『わたしは、ORTFの番組はほとんどみたり聞いたりいたしません。政府の御用放送局のニュースを、わざわざテレビでまでみる必要がないからです。ド・ゴールは“新聞がいくら反対しても、放送は自分のものだ”といったという有名な言葉があるが、いつもラジオやテレビは政府のいいなりになっています』
ORTFの会長は、政府によって任命され首相直属で監督されているために、どうしてもフランスの公共放送は政府の強い規制を受け、公共放送としての信用を失い、国営放送のような扱いをうけてしまっている。
日本のNHKも、このフランスのORTFのようになってしまえば、NHKの放送を支持する人は激減し、いくら政府がNHKを利用しようとしても、ほとんど役に立たなくなってしまう。NHKは国営になって経営の心配はいらなくなるかもしれないが、それでは政府がかえって迷惑してしまう。
そこで、一見、民間の放送局らしさを保たせながら、NHKが現状のように存在していたほうが、政府・与党にとってはまことに結構なわけであり、陰ではNHKと手を結びながら、表面的にはときどき政府はNHKの批判をする、NHKも政府批判をやる。だが、それはあくまでも外見上のことなので、すぐ仲良くなって、同じ穴のムジナに化けてしまう」(『あなたの知らないNHK』)
と引用しておいたところへ、図らずも本書の大方の執筆を終えた五月十一日、フランスでは、ミッテラン大統領が誕生した。
フランス社会党のミッテラン第一書記といえば、一年前にはフランス法務省から“電波法違反容疑”で起訴され連行されたこともある。ジスカールデスタンによる放送支配への抗議を、“海賊放送”による実力闘争として、フランス全土にくりひろげていたのだ。“反撃放送”(ラジオ・リポスト)というのだが、リポストは「口答え」の意味である。
今度の大統領選挙戦の最中にも、テレビ三局で、ミッテラン支持を表明していた職員十数名が休職処分という目に会っている(『赤旗』《パリ十一日緒方特派員》5・13)。報道内容も露骨に偏っていたらしく、選挙後は報道局長への辞任要求などの動きに発展しているようだ。
いっそ日本でも、右へ寄るだけ寄ってごらんなさいと、こちらが居直ればよいのだ。日本社会党“教宣局長”の汚れたプリンスぶりとは大違いの、フランスの話だが、同じ社会党でも、やはりレジスタンスの闘士となれば、の感がある。
話は日本にもどって、実質的には政府・自民党の機関放送局たるNHKは、その正体をかくすためにも、国営であってはならないのだ。日本の場合、戦後改革は不充分だが、それでも「大本営」とか「情報局」といえば、大多数の国民は拒絶反応を起こす。これが歴史の教訓というものである。その歴史の波風を、NHKがいかにしてかいくぐってきたのか、という点は、のちの課題とする。ともかくNHKは、いま、なぜか国民の厚い信頼感に支えられているのである。
第2図は、NHK自身による調査だから、調査方法には疑問ありとしよう。しかし、大筋の感じはわかるのではなかろうか。「天皇」の信頼度は、おそれ多くて省いたようだが、これは別問題。まぎれもない資本主義国のチャンピオンたるニッポンで、エコノミックアニマルの「大企業」の信頼度は、最低のどん底である。「政府」と「労働組合」がいい勝負。「民放」や「新聞」も過度の信頼を寄せられているが、なんとNHKは、最高も最高。おそるべきことである。アメリカの世論調査では、クロンカイト個人が七十三%の信頼度だったという。NHKといえば、日本のインテリは顔をゆがめておけばよいと思っているが、その信頼度はクロンカイト以上なのだ。
第2図
もちろん、内容の分析が必要であろう。しかし大多数の日本国民は、すでに述べたことだけからも明らかなように、NHKの放送内容に「しょっちゅう」干渉があったり、自主規制があることを、ほとんど知らされていない。NHKの視聴者センターが、「圧力はありません」とか「NHKは平和を守ります」などと連呼するのは、そういう大多数の国民の存在を背後に意識しているからだ。
NHKは、あの評判の悪い「大企業」になり代わって国民の信頼を集め、資本主義国ニッポンを安定させる任務を帯びている。そしていま、見事にその任を果たしているのである。国家論を云々する場ではないが、まずドイツの詩人、エンツェンスベルガーの評論的発言を紹介しておこう。
「意識産業の政治的前提は、人権の、ことに平等と自由の宣言(実現ではない)である。歴史上のモデルは、ヨーロッパにとってはフランス革命であり、共産主義諸国にとっては十月革命、アメリカ、アジア、アフリカの諸国にとっては植民地主義からの解放である。まず、共同体の運命や自分の運命を自由にあやつる権利が、ひとりひとりの人間にあるかのような擬制(フィクション)が生じる。その擬制が、個人ならびに社会が自分で手にいれる意識を、政治化(ポリテイクム)する。そして、この意識を産業的に誘導することが、将来の支配権を確立するための条件となるのだ」(『意識産業』)
もちろん、こういう認識は、評論家や詩人だけのものではない。国家論やマスコミ論の専門家たる社会科学の研究者は、もっと早くから、こんな仕掛けは見抜いている。だが不幸なことには、とくに日本の場合、いわゆる訓詁学的傾向が強く、社会科学の用語と一般民衆の会話とが、いかにも離れてしまっている。まったく通じないといった方がよい。
たとえば、現代マスコミの背景をなす資本主義国家の政治体制についていうと、原典をなすレーニンの方がはるかに簡潔である。「民主的共和制は資本主義の最良の政治的外被」(『国家と革命』)であるというのだ。この「外被」を、オーバーコートとか、カクレミノとか、ボロカクシとか、“馬子にも衣裳”の羽織袴とか、一般人に通用する訳語に入れ換えれば、もっとわかりやすくなる。“語訳は誤訳である。というダジャレがあるが、正確な“直訳”ですらが、普通の日本語になっていなければ、翻訳の商売では落第である。ミステリーやSFの翻訳などでは大変な苦労話が多い。ところが、“民衆救済”を掲げる社会科学の世界では、もうひとつ別の“準”日本語の体系をつくり上げている。そして、ヨーロッパにおけるラテン語(たったの二十六文字の国際語!)よりもはるかに難解な“非国際的・非国内的”学術用語を、あたかも高等数学の公式のように羅列する特技が要求されている。岩波の『広辞苑』では、〔隠語〕の説明が、「仲間同士以外に知られぬように特定の意味を付与する語、かくしことば」となっているが、それと選ぶ所のない現状である。
わたし自身、NHKの本質を極めんがため、これはと思う最新の国家論をあさってみたのだが、優れたものを求めれば求めるほど、絶望的な無力感に襲われるのであった。たとえば、もっともやさしそうな部分をとってみても、つぎのようなものだ。
「国家とは、一定の階級的経済構造のうえにたち、これを維持=総括するため、外見上は社会から分離してその上にたって対立を緩和し、これを秩序の枠内にとどめるという幻想的な共同性をふりまきながら、実質的にはそこにおける基本的生産手段の所有者の政治的組織として、階級支配を貫徹せしめるところの系統的・恒常的装置〔実体=形態〕を保持するところの統治組織である」(星埜惇『国家移行論の展開』)
これだけの文章に( )入りの数字で二つの注釈がつく。ときには本文よりも( )内の説明や注釈の方が長い。もちろん、それなりの工夫もあり、第3図は大変参考になる。そして、おどろいたことには、この著者の前著『社会構成体移行論序説』は、増刷つづきで一万部も売れているというのだ。つまり、こういう水準の学者が、日本には一万人もの単位で、全国各地にいるわけだ。それだけいて、どうして竹村健一ふぜいにしてやられたままなのか、そのへんが疑問なのだが……。
第3図
そういう学者のなかで、マスコミ論の専門家は、「幻想的な共同性」(レーニン『国家について』)をつくりだす「シンボル=正統化機構」について、こういう規定をする。
「シムボルを主な手段とし媒介することによって支配への人びとの『合意』や『同意』を調達し、それによって支配の正統性や『民主性』を確保する機構は、なにも文字どおりの公的機関であるとは限らないしその必要もない。むしろ、支配の正統性と『民主性』によりたしからしさを加え、人びとの『合意』と『同意』をより自然に、よりスムーズに、より有効に獲得する上では、このシムボル=正統化機構は権力と距離があるように見える私的なそれによる方がいっそう効果的に機能するとさえいえるであろう」(塚本三夫『科学と思想』’76・1所収「現代マスメディアと世論操作」)
ここでは「私的」と表現されているが、NHKは、「私的」でも“「公的」でもない独特の歴史的産物である。ともかく、「権力と距離があるように見える」ことが、こういうシンボルの重要な部分をなすマスメディアにとっては、不可欠の条件といってよいのだ。
理論的には、こういうことだし、実感からいってもその通りではなかろうか。だから、自民党内でも、いわゆる“保守本流”といわれる主力部隊が、NHKの国営化を字義通り望むわけはない。“公正中立”の装いを保ったまま、肝心のところで味方をしてくれればよい、と考えているに相違ない。
[後略]
問題は、むしろ、野党、反体制の「腰抜け」にある。