2000年10月31日(火) 晴天
久し振りの洗濯日和。出勤前に山のような洗濯をしてきました。
社内の諸々も、洗って汚れが落とせるものなら丸洗いしてしまいたいです。画面が曇りガラスみたいな古いパソコンや埃の積もった資料ファイルなど・・・うあああ
まず命の洗濯です。だいぶストレスがたまっています。ストレスの種蒔く人が入るからです。洗濯機にぶち込んでぐるぐる回してやりたい。
思わず鉛筆の先でぶちぶちと消しゴムを突き刺してしまいました。模様の牛さんがブチ牛になってしまいました。ごめんなさい。
と、我に返ったところへ電話。二又商事のエツ子さんです。「あんたとこの編集長」が、また吉祥寺に出没してる、といいます。銀行へ支払いに行ったエツ子さん、響き渡る声にぎょっとして、見られないよう遠回りして銀行に辿りついたそうです。別に編集長を毛嫌いしているのではありませんが、マイクを通して挨拶されるのは遠慮したいと。秘書だってそうです。
で、帰りに物陰から様子を伺うと、今日はおばちゃん達と親し気に話してたそうです。まあ、一見は無害そうなおじさんに見えますもの。あごヒゲを伸ばし始めてからは仙人見習い中みたいになってきましたし。いつ本物の仙人になるのでしょうか。
お昼には、霞みじゃなくてパンかじってたそうです。
2000年10月30日(月) 曇りのち晴れ
ピカピカの顔して編集長登場。また草津の湯に浸かってきたらしいです。そんな金と暇があるらしいです。いい身分ですな。秘書なんか400円握りしめて銭湯に通っています。(お風呂はまだ直してません)
まあ、日曜日は仕事しない日、とようやく理解してきたらしいですから、やっかむのはやめましょう。
2000年10月29日(日) 雨。寒い
12月並みの寒さだといいます。
せっかく風邪が治ったのに、雨降りで遊びにもいけません。寝るのはもう飽きました。同居人になんか面白いことないか、としつこく迫ったら、後でいい所に連れてってやる、と軽くあしらわれました。今忙しいらしいです。
夕方、さあ行こうと手渡されたのは、本が詰まった紙袋。半端じゃなく重い。来るべき引っ越しに備えて、荷物を減らすべく邪魔な本を売り払おう、というのです。それ、高かったのに、と言っても、どうせ読まないのに、とにべもないこと。
結論から言うと、紙袋4つ運んだ重労働の対価は900円。いま流行りの新古書店に持ち込んだからでしょうか。神田なら高く売れそうな本には、古いから、と値がつきませんでした。神田まで行く気はしません。
こうして、また1日が終わりました。
2000年10月28日(土) 晴れのち雨
また、頭が痛いです。
また、誰かさんのせい、ではありません。
また、風邪をひいたらしいです。
鼻水オンナ、と同居人に言われています。(こいつには思いやりとか いたわりとかの概念はないのか。)
しかたないので、会社に電話したら、また総務部長が出ました。
「がぜをびいだので・・・」休ませて下さい、と全部言わないうちに、「わかったから、ちゃんと治しなさい。」と言われてしまいました。ぐずぐずずびずびの風邪言語の効果は抜群です。
暖かくして1日中寝てしまいました。全く、寝るは極楽です。起きて働くヤツは××です。この際、週休2日にしてくれい・・・
2000年10月27日(金) 晴れ
世の中いろいろな事がある、と編集長がしみじみと言いました。
恒例の市庁舎前演説を名調子でやっていたら、聞き入っていたおばちゃんがつかつかと寄って来て、手当貰ってるの、と唐突に質問したそうです。
一瞬、頭の周囲を?マークが飛び交ったが、市長の悪口言うのに市から手当が出るはずない、と答えました。
話が食い違っていた。
おばちゃんは、このおじさんは市から貰っている手当が少なくて不満で、だから拡声器持ち出して文句を言ってるに違いない、と思い込んだようです。つまり、じっと話を聞いているように見えたけど、その実何も聞いてなくて、なんか文句言ってる、としか理解してなかったのです。
本人は、介護保険のヘルパーしてて余りに時給が安いので、市役所に苦情を言いに来て、管轄ではない、と取り合って貰えなくて怒りのボルテージが大分上がっていたらしいです。
このおばちゃんに演説させたら編集長より過激だろうな、と思ってしまいました。
2000年10月26日(木) 暖かな晴れ
「あんたとこの編集長、いる?」と二又商事のエツ子さんが電話してきました。
そう言えば・・・
「どっか行ったみたい」
やっぱり、とエツ子さんが言います。駅前の銀行の横で演説してるわよ。
この場合の駅前の駅とは、お隣りの吉祥寺だ。銀行とは天下の東×三×銀行です。秘書も個人的な取引があります。
ついでに銀行批判もぶちかましたらしいです。
この先、ローンを申し込む時差し障りがあったらどうしてくれる。
演説しながらキャバクラのスカウトのお兄ちゃん達とも親し気にお話ししてきたらしい。一体、このオジサンはどこまで・・・
それだけではありませんでした。
今日は楽しい1日だった、と編集長が語ることには、吉祥寺からの帰り道、公道でガラの悪い若いの(いわゆるチンピラ)に車の中から絡まれたそうです。
ぶつかったな、どうしてくれる・・・
後ろ姿はひ弱なおっさんに見えたらしい。が、相手を間違えたというもの。
何をっ。ぶつかったというなら後ろから来たそっちがだ。警察へ行くか。
その後幅寄せされたりしてすっかり頭に来た編集長、先に行ってしまった車を追い掛けて、信号で追い付いて、「こっちだ」と警察署を指し示したが、後を付いては来なかったとか。
腹が立つので警察で一通り事情をぶちまけて来たが、応対してくれた刑事さんと今どきのチンピラの話で意気投合したらしい。
この前ここ(警察署の前)で演説した者だともちゃんと言ってきたようです。
2000年10月25日(水) 雨
どこを見ても森さんの話題がてんこ盛りなので、社内では誰もあえて言い出そうとしません。
社内ではもっぱら、編集長の演説を1時間聞くのと業突書店に三年前の売掛金取立てに行くのとどっちがいい、とか、倉庫の奥の奥の埃に埋もれている筈の株券探し出すのと飛び込みで在庫の本売り込みに行くのとどっちがいい、とか、究極の選択ごっこにうつつを抜かしています。
意を決したように営業部長が出て行きました。行き先、業突書店と予定表に書いてありました。
2000年10月24日(火) 晴天
お天気良好、となれば、言わずと知れた演説日和。営業部長が逃げ回っているので、諦めるかと思いきや、ドラム缶を自分で運んで行く手立てを編集長は講じてしまいました。
あんたはエライッ、とその点だけは誉めてあげよう。
そういう訳で、本日は駅前で、堂々1時間の独演会です。
一体いつも何を喋っているのでしょう。聴衆はそれなりにいるらしい。一番熱心なのが刑事さん達で、柱の陰に見え隠れしながらじっと聞き入っているそうです。つい編集長もつられて、いないいないばー、みたいにひょこひょこすると、向こうも出たり引っ込んだりするとか。ノリのいい刑事さん達です。
2000年10月23日(月) 雨
昨日湯治にいったとかで、編集長が元気です。本日雨降りでなかったら、あちこちで演説ができたのに、と悔しがっていましたが、恵みの雨、と受け取った人々もいます。誰とは言いませんが。
秘書は目が痒くて目医者に行きました。(歯が痛ければ歯医者に行きまう)。何ともありませんといわれて、騙されたような気分になりましたた。が、お医者様に逆らえるほど毛深い心臓は持ちあわせがありません。
手ぶらで帰るのも悔しくて、家に忘れ物を取りに帰りました。待たされる筈が雨のせいで患者が少なくて、あっと言うまに診察が終わってしまったので、時間に余裕があります。ちょっと5分程横になりました。
気が付くと辺りが暗い。
やばっ。
慌てて飛び出したもので、社に戻って気が付くと靴が左右バラバラでした。
2000年10月22日(日) 暖かな曇り
どうも記憶が曖昧なのは、1日寝て過ごすせいでしょうか。
寝る子は育つ。最近、横にすくすく成長してしまった気がします。
2000年10月21日(土) ピカ天
週末でしかも晴天ときたら、会社でうだうだ仕事をしているのが嫌になります。巷は不況をよそに今日も浮かれておりますぞ。金は回るところには回ってるらしい。
バブルの時、貧乏人にはちっともいいことなかったです。のに、はじけたら、しっかりツケを払わされています。いい加減怒るぞ。この次の選挙では、○○党と××党と△△党はみんな落としてやるぞぉ。巨大な念を送ってやるぞぉ。でも□□党も◇◇党もそれから◎◎党も頼りないしなあ。(それぞれお好みで当てはめて下さい)
一人でかっかしてたら、編集長にお昼御飯を誘われました。相談があるといいます。お、パワーランチと言うやつですか。でも昼間からフルコースはどうも・・・ とか悩む必要はなかったです。連れて行かれたのは路地裏の夜は飲み屋、昼は定食を出す小さなお店で、割烹着のママさんが出迎えてくれました。本日のお進めは肉じゃが定食。お袋の味が売りです。熱いので冷ますのにふうふういって汗だくになってしまいました。
で、相談て?
いや、たいしたことじゃない。今、昔の資料をパソコンに取り込んでいるが、図表がいくつかあるもので、そこだけ作って欲しい。ソフトは何でもかまわない。できれば早いほうがいい。
以上を秘書語に翻訳します。図表数点、さっさと作れ。ソフトは自分で探して来い。
高い肉じゃがです。
2000年10月20日(金) 曇り。夜から雨
資料室をかき回しては古い本を引っ張りだしてくるので社内が埃っぽいです。前に書いた論文を引用するらしいのですが、電子データなんて概念のない頃の著作ですから、手間の掛かることこの上ない。
思えば、あれよあれよと言ってる間に事態は急変してしまったのです。いまや、著作は電子データで受け渡しするのが常識らしいです。急変ですから、当然対応しかねる人々も相当数存在します。そんな、とか言ってるうちに現実はどんどん先に進んでしまいます。最近の言葉ではデジタル何とか(日本語でないと良く理解できない・・・)というらしいです。
我が社の過去の著作の早急な電子データ化を、と編集長はぶちます。趣旨は秘書も賛成なのですが、さて誰がする。見回せば目をそらそうとするお方ばかりの社内です。
先に言っておくことにします。秘書は忙しい。メシで釣るのは諦めて欲しい。(あ、でも、フランス料理のフルコースなら・・・)
2000年10月19日(木) 晴天
本日も寒いです。
と言うわけでストーブが出ました。出ただけでなくスイッチが入りました。
いくらなんでもちと早い。
でみながよそ見したとき消してしまいました。
しかし、この先何カ月に及ぶ地獄の季節が始まるのももう直ぐです。
ボロ社屋はつらいです。出勤してくると、秘書の机の真上に巨大なつららが下がってたりします。1度なんか前日トイレに水をこぼしたまま帰ってしまったらスケート場みたいになってました。霜焼けで両手ともグローブみたいになってしまうので、キーボードがまともに打てなくなるし・・・(なんて、真に受けないでください。すきま風はちょっとしたものですけど)
一頃、熱に浮かされたように、引っ越すぞ!、と誰かさんが叫んでいましたが、今は沙汰止みです。
2000年10月18日(水) 曇り。寒い
ここのところ1日単位で季節が変わります。前日が夏で次の日が冬、はつらいです。
で、本日はしっかり冬。昨日は・・・(今日よりはるかに暖かった気がします)。
編集長がしおれてます。
こう気候が変動してはかなわん、と言っていますが、お天気のせいではないことを、秘書は知っています。
翌日みっちり予定が詰まっているのを承知で若いもんに混じって夜遅くまで遊んでるからであります。
(いい○○こいて、○○甲斐もなく、と言うあまねく世に知られた言葉を当てはめようとは思いませんが)やることが無謀です。
この間なんか、会合が終わったもので、早く晩御飯食べてさっさと帰ろう、と秋波、じゃなかった念波を送ってるのに、楽しそうに飲んでかつ語らっていました。明日は朝早いからさっさと帰る(だから晩飯は簡単にするぞ)と始まる前に念押ししてたのに。
まあ、秘書は翌日もヒマですし、喋るのは編集長にまかせて、ひたすら食べて飲んでいられたし、どうだっていいんですけど・・・
静かだな、と思ったら案の定部屋で昼寝してました。
ブラインドを下ろして差し上げ、電話はお休みモードに切り替えて差し上げ、みんなでシーシーと人指し指を口の前に立ててサインを交わし応接室に集まります。そしておもむろにお重の蓋を取ります。社長の奥さんが差し入れてくれた国産松茸御飯をおやつがわりに頂くのです。
お疲れの編集長を茸ごときでわざわざ起こすのは気の毒というもの・・・
2000年10月17日(火) 薄曇り
張り切って編集長が出かけていきます。監査委員会で意見陳述とかいうものをやるらしいです。
営業部長は気配を察したらしく、守衛室の奥の部屋に隠れてしまいました。
そのせいかどうかは知りませんが、今日は大出力機ではなくて“音が小さくてつまらない”ハンドマイクを編集長は担いでいきます。
しかし、意見を陳述するのに拡声器が必要なのでしょうか。とてつもなく広い部屋のとんでもなく長い机のこちらとあちらとでやりとりするんでしょうか。それとも監査委員の耳は絶望的に遠いのでしょうか。
編集長の言い草を聞いていると、節穴だらけの薄壁の間を東の風が念仏のように吹き抜けて行く荒涼たる情景が目に浮かびます。
(今度自分で確かめに行ってこよう。)
それにしても、出かけた後は静かです。眠気が波状攻撃を仕掛けてきます・・・
2000年10月16日(月) 晴れ
休み明けでついボケをかましてしまいました。本日夕刻出張をすっかり忘れていました。
早くせい、と言われて、へ?
ソーホーの話を聞きたいと言っていたであろう。
ほー、そーでしたっけ?
そういうおちゃらけたことを抜かしておるのなら置いてく、と言われて慌てて飛び出したもので、財布を忘れてしまいました。本日もまた編集長と運命共同体です。晩御飯の選択権を握られてると思うと、つい言いたいことも遠慮してしまいます。こんな時は、交際費で好きなだけ飲み食いできる人種がうらやましい・・・(いかん、人の道を踏み外すとこでした。)
2000年10月15日(日) 曇り
今日は何をしたかな、と思い出すのに骨をおりました。日曜というのに朝もはよから地元のあれやこれやでこき使われてくたびれ果てて一眠りしたら記憶がすっかりとんでいました。たしか、フリーマーケットにも行って何か買い込んだはずです。はて、なんでしたかな。同居人に、またこんなもん買って、と非難される前に片付けとかなくては。
2000年10月14日(土) 晴れ
昨日の成功に気をよくしたのか、編集長は今日も市内某所へドラム缶と称する大出力機を携えて説教に出かけて行きました。大声を張り上げると健康には良いといいます。ストレスをパワー全開で発散しているんでしょうな。上機嫌で帰って来てその後威勢のいいこと。
その調子でさっさと原稿書いて下され。あちこちから催促が来ておりまする。
2000年10月13日(金) 時に雨。寒い
編集長がとうとう出力実験を強行しました。
本日決行との計画を聞き込んだ秘書と営業部長は、事の重大さを社長に訴え、会社の平穏を乱し社員を錯乱させる社内出力実験断固反対のキャンペーンを張り、実力で阻止すべく立ち上がりました。
何故秘書と営業部長かっていうと、いつも巻き添えになるのが二人だからです。
編集長の部屋の前で、秘書が音頭をとって社内出力実験粉砕のシュプレヒコールの発声練習をしました。声が小さい、と叱咤激励しやっと揃うようになった時、ドアがバタンと開いて編集長が顔を出しました。
うるさい、何をやってるんだ。
そして、出かけるぞ、と営業部長を拉致してしまいました。あ、う、と情けない声を残して営業部長は荷物運搬係りに変じます。秘書は口をポカンと開けて見守るしかなかったです。
お昼過ぎ、くたびれはてた様子の営業部長が帰ってきました。
何と、警察署の前で出力実験を行なったというのです。気の小さい部長は生きた心地がしなかったそうです。
編集長は気持ち良さそうに言いたいことを喋りまくって、あげく副署長出て来い(実際の言葉使いはもっと丁寧だったそうだが)とやって、本当に副署長が出て来てしまったとか。しかも、ねぎらいの言葉まで頂いたようです。世の中そんなものなのですか。
取りあえず、社内が無事だったことは評価しましょう。平和のためには闘いあるのみです。正義のためには手段を選ばないぞ・・・(なんか変だぞ。)
2000年10月12日(木) 晴れ。暑い!
人が内省的になるには、閑暇の他に孤独、静寂などの条件があるらしいです。世人はこの条件を満たすために書斎や山荘に赴きます。あるいはホテルの一室に閉じこもります。
故に秘書が内省的になることはありえません。
と簡単に言い切れません。確かに金も暇もないし、家は狭い。が、それでも、物思う瞬間があります。
秘書も生身ゆえ、年に1度健診を受けます。血圧測ったり血採ったりレントゲン撮ったりするあれです。一通り終えると、後日検体を提出するよう容器を渡されます。かくして密室でおのれとむきあうことになります。先程までおのれであった物体を容器に入れて自分の名前をボールペンで書き込んで眺めていると、愛おしくはないが、自分とはなんであろうかと考え込んでしまいます。永遠の孤独を感じる瞬間です。長続きしたためしはありませんが。
時間内に提出に来られないのなら郵便受けに入れてもらって結構ですよ、と以前看護婦さんが言ってくれたので、夜病院の近くに出掛けたついでに検体を放り込んできました。
この行為は相手が普通の家なら嫌がらせになるところです。
などと思いつつ夜道を歩いていたら、立派な家の立派な玄関の真ん前に門灯に照らされてあっぱれな物体が鎮座していました。(お散歩わんこの置き土産です。)
明朝お屋敷の住人は「××っ」と絶叫することでありましょう。
2000年10月11日(水) 晴れ。暑い
地下の新宿山に今宵も出向きます。言わずと知れた編集長のお守り役です。
編集長は、連れてってやる、とのたもうていますが、実態は(編集長が)羽目を外さないようよく見張っていなさいとの社長命令を秘書は極秘に受けているのです。
今日は司会するだけだから、と編集長は気楽に構えてます。秘書も準備騒動に巻き込まれずに済みました。
本日もビデオ撮影を言い付かりました。お安い御用で、と引き受けたら、前と違うカメラでした。
先日のデジタルは壊れたのか壊したのか修理に行ったそうです。
アナログ8ミリは大きい分重い。三脚に載っけてても向きを変えるたび居眠りしてるみたいにがくっとなります。
ビデオ撮影は2回目ですが、このカメラは初めてです。何が写っていても(いなくても)前回と同じく責任は持ちません。
客の入りは今一つでしたが、大真面目なテーマを大真面目に論じているのに可笑しくてたまらない面白い人たちでしった。こういうキャラクター、秘書は大好きです。
みんなが喋りまくる分編集長は暇らしく、随分と生ビールをおかわりしてました。暇を持て余すとあごヒゲをいじりまわすのはすっかり癖になったらしいです。そのうち居眠りした隙に刈り込み入れてやりましょう。
2000年10月10日(火・昨年までは体育の日) 晴れ
本日の日付けをアラビア数字でならべると1010で、日本語で読むと千と十で、だから銭湯の日だそうです。
(千は“せん”で出ましたが、十は“とう”ではなく“とお”で出ましたけど。)
で、今日のお風呂はフェスティバルと銘打ったラベンダー湯でした。6回目だというが、秘書は初めてです。内風呂が壊れるまで銭湯には永らく縁がありませんでした。
(菖蒲湯とか柚子湯は知ってましたけど、いつの間にやらレモン湯などもやるらしい。)
行きつけになったお風呂で番台のおばちゃんが記念のタオルをくれました。嬉しいです。
2000年ミレニアムの銭湯の日だもので、東京銭湯物語なんて記念誌まで発行してます。
表紙をめくれば、石原慎太郎都知事の御挨拶です。お、戦闘的だな、なんて口走ってはいけません。
真面目な面白い読み物です。
昔の写真が一杯載っていて(勿論秘書が生まれる前の写真が多いのですが)子供だった頃の古き良き時代が思い出されて雰囲気が懐かしいです。
湯舟に浮かぶラベンダーの袋をつついたり揉んだり沈めたりしながら茹で上がるまで浸かってしまいました。
2000年10月9日(月・新体育の日) 雨のち曇り
目が覚めたらシトシト冷たい雨。これからの季節を暗示するが如く降りしきります。じっと見ていると気分が盛り下がります。
出勤の支度をしかけて祝日だと気づきます。いかん、だいぶ編集長に毒されています。
ふうっと一息ついて物思いに耽ります。身近な出来事に一驚一愕(なんて言葉あったかな)している内に世の中様変わりしてしまいました。
ユーゴはあれよあれよと言う間に新しくなってしまいました。10年前、あらま、と思っている間にベルリンの壁が崩れてしまったことを思い出します。先見の明を持ち合わせぬ身には、歴史が動いてからあれが臨界点だったかと分かることがたびたびです。
犠牲になった人の冥福を祈ると共に、どうやら血で血を争う大惨事は回避できたらしいことにほっとします。
願わくば中東情勢に救いを。憎しみが海の向こうでぶつかりあうと、海のこちらの我が身もやりきれなさに震え上がります。
2000年10月8日(日) 晴のち曇り
1日寝て過ごしたお陰ですこぶる体調がよろしいです。
昨日欠勤したお詫びに本日休日出勤を、などという殊勝な心掛けは持ち合わせていません。
天気も良いことだし、今日はガーデニングに精をだします。
といえば聞こえがよいのですが、町内会の草むしりです。
農作業スタイルでしゃがみ込んで鎌でごしごしやってると、軟弱な都会者はたちまち腰痛になります。脱都会田舎暮しなんて憧れだけに留めておくのが世の為です。それでも汗して労働した後は充実した気分になります。御近所のうわさ話もしこたま仕入れたし。
心も軽く部屋に戻ると、留守電の赤ランプがピカピカしてます。誰じゃいな。
「済まないが、この間の見積もりはどこにしまってあるかな。」
会社から編集長です。前世は働き蜂ですか。なら秘書はアリのお友達のキリギリスです。日曜に仕事するなっ。
2000年10月7日(土) 晴天
久しぶりのピカピカ天気。
なのに秘書の心は鉛色。頭が痛い。また、編集長が・・・ではありません。風邪を引いたらしいです。
昨日、日中が暑かったので、秘書ともあろうものがつい油断をしました。毛布1枚かけて寝たら夜中寒くなりました。
狭い部屋のなかで重装備の眠気軍と寒気軍がしばらく陣取り合戦をしていました。どっちが勝っても寒い事には変わりがなし・・・と、他人事のように傍観していたのを覚えています。
が、とうとう耐えきれなくなって起き上がり、寝ぼけまなこで押し入れから掛け布団をだしました。これで安眠できる・・・
と、思ったのは夢でした。朝、目が覚めるとかけた筈の布団がなかったです。押し入れをあけると諸々の小物の下敷きになったまま鎮座していました。
変わりに、御無沙汰しておりましたっ、と言いたげな頭痛がじわじわと覆い被さってきます。
だもんで、本日、秘書はお仕事を休みにしました。
会社に電話をしたら、総務部長が出ました。ズル休みじゃありませんっ、と力説したら、誰もそんな事聞いとらん、と言い返されました。見舞いに行ってやろうか、というので、怖れ多い、結構です、と叫んでしまいました。どんな見舞いか考えただけでめまいがします。
2000年10月6日(金) 晴天
電器屋だかカメラ屋だかから編集長宛に電話がかかってきました。生憎とお出かけだったので(ホントにどこ出歩いてるのだ)かわりに聞いておきました。お問い合わせの品在庫がございます、とのことでした。
また、なんか買い込む気です。経理部長に言い付けてやろか、と思いましたが、まてよ話の持っていきようによっては口止め料をせしめられるかも知れない、と思い直しひたすらお帰りを待ちました。
電話があったことを伝えると、顔がぱっと輝きました(ように見えた)。
何買うんですかと聞いてみた。するとますます嬉しそうな顔をします。
「もっと大きな音の出る、マイクとスピーカー。今のじゃつまらないから」
・・・(事態に打ちのめされて声が出ない)
明日買いに行ってくるから、と経理部長にお金を要求していました。経理部長の顔が凍りついていたのは、編集長が次々と機材を買い込むからか、それとも買う品物が大出力のマイクとスピーカーだからか。
誰も編集長を止められません。
せめて出力試験を社内でしないことを願うのみです。
どうしてもやりたかったら、市役所横の広大なはらっぱ(中央公園ともいう)でやってくれ~
2000年10月5日(木) 晴れ
新聞をひろげたら、市への監査請求却下、の記事が載っています。あらま、随分早いこと、編集長が請求出したのは、“すぐやる課”だったんかしらんと思いましたが、早とちりでした。却下されたのは別人の分でした。(却下、という言葉だったでしょうか。うろ覚えで喋るのはいけない、と分っていますが、こぼした水を拭くのに新聞を使ってしまいました。階下への水漏れは集合住宅の御法度です。)
編集長いわく、監査委員は揃いも揃って職務怠慢だ、昔なら月給××っ・・・。
思わず編集長の口にガムテープを貼りそうになりました。
お願いだから、どきっとする言葉を連発しないでください。気の小さい秘書は心臓がきゅっと痛くなります。
身に覚えのない人間なんて少数派です。だいたい勤人てものは・・・
2000年10月4日(水) 晴れ
編集長がジイサマになったらしい。
今更そんなこと、しばらく前からジイさんであろう、と言ってはいけません。
ジイの質が違います。
初孫、というものが産まれたというのです。
孫可愛さにデレデレするようなことは僕はしない、とクールに決めてみたかったようですが、言葉と裏腹に目尻が下がっています。口元が弛んでます。
誰彼見境なく写真を見せまくるのは時間の問題だぞ、と秘書はにらんでます。
2000年10月3日(火) 晴れ
オリンピックが終わっていました。日本はいくつメダルをとったんでしょうか。
ユーゴの選挙も終わっていました。勝った勝ったと誰が勝ったんでしょうか。
中東は激しい戦闘が始まってしまいました。和平どころではないんでしょうか。
秘書の頭の周囲を???がぐるぐるまわってます。
秘書の机の周囲を編集長がせかせかまわってます。
コピーが足りない、ホチキスはどこだ、でかい封筒は、ペンは・・・あげく、メガネが無い!
無いって、その胸ポケットから覗いているのはなんですか。
午後から記者会見するとかで、いやそもそも監査請求するとかで、慌ただしいこと。前の日に全部準備しとけい、と咽まで出かかりますが、慎み深さが災いして言えません。
それに、準備万端の筈が直前で気が変わっていじりまわす、という偏執長のあの性格。
秘書に何が言えるでしょうか。
営業部長は、お客さんとこ行って来ます、とさっさと逃げてしまいました。
2000年10月2日(月) 雨、晴れ
寒いので掛け布団を出すついでにコタツを出してしまいました。
ふっと横をみれば扇風機が出たままです。同居はあまり具合がよろしくないです。
早いとこお役御免にしてあげたかったのですが、夏中お世話になったせいで見事にお汚れあそばしています。しまうに当たっては感謝をこめてきれいにしてさしあげなくては、とずるずる片付けを引き延ばしてきました。
覚悟をきめて清掃に取りかかりましたが、手が黒くなるだけではかばかしくないです。えいやっと、洗濯機に3台分羽根やらガードやらぶち込んで、洗剤と漂白剤を入れました。明日の朝にはきれいになっていることでありましょう。
何が入っているか失念して洗濯機を回さないようにしなくては。(1度やったことがあります)
2000年10月1日(日) 雨後晴れ、寒い
月が変わって気分も新たに、と(※HPの)色も変えてみましたが、今日はあいにくの雨降り日曜日。布団を干す計画が挫折しました。朝御飯を食べてお掃除をして本を読んで・・・いつの間にか毛布をかぶってスヤスヤ。目が覚めてお昼御飯を食べて台所を片付けて本の続きを読むつもりが目をさますとあたりが暗い。仕方ないので晩御飯を食べてお風呂に行って(家のお風呂は壊れたまま)、湯疲れしてちょっと横になって・・・
1日が終わってしまいました。
日頃働き過ぎかもしれません。10月は仕事はほどほどにして人間らしく生きましょう。
(※2002年10月、小部屋の背景色を薄青色 ➡ に変えましたが、その後の改装で白にしました。)