電子手紙の送信日付け順・注釈付き一般公開文書館 2001年4月

「新しい教科書」よりも特定の価値観を排除して「事実」を伝える「思想差別」の危険性

送信日時 : 2001年 4月 20日 金曜日 8:07 AM

件名 :[pmn 14416] Re:「新しい教科書」を子供たちに提示すること

 これは面白い議論ですが、いささか争点が入り組み過ぎた感があり、できればもっと簡潔に分解して、続けたら良いと思います。

 教育とメディアは、私見の権力支配の6本の柱(他の4本の柱は、政・財・官・創価学会などの日本型マフィア)の内の一番怪しい部分ですから、一緒に論ずると、問題点が具体化されるかもしれません。以下、私が面白いと思った部分のみ、引用します。

From: tateyama
Date: Thu, 19 Apr 2001 22:59:47 +0900
Subject: [pmn 14410] 「新しい教科書」を子供たちに提示すること

内野さんの杞憂は理解できますが、それは大して問題にならないと思いますよ。
また、「多様な価値観があることを子供たちに示すこと」は必要です。しかし、「事実」を伝える前に「様々な価値観」を示しても子供には判断する材料がありません。特定の価値観を出来るだけ排除して「事実」を伝え、さらに様々な考え方があることを示努力も教師たちによって続けられています。
またはこのMLでやるには相応しくない議論でしょうか?
皆さんのお考えも伺いたいと思います。

「内野さんの杞憂」は、決して杞憂ではありません。

 もっとも、人工衛星が堕ちてくるだけではなくて、過去には、地球上の生き物の9割が絶滅するような大型隕石の落下の事実が論証され始めているので、天が落ちることを憂えた杞さんは正しかったのかもしれませんが、それはさておき、卑近な例では、私自身が、「ホロコーストの大嘘」論では、この電子広場でも集中攻撃を受けて仕事にならず、一時引退したほどです。いわゆる右とか権力とかに限らず、いわゆる自称左翼、自称平和主義者の言論弾圧も、フランス革命のギロチン、スターリンの血の粛清を典型として、手を替え品を替え、いまだに場末の場末でさえも続き、悪餓鬼に伝染し、電子空間にまで漏れ出ているのです。

 スターリンを批判したジョージ・オーウェルの『動物農場』では、スターリンと思しき「豚のナポレオン」が独裁権を確立した後、「七戒」の「七」「すべての動物は平等である」の次に、「しかし、ある動物は、ほかのものよりも、もっと平等である」と書き加えられました。

 いわゆる自称左翼、自称平和主義者の言論の自由の主張も、これと酷似していて、「ある動物の言論の自由は、ほかの動物の言論の自由よりも、もっと自由である」と言った感じです。

 実際、この電子手紙広場でも、私の意見に反対というよりも、何も自分では調べもせずに、右顧左眄で私を攻撃するのが有利と思い込んだらしい常連投稿者が、私の意見を「思想差別する」のが当然とまで言い出して、呆れ果ててしまったことがあるのです。

 その点で、立山さんの立論の内、「特定の価値観を出来るだけ排除」という部分には、誰が判断するのか、最も重要な危険性があるので、異義を提出して置きます。「事実」とは何かに関しても、『噂の真相』から追放された言論詐欺師の本多勝一が、牽強付会の典型の実に下らない雑文を書き散らしていますから、御用心!

 言論の自由の原則に関しては、先にも、ヴォルテールの名句が、実は本人の発案ではなかったという説を紹介しましたが、発案者が誰かは決定的な問題ではありません。重要な諺や格言には発案者不明の場合が多く、分かっていても、いちいち出典を記す必要はないのです。

 私が一番分かりやすいと思う例は、これも彼の発案ではなくて、アラビア科学からヨーロッパに伝わったようですが、地動説のガリレオの例です。当時は無神論と同様の重罪だった「少数意見」の方が正しかったわけです。もちろん、神も仏も裸の猿が発明した嘘でした。「少数意見の尊重」は、偉そうにジャラジャラするマスコミ業界の商売人や、自称平和主義者、実は暴力主義の威張りたがり屋の独占的欺瞞にして置いてはなりません。

 教科書そのものに関しては、私自身は、現在、64歳。敗戦の時には、国民学校3年生。花の8歳。当然、それまでは、「つくる会」編集どころか、「進め!進め!兵隊進め!」、1年生の時に、少し気があった元気の良い女の子が、「美しい」と書いてあるのを「勇ましい!」と大声で読んだりしたものでした。

 ですから、「つくる会」編集教科書を子供が読んだら、何とかガイストに化けるなどと恐れはしません。しかし、子供が教科書を選ぶのは無理でしょう。現在の日本の法律にもあるように、未熟な子供を育てる親に選択権を委ねるのが自然でしょう。

 子供は漫画の方が好きに決まってます。私も、布団の中で懐中電灯で漫画を読んだ、いや、見たものです。よしりんごとき愚劣な下手糞漫画ではありません。「ちびくろ一等兵」だったかな、とか、「マレーのハリマオ」だったかな、とかです。

 子供の教育選択権は、年令的には高校から始めるが自然でしょう。むしろ、大学入試にまで親が付き添うなんて方が、おかしいのです。私は、昔の元服の年令を参考にして、20歳ではなく、少なくとも15歳で自立させ、働きながら学べる制度にせよと主張しています。

 同時に、「児孫に美田を遺すべからず」、財産の世襲制度も廃止し、親は自分の稼ぎを喜んで公共事業に寄進し、でかでかと寄進の名前を刻んで、永遠に褒章する(野球選手の殿堂参照)新時代の社会像を提案しています。

 最後に、破壊的でしょうが、どだい、今の子供の頭の中を、教科書で押さえ込もうったって、到底無理でしょう。そこらじゅうに、漫画どころか、テレヴィだとか、ヴィデオだとか、淫多痾根撞妬とか、もっと面白い危険思想が溢れている時代なのですから。


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