送信日時 : 2001年 3月 28日 水曜日 2:13 PM
件名 : [pmn 14046] Re: 客員助教授鼻向けの辞
From: "下村健一"
Date: Wed, 28 Mar 2001 10:28:50 +0900
Subject: [pmn 14040] 客員助教授着任の御挨拶
来月から副業として、東大で客員助教授をやることになりました。
放送のサブタイトルは、「東大に史上最もアホな助教授着任」です。
東大も、本気で変わろうとしているのかな、とちょっぴりワクワク。
民衆のメディア連絡会周辺から自称「史上最もアホな助教授」が出現する時期になったことを、喜び、鼻向けの辞を呈します。
まず、「アホ」に関しては、別途の電子手紙広場で、私が末端組合員の出版ネッツ所属の大阪の漫画家が、「ちゃんとしたあほう」を自称されました。それへのわが返信を再録します。
ちゃんとした馬鹿の木村愛二です。
いや、いや、ひさびさに痛快な電子手紙に接しました。私は長らく東京にいますが、江戸時代には九州にいた家系ですから、東京にいながらも猛然と東京の偽善に反発し、悪口ばかり言うもので、毎日のように敵が増えるのです。絵が下手なので、漫画家にはなれないのが残念ですが、漫画を書いても同じ結果に成るでしょう。
で、関西とは言っても、京都と大阪では、かなり人情に違いがあるようですが、やはり、「ちゃんとしたあほ」なんて言葉は、造語能力を失って片仮名語を多用する「NOと言えない腰抜け」植民地の東京では出てきません。
以下、取り急ぎ、東京周辺の「馬鹿」についてのみ、一言します。
私が東京地方(痴呆に近い)争議団共闘会議の副議長として、女性が多い「独り争議」の担当をしていたころ、先輩争議団のカンパを有効に使って、千葉の外れの大きなホテルで、勉強会を開きました。恒例の二次会で、私が、「ここに集まっているのは、止せば良いのに逆らって首を切られて、止せば良いのに裁判やったり、馬鹿ばかり」と言ったら、当然のことながら、身に覚えのある当事者たちは、喜んで大笑いとなりました。
ところが、何時の間にか職権を乱用して潜り込んでいた事務局長で「女性に優しい」500人もの大型倒産金属争議団の書記長が、「木村さん、倒産争議だって、馬鹿と赤の集まりだと言われていますよ」と言いました。私が即座に、「赤でも利口なのは逃げたでしょ」と切り返すと、やはり彼は、「そう言えば、設計士が逃げたな」と答えました。私は、「だから、残ったのは馬鹿ばかりなんだ」と、締めました。
ところが、ところが、私の争議の裁判の最終準備書面作りの泊まり込みで、私よりも若い弁護士たちと、寝る前に飲んでいた際、この話をしたら、一番若いのが、真剣な顔を上げて、おそるおそる、「木村さん、お言葉ですが、私たちが支援している労働者を、馬鹿などと言わないで下さい」と来たものでした。「馬鹿正直」(私は、そう表現するのは内心忸怩)のニュアンスを教えて、その場は、お開きとなりましたが、もうこれ以上は注釈しなくても、私の言いたいことは、お分かりになるでしょう。
次に、失礼ながら、「東大も、本気で変わろうとしているのかな」とは、やはり、かなり甘いのではないでしょうか。私が若くして民放労連の関東甲信越地連執行委員として、放送問題を担当した頃には、当時の東大新聞研究所の教授や助教授が、常連の講師団でした。稲葉さんは、総評を中心勢力とする国民会議の理論的指導者でもありました。
いわゆる体制というものは、実に懐が広いもので、だからこそ、永続きしているのです。日本の古代では、坊主などが、今のアカデミー業界の商売人の役割を果たしていました。私は今、カール・マルクスを、暴力革命思想を脱却できなかったとして徹底批判を始めましたが、当時のプロイセン王国は、マルクスにベルリン大学の教授の椅子を提供したそうです。マルクスは、それを蹴ったことで、根性を示したのですが、別に革命家を気取ったこともない下村さんには、そこまでは勧めません。
自称『憎まれ愚痴』編集長としては、これくらいの苦言を呈しないと、かえって、意地悪な横目で見ているのかなどと、ひがまれかねないので、一言しました。ミイラ取りがミイラに成らないように、頑張って下さい。
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