『亜空間通信』2001.11.15:97号

ゲリラ戦に移行に「崩壊」見出しは「勝てば官軍、負ければ賊軍」の卑しい根性

送信日時 :2001年 11月 15日 木曜日 11:04 AM

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『亜空間通信』97号(2001/11/15)
【ゲリラ戦に移行に「崩壊」見出しは「勝てば官軍、負ければ賊軍」の卑しい根性】

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転送、転載、引用、大歓迎!

 本日(2001/11/15)、「燃やせるゴミ」なる分類の本当は「燃やせない」はずのビニール袋入りを道路際の緑の網の下に出して、『日本経済新聞』の朝刊を扉の狭い穴から破れないように引き出すという「これが文明?」風景を実感しながら、隣の扉を見ると、そちらには『毎日新聞』がギュッと突っ込んである。大見出しで「タリバン政権崩壊」とある。

 うんにゃと思って、『日本経済新聞』を広げると、一面ではあるが、真ん中に中ぐらいの見出しで、「タリバン、総崩れ/反対勢力が一斉ほう起/混乱状態」とあるが、本文には北部同盟の「戦果」発表があるだけで、タリバンが「戦闘に敗北した」とか、「軍事組織崩壊」どころか「政治組織崩壊」の事実は煙りほども見えない。

 近所の友人が出勤間際に『朝日新聞』と『読売新聞』の切り抜きを届けてくれた。

 大見出しは、朝日が「カンダハル進攻か/反タリバン/市内騒乱の情報も」、読売が「カンダハル陥落か/タリバン、ゲリラ戦に移行?」である。

 こういう時には、かつて「社会部帝国」といわれた読売の報道の方が、事実に即していることが多い。要するに「タリバン、ゲリラ戦に移行」以外の何物でもないのであって、一喜一憂するのは「勝てば官軍、負ければ賊軍」と江戸の庶民が揶揄した御都合主義、洞が峠の日和見主義、「売らんかな」のマス「ゴミ」報道でしかない。

 以下、北部同盟の支配地「拡大」報道に関して、韋駄天掲示板に「フォローアップ」とやらの投稿をしたものを再録する。

Re: ゲリラ戦ならモスクワ明け渡しの焦土作戦の故知か:
北部同盟、カンダハル空港制圧か カタールのTV局報道

 朝日新聞
[ ★阿修羅♪ 戦争・国際情勢4 ]
投稿者 木村愛二
日時 2001 年 11 月 13 日 16:46:53:
回答先: 北部同盟、カンダハル空港制圧か カタールのTV局報道 朝日新聞
投稿 者 倉田佳典
日時 2001 年 11 月 13 日 15:53:54:

木村愛二です。

 アメリカに後押しされた北部同盟の運命やいかに。

 初めてナポレオンの「国民」軍を破ったのは、正規軍が降伏して以後のスペインの民衆の蜂起で、これがゲリラの語源です。

 それを学んだロシアはナポレオン軍に首都モスクワに火を放って明け渡し、冬将軍の支援を待ちました。

 アメリカは、イラクに攻め込めなかったのですが、ユーゴの場合はゲリラ戦に転ずることなく、今、国際司法裁判所でのゲリラ戦を繰り広げています。

 アフガンでも、都市部を明け渡し、アメリカが支給する戦車や飛行機が役に立たない山地でゲリラ戦を展開すれば、イギリス、ソ連に続いて、アメリカが再びヴェトナムを経験することでしょう。

 アメリカは、その地元の奪った土地でも、ジェロニモの抵抗に手を焼いたのでした。


Re: 北部同盟に勝たせ過ぎの米英連合が次に狙うもの
[ ★阿修羅♪ 戦争・国際情勢4 ]
投稿者 木村愛二
日時 2001 年 11 月 14 日 18:03:15: 回答先: 北部同盟に勝たせ過ぎの米英連合が次に狙うもの
投稿者 あっしら
日時 2001 年 11 月 14 日 17:37:21:

 日経朝刊では、イスラマバード発、高橋一文記者が、「タリバンが目立った抵抗をしなかったのは防御が難しい都市部から意図的に撤退し、兵力や装備を温存して山岳部でのゲリラ戦に備えている可能性がある。1979年以降の対旧ソ連戦では、主要都市に拘泥することなく山岳ゲリラ戦を展開。結果として、攻撃の決め手を欠く旧ソ連軍は疲弊し、アフガンからの撤退を余儀なくされた」と書いています。

 私はすでに、第一報に接して直後、ゲリラの発祥のスペイン語からはじまる一応の見解を述べましたが、以上のタリバンの戦法は、「可能性」ではなくて、「絶対」に、それ以外にはありえない戦法であると断言します。これから補給線へのゲリラ攻撃が始まり、北部同盟軍は寸断されるでしょう。

 むしろ、アメリカからの軍需物資をしこたま受けた寄せ集め集団の北部同盟は、自ら、袋の鼠となる罠に飛び込む愚を犯したのです。

 日本軍も中国で同じ愚を犯しました。「討伐軍」のトラックは常に血みどろの日本兵の死体を乗せて都市部に戻ってきたのだそうです。

 最後に、まだ表面に出てこないが、すでに短く報道されている重要情報を再録する。

対ソ戦など歴戦の兵士が再び最前線へ/アフガンのアラブ人
[ ★阿修羅♪ 戦争・国際情勢4 ]
投稿者 倉田佳典
日時 2001 年 11 月 10 日 20:24:14: 11/10 16:59

歴戦の兵士が再び最前線へ/アフガンのアラブ人
  外信108共同

 アフガニスタンでの戦闘が激化する中、アフガンに住むアラブ諸国出身の兵士が続々と最前線に向かっている。その中心は一九七九年から十年間にわたったソ連軍のアフガン侵攻に対するジハード(聖戦)でムジャヒディン(イスラム戦士)として活躍した四十―五十歳代の歴戦の兵士だ。

 現在、アフガンにいるアラブ人の数は推定約一万三千人。エジプトやアルジェリア、スーダン、リビアなどの出身者が多い。米中枢同時テロの首謀者とされるサウジアラビア出身のウサマ・ビンラディン氏もその一人だ。

 アフガン情勢に詳しいパキスタンの情報機関筋によると、アラブ人の中には隣国パキスタンに流れ、パキスタン人女性と家庭を築いた兵士もいる。

 アフガン難民救済のため、アラブ各国の援助で設立された慈善団体から高額報酬を受け取ったり、アフガン向けの非課税輸入品をパキスタンで売却する事実上の密輸で利益を得るなどしてきた。

 米国は、九○年代半ばにイスラム原理主義者の一部が過激化すると、アラブ人兵士を「テロリスト」と断定。パキスタン政府も滞在許可を持たない外国人の一斉摘発に踏み切ったため、パキスタンにいたアラブ人兵士らがタリバンの保護下にあるアルカイダに合流するきっかけとなった。

 パキスタンの地元紙は米軍の空爆開始から約一カ月後の十一月六日付で「アラブ人が戦闘の主導権握る」という見出しの記事を一面に掲載した。アラブ人兵士は最前線に集結し、反タリバン勢力「北部同盟」との戦闘での主役になりつつある。

(ペシャワル共同=半沢隆実)


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