送信日時 :2001年 10月 10日 水曜日 10:08 PM
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『亜空間通信』38号(2001/10/10)
【「法の裁き」論をあざ笑う戦争の女神ベローナの魔力が呼び覚す裸の猿の本能】
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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
予想通りの空爆作戦展開だが、私は、今日から数えて17日前に発行した
の冒頭で、次のように述べた。以下は一部分の引用である。
アメリカで起きた事件に関して、法による裁きをとか、話し合いをとか、船頭多くして船山に登る類いの議論を散見する。法の裁きの問題についても、私には裁判の経験者として言いたいことが沢山ある。ごくごく簡単に言うと、事件の核心に触れる証拠を揃えずに訴訟を起こしても時間の無駄である。
以上で引用終わり。
その時には時間が取れなくて省略したが、私は、かねてから、もう一つの視点の持論を述べている。ところが、具体的な経験を紹介しながら、その持説を詳しく展開しようかと思っていた矢先に、本日、次のように意味深長な「今日の一言」を含む「国連情報誌SUN」が届いた。
以下は、その部分に関しての全文引用である。
■■■■□■□□■□■□□□◆ 国連情報誌SUN
■□□□□■□□■□■■□□■ http://www.issue.net/~sun/
■■■■□■□□■□■□■□■ 10月 8日(月)の出来事
□□□■□■□□■□■□□■■ 文責:山本 mailto:yama@issue.net
■■■■□□■■□□■□□□■ Fanclub : http://www.issue.net/~yama/[中略]
◆「今日の一言」
- 我々の内にひそむ女神ベローナ -
“戦争は、祭りと同じように人を魅惑する。そして現代世界がその持てる膨大な資源と手段とを用いて作り出したところの聖なるものの、ただ1つの顕われとして出現する。” …という文章を読んで、皆さんはお怒りになるのでしょうか。それとも図星を指されたと感じるのでしょうか。これはロジェ・カイヨワの『戦争論 我々の内にひそむ女神ベローナ』(法政大学出版局)で指摘される事柄です。
カイヨワは人間の中に潜む戦争賛美の傾向をえぐり出し、<戦争への転げ落ちる坂道>の危機を警告します。人間の心の中にベローナ(ローマ神話における戦争の女神で、軍神マルスの妹とも妻とも言われる)が居るのだ、と。「今日は何か起こっていないか」とテレビをザッピングしている姿には、「何かが起こってほしい」という「期待」はありはしないか。戦争を否定するなら、何も起こらない(戦闘が行われない)ことこそを歓迎すべきではないのか。
“国家のかかげる原理は、現実のものにせよ想定されたものにせよ、最高の法であり、また都合のよい口実である。このような国家の原理が至高のものとされるようになったときには、これを掣肘できるような原則や尊厳はもはや何もない。国家原理の猛威を免れ得るような場は、もはやあり得ないのである。
そのほかにも、人間に奉仕するこの巨大な機構は、目に見えないいろいろな方法により、人間に奉仕しながら人間を服従させている。いまはもう、関心のあるものはこの問題について考え、どこにその悪がひそんでいるかを知らねばならぬときである。”
[後略]
以上で引用終わり。
さて、以上を踏まえて私の具体的な経験を紹介する。私は、2年前のユーゴ侵略戦争の直後、日本の法律関係者が組織する「国際法律家協会」の勉強会に参加した。
講師は国際法専攻の東大名誉教授だったが、私よりも少し若かった。国際法の歴史的な説明が終わってから、質問と意見交換になったが、終わりの時間が近づいた頃、講師よりも10歳ほど年上で私とは旧知の仲の弁護士の大御所が、「要するに国際法なんてものはアメリカをふん縛るには糞の役にも立たねえってことだな」と持ち前の錆の効いた大声で呟いた。講師の方は、ぽっと顔を赤らめていた。
二次会の懇親の場で私は、その大御所に対して、「アメリカをふん縛りたければ、嘘を徹底的に暴くこと、いつかはぼろを出すから、スッポンのように食い付いて放さないこと」などと迫った。
「法」は、裸の猿たちが、互いの自己中心の本能を抑制し合って、我慢して一緒に暮らすための「人為的」な発明である。状況が変われば、特に命に関わる「緊急事態」だと思い込む方が多数派になれば、「超法規」などと称する法破りが横行するのは、お構い無しとなる。
そういう状況になってしまった時には、「戦争反対!」などと決まり文句の弱々しい声を上げるだけでは、女神ベローナの魔力に対抗できるわけがない。しかも、「戦争以外に緊急事態を解決する手段はない」と煽り立てる無法者たちを相手にしながら、彼らの「悪魔化」宣伝を検証もせず、打ち破ることができず、むしろ、「法」を楯に取って「我々もテロを糾弾する」などと合唱しているようでは、実に愚かしい泣き言の繰り返しでしかなくなる。私は、そういう状況を湾岸戦争以来、何度も、いやになるほど見聞きしてきたのである。