送信日時 :2001年 10月 10月 7日 日曜日 10:11 PM
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『亜空間通信』34号(2001/10/07)
【9.11.アメリカ重大事件イスラエル関与説に怯え懸念する向きは善意か否か】
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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
昨夜、日本アラブ通信の主宰者、旧知の阿部政雄さんの話を聞きに中目黒まで出向いた。その件の概略はすでに前回報告したが、阿部さんを始めとして長らくアラブ諸国の問題を勉強してきた仲間が多かったから、私も電網宝庫で特集している9.11.アメリカ重大事件イスラエル関与説に関する議論が盛んだった。
こ件については会員の転送などにより、いわゆる「左翼」筋の電子手紙広場で、謀略論を戒める「懸念」が表明され、自粛の趣があるように思える。特に、パレスチナ問題に長年関わってきた向きから、現地の声などを交えての制御の動きがある。
ところが、この向きは、実のところ、私の「ガス室の嘘」論に猛烈な攻撃を加えてきた向きでもある。この向きが、実は、知ってか知らずか、政治的シオニストの手先になっている可能性すらも疑って置く必要がある。というのは、その向きが、イスラエルの国策宣伝映画として位置付けるべき『ショア』の日本上映運動に、積極的に取り組んだ実績を持っているからである。
ただし、もう一つの問題がある。それは、ロジェ・ガロディ著、拙訳
の中に、次のような歴史的な事実の指摘と批判が記されているからである。以下、部分引用。
(c)…偽造者と批判的な歴史
最後に、われわれにとっての課題は、どんなに小さな情報についても、われわれが確認できる出典や確証の材料を用意することであり、すべての嘘と根本的に一線を画することである。嘘は宿命的に、宗教や共同体への不信を生み出し、憎悪と迫害を呼び起こす。
この種の卑しむべき行為の典型は、『シオンの長老の議定書』である。これについては、拙著『パレスチナ/神の伝言の土地』の中でも、九頁も費やして、警察による偽造の過程を明らかにした。
私が教えを受けた原典は、アンリ・ロランが一九三九年に出した反駁の余地のない論証、『われわれの時代の黙示録』である。この本は、翌年の一九四〇年、ヒトラーによる焚書の対象となった。ナチによる反ユダヤ主義プロパガンダの絶好の材料を台無しにする本だからだったからである。復刻本が一九九一年に出版されている。
アンリ・ロランは、つぎの二つの剽窃文書を発見した。この二つの文書を基にして、今世紀の初頭、ロシアの内務省の警察官吏、フォン・プレヴが、問題の偽造文書を作成したのである。
1……一八六四年にフランスのモウリス・ジョリイが、ナポレオン三世に反対する立場で書いた『モンテスキューとマッキャヴェリの地獄での対話』と題するパンフレットである。そのどの章にも皇帝の圧制に対しての、あらゆる批判が転載されていて、すべての政治的支配に対して適用できる内容になっている。
2……ロシアからの移民、イリア・ツィオンが、ロシアの大蔵大臣、ヴィッテ伯爵に反対するために出した『ヴィッテ氏の圧制はロシアをどこへ導くか?』という題の評論である。
発表されたのは一八九五年であるが、これがまた今度は、一七八九年以前に、カロヌ氏に反対するために出されていた風刺書の剽窃であって、これも、すべての大蔵大臣と国際的な銀行との関係に関して使える内容なのである。この剽窃文書に関しての特筆すべき点は、これがさらに、ヴィッテ伯爵を憎んでいたフォン・プレヴによって、ヴィッテに関する報告の手本にされたことである。
この卑しむべき種類の探偵小説的偽造文書は、生憎なことに、かなり利用されてしまった。特に、いくつかのアラブ諸国での利用に関しては、私は、早くから批判を加えている。
この誤った利用によって、シオニストとイスラエル、および彼らの国際的な圧力団体は、彼らの中東政策に対するすべての批判を、偽造者の仕業と同一視する機会を得たのであり、それによって、さらに非難を強めることができたのである。
以上で引用終わり。
この件を私がアラブ人の記者に話したところ、彼は笑って、故国の学校で『シオンの長老の議定書』を本物として教わったと答えた。その時期は、ほぼ1970年代の前半である。以後、ガロディが記しているように、「偽」イスラエル側が「非難を強めることができた」ため、逆目に出て、政治的シオニストへの批判すら圧迫される事態となったのである。いわば「あつものに懲りてなますを吹く」という怯えの自粛の向きが増えたのである。
しかし、日本の侵略の歴史に例を取ると、中国で出回った文書に、陸軍出身首相の田中義一が起草した天皇への上奏文というのがあって、実は偽書だったのだが、いかにも日本の大陸侵略の事実経過と合致していたので、それを中国で事実として広めたことを誰も咎めていない。いわゆる「プロパガンダ」というものは、江戸の民衆がからかった「勝てば官軍、負ければ賊軍」の類いの性質を持っているのである。「懸念」云々は、結局のところ、強い者が勝つ世界でのいじけた議論という限界を意識すべきである。
ガロディが記しているように、「確認できる出典や確証の材料を用意する」ことで、予想し得る攻撃に備え、確信を持てる問題では大胆に反論し、効果的な暴露を試みることが肝要である。