『亜空間通信』296号(2002/07/06) 阿修羅投稿を02.12再録

911事件後の今こそアメリカ「民主主義」の「神話」の化けの皮を剥ぐ絶好機

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『亜空間通信』296号(2002/07/06)
【911事件後の今こそアメリカ「民主主義」の「神話」の化けの皮を剥ぐ絶好機】

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 転送、転載、引用、訳出、大歓迎!

 この号を準備していた折りも折り、本日(2002/07/06)の日経朝刊「国際1」面の冒頭「情勢ファイル」欄に、まさにこの「化けの皮を剥ぐ絶好機」を象徴的例証してくれるためであるかのような、ニューヨーク発記事が出現した。

 見出しは「忠誠の誓いに違憲判決/全米に非難の大合唱」である。

 ますます狂信の度を加えて来たアメリカの公立学校の日課、「忠誠の誓い」の文句の中の「神の下に」の部分を、公立小学校に通う娘の父親(無神論者)が、思想信条の自由を標榜する米修正憲法1条違反と訴えていたのだが、この主張をサンフランシスコ連邦高裁が認めたのである。

 ブッシュ大統領は「ばかげている」、上院は審議を中断して全回一致の非難決議、原告の自宅には「地獄に落ちろ」などの脅迫電話が殺到とある。呆れたことだが、これが現在のアメリカ「国家」の本性である。

 私は数年前から、アメリカを典型とする民主主義の「神話」批判を、様々な場で試みてきたが、911事件後の今、しかも、その真相が疑惑に満ちたものであることが、ますます明らかになりつつある今の今こそが、アメリカ「民主主義」の「神話」の化けの皮を剥ぐ絶好機であると断言する。

 準備中の拙著、仮題『911事件の真相と背景 「テロ」か? 自作自演の戦争挑発謀略か? アメリカ=イスラエル=世界的謀略構造の核心を突く』においては、「正義」の御旗を振りかざすアメリカ帝国の「三種の神器」「自由、民主主義、文明」の章を設けて、そこで、これまでの関連拙稿を集大成する予定である。

 さてさて、長老を何度もリングに引っ張り出すようで、自分でも困っているのだが、影響力が大きい先輩だから、横綱の気分で胸を貸して貰うしかない。以下、先に紹介した以下の記事で、原寿雄が記した重要な関連部分だけを再録する。

『朝日新聞』(2001.09.15)15面「オピニオン」頁
(opinion@news project)opinion-page@ed.asahi.com
「メディア」テロの背景さらに究明を
原寿雄(はら・としお)
ジャーナリスト、元共同通信編集主幹

 [中略]
「自由と民主主義の擁護者」を自他ともに認める米国がなぜこれほど憎まれ、恨まれ、敵視されるのか。どこで、だれに、どうして恨まれているのか。[後略]

 私は、上記の「自他ともに認める」という表現に、異論を唱える。「他」とは誰なのか、である。少なくとも私は、その中に含まれたくないのである。

 私は、そんなことは、まったく認めていないし、むしろ、逆だからである。

 今、問うべきことは、むしろ、なぜアメリカ「だけが許されているのか!」、その理由を、徹底的に明確化することなのである。

 問題の核心は常に、裸の猿の集団の狂気を支えて来た「集団の神話」にある。以下、簡略に、権力支配の構造の基本を指摘する。

 アメリカの内部的および外部的権力構造の秘密を解く:

 500年前のイタリアの政治学の祖・マキアヴェッルリ以来の権力の定義:

 権力(支配力)の3つの要素:

 1. 恐怖支配(軍事力・警察力などの暴力装置)
 2. 利益誘導
 3. 信仰(思想)

 1.と2.に関して、アメリカが今、史上最大の力を持っていることは、最早、論を待たない。3.こそが今、私が論ずる問題なのだが、アメリカ帝国の「信仰(思想)」または「神話」は、これまでのあらゆる世界帝国の中で。最も強固な思想支配の構造になっているのであって、これこそが、決定的に重要な問題なのである。

 この間、おそらく若い人が多いと思える阿修羅・戦争13掲示板に、いくつかのアメリカ民主主義への疑問の投稿が出現した。当然、911事件以後のアメリカの所業のせいであるが、その内から、抜粋紹介する。

http://www.asyura.com/2002/war13/msg/299.html
Re:アメリカ憲法は発足当初より偽装民主主義 投稿者 ただのどかな青空がほしいだけ 日時 2002 年 7 月 01 日 14:58:29:

(回答先: 米国流「自由主義・民主主義」への完全なる鎮魂歌。民主主義はここに歴史の幕を閉じる。「アラファト選出は認めぬ」米、議長選に強い警告【朝日】 投稿者 長兵衛 日時 2002 年 7 月 01 日 14:00:11)

 [中略] アメリカ政府は発足時より今日まで、一貫して超富裕支配層に乗っ取られているのが現実です。憲法制定の際の内部での議論報告書もリアルタイムで一般に発表されなかっただけでなく、制定後50年間封印されたほど、超富裕層から構成される憲法制定委員会はその権力機構乗っ取りの邪意を一般民衆に知られたくなかったのです。このように、非公式の権力サークルによって公式の権力機構が乗っ取られてきているのがアメリカ権力メカニズムの真実です.ただこれまでは、非公式の権力サークルの本音が公式の権力機構から表明されることはなかったのですが、今回の発言は露骨に、非公式権力サークル側の意図が端的に表明されたというところに、時代を画する何かを読み取ることができます。何かが今かわったのです。今後、米国政権を配下におくパワーエリートは、公式の権力機構を通じ、オブラートに包んだような言い方ではなく、直接的に、世界に対する支配意志を表明しかつその実務を断行していく旗幟を鮮明にしたといえるでしょう。米国独裁、全体主義は今姿を現わしつつあります。もう誰に何と思われてもかまわない、と居直ったように決意した瞬間がここにあります。[後略]

 以上で引用終わり。

 上記の「乗っ取られているのが現実」という状況に関して、私は、イスラエルのシャロンが「神殿の丘」に挑発攻撃を仕掛けた直後、アメリカ大使館前で英語演説を行い、その際の「日記風」の報告に、以下に抜粋するように記した。

随時追加「編集長日記風」木村愛二の生活と意見(2000年11月分)

[中略]

アメリカの選挙の論評にガルブレイス『満足の文化』持参

[中略]
 武蔵野市の中央図書館から、ジョン・ケネス・ガルブレイスの著書、『満足の文化』(CULTURE OF CONTENTMENT)を借り出してきた。奥付を見ると原著のCopyrightの年が1992年で、日本語訳の発行日は1993.9.25.となっている。私が当時、新聞の書評を見て注文し、自前で購入した本と同じものである。題名の方は、うろ覚えだったので、著者のガルブレイスによるデータ検索をしたのだが、この本の中に「人口の半数が大統領選挙に参加せず」(p.173)などとあったことを覚えていた。

 わが家の唯一の宅配紙、『日本経済新聞』(2000.11.18.夕)の「あすへの話題」欄では、「詩人・弁護士」と欲張った肩書きの中村稔が、「少数者支配体制」と題して、「投票率は5割強だから、」「どちらも」「有権者のわずか4分の1の票を集めたことによって、アメリカの最高権力者として世界中の国々に圧倒的な影響力を行使することになると思えば恐ろしい」などと記していた。

 この中村の論評が、これまで目に止まったアメリカ大統領選挙批判の中では、最も鋭いものだった。しかし、『満足の文化』以外にもアメリカの政治体制に関する文章を沢山読んでいた私にとっては、まだまだ物足りない。ガルブレイスは、「貧困者にとって投票は無意味である」(p.171)としている。『満足の文化』という題名そのものも、独特の皮肉である。アメリカでは「下層階級が『必要』とされる」(p.45)のだとも論じている。

 つまり、あれだけの馬鹿騒ぎをする「アメリカ民主主義」なるものは、同じギリシャ語源の言葉で比較をすれば、デモクラシーというよりもデマゴギーと形容した方が実態に近いのである。

[後略]

 以上で引用終わり。

 以下では、今年の文章を整理し、改訂増補する。

『亜空間通信』254号(2002/05/12)
【米イなど凶暴な侵略国家の政治制度「民主主義」の誤解と曲解の歴史的徹底検証】

[中略]
 明日の短い無料講義(武蔵野市議会での「議員報酬の使途公開要求の条例を定めよとの陳情のこと)の準備として、以下、アメリカの正義の御旗の「三種の神器」こと、「民主主義」「文明」「ホロコースト」の一番手、「民主主義」の大嘘に関する見解を整理しておく。

 私は文学部系統で、しかも小説屋か台本屋を志望していた。この種の「政治学」とか「社会科学」とかは大嫌いだったから、いわゆる素養はない。しかし、1960年安保闘争以来の人生街道の狂いにより、やむなく、いくつかの「社会科学」分野を踏み荒らすこととなり、いわゆる専門家が、ほとんど学閥追随の言論詐欺師であることを確信するに至った。「民主主義」の大嘘発見も、その一つである。

 問題点の核心は、いわゆる権威主義にある。特に社会科学は、欧米追随、つまりは欧米の御用学者への追随の日本での御用学者の学閥追随である。それがさらに歪むと、右も左もない。歴史的事実とは全く反する呆れた大嘘となり果てる。

 電網検索で得た実例を示す。

 民主主義とはもともとギリシャ語であるデモスdemosu(人民)とクラティアkratia(権力)の結合語であるデモクラティアdemokratiaが語源であり、人民の権力という意味である。

 以上で引用終わり。

 ああ、ああ、デモスが「人民」とは驚き入った。ギリシャ語のローマ字綴りの滑稽さは許すとしても、もともと「民主」の「主」に相当する意味は、demokratiaには含まれていない。

「民」という漢字も、もともとは目を槍で刺された図で奴隷を意味したというから、なおさらのことである。古代ギリシャの人口の9割程度だったらしい奴隷は、デモスには属さない物品扱いだったのである。

 私は、昨年の911以前から、この問題を追究していた。常に実態から考え直すので
ある。以下、続けて「日記風」から抜粋する。

http://www.jca.ax.apc.org/~altmedka/turedure-1-2.html
2000年 8月 6日 日曜日 10:43 AM

アメリカ 民主主義とは何か?

[中略]

 アメリカ民主主義なるものは、原住民を騙し、殺し、駆逐して、ではありますが、「自由に土地を入手できる」条件の上に、黒人奴隷制を経済の基本として、初めて成り立っていたものです。[1880年代のフランス人]トックヴィユは、その実態を、基本的には個人主義なのであると、見抜きました。歴史的に見れば、人口の10分の1の支配層の制度の一つであったギリシャ民主主義と共通する欺瞞に満ちた差別支配、軍事貴族支配の一種でしかないことが明確になります。

 ギリシャのデモスクラトスは、デモス(身体が原義)とクラトス(権力)の合成語です。自らも奴隷主の一般兵士の合議制権力と解すべきであって、発生的には「奴隷」状態を象形した「民」を主権者である思わせるような訳語は、間違いなのです。すでに、「軍事民主主義」と呼んでいる人もいます。

[後略]

 以上で引用終わり。

 さらに続きである。

http://www.jca.ax.apc.org/~altmedka/turedure-1-10.html
2001年10.22.(月)
決まり文句「民主主義と文明を守る戦い」を語源的に解釈し直すと軍事都市による農村の制圧

[中略]

 事件後、まる1週間を経て9.18.----ブッシュが議会で大演説をしていた。クリントン時代にも、ユーゴ戦争に際して同じような演説を聞いた記憶がある。当然、下書きの熟練者がいて、「国際音痴」とかのブッシュ坊やが、一生懸命、テキサス訛りのせかせかで練習を重ねたのだ。力んで喋ると、満場総立ちの拍手喝采、しばし鳴りやまずで、昔のヒトラーなどの演説風景とまるで変わりがない。ゲルマン型の習慣であるが、世界中の人間集団が似たような儀式を続けている。

 動物行動学的に観察すると、チンパンジーの群れが猛獣に襲われる可能性が高い恐怖の夜を迎える前に、横向きの木の枝に並んで立って、一斉に唸り声を発する習慣が、この儀式に連鎖しているものと判断できる。恐怖から怒りへ、攻撃へ、いわゆる出陣の雄叫びの典型的な儀式である。

 面白かったのは、「アメリカ人は今、なぜ自分達が憎まれるのかと考え始めている」という台詞だった。ここをブッシュは、非常に慎重に、重々しく、ゆっくりと喋った。

 あの不良坊やも、これが非常に重要な台詞だと認識しているのだ。議場は静まり返った。これはまた当然、当時の多くのアメリカ人による論調に表れていたことを意識して、工夫に工夫を重ねた台詞なのである。

 私はこの「憎まれ」問題の自覚に関しては同主旨の電網記事を沢山見ている。だから、次に何を言い出すかと興味津々、耳を澄ますと、「彼らが憎むのはアメリカの民主主義と文明である」と、と、と、と、おいでなすった。さすが見事な切り返しのデマゴギーである。

 東京裁判でアメリカ人のキーナン検事は、あの勝者が敗者を裁く猿芝居のことを「文明の断固たる闘争」と称したのだそうである。「文明」か、なるほど、明治維新の後、「ちょんまげ頭を叩いてみれば、因習姑息の音がする。ザンギリ頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」と謳われたあの同じ言葉である。だから、明治時代以後の日本人は、この言葉に弱い。「民主主義」の方は、敗戦後に叩き込まれたから、これにはもっと弱い。

 私は昨年、パレスチナ内戦勃発と同時に、東京は港区赤坂のアメリカ大使館前にて、わざとアラブ訛りの英語で演説をした。その時に、私は敗戦国の少年としてアメリカ民主主義を教え込まれたが、それが真っ赤な嘘だと知ったとして、アメリカ民主主義については「デモクラシーよりも同じギリシャ語源のデマゴギーの方が相応しい」、とぶっぱなし、何度も繰り返してやった。

 [中略]「デモス」の語源を辿ると、「民衆」ではなくて「身体」などとあり、どうやら部隊の兵士の集団的な権力と理解した方が、歴史的実態に合っているようである。

 欧米語の「文明」の語源は、ラテン語のcivitas(市民権)などの語群にあり、都市を意味する英語のcityと同じ語源から発している。英語で同語源のcitadelは、明瞭に「城」または「砦」である。当時の都市国家の中心部は、本当に城壁で囲まれていたのである。

つまり、「文明」という言葉を使うにしても「都市文明」の方が実態に近い。ラテン語の語幹のciviはcieoと同じ意味とされており、cieoには「召喚する」の意味がある。これもどうやら、兵役義務を負う「市民」に由来するのではないかと考えると、非常に分かりやすくなってくる。

つまり、軍事的な征服集団の基地と財産こそが、英語のcivilization なのだ。文字の発達を象徴的な基準とした「文化」や「文明」とは、まったく違う意味なのである。

[後略]

 以上で引用終わり。

 以下、再び、電網検索情報の内から、比較的に歴史的な事実に即する文章を抜粋して紹介する。上記の私自身の「デモス」の語源解釈、「身体」からの語義の発展経過の解釈の続きである。

 デモス(demos)という言葉は古代ギリシャのポリスに住む「部族」という意味に端を発する。そこには、自然共同体的な住民社会が形成され、そこではデモス全員が共同体の政治に参加することができた。正確に言えば、「18歳に達したすべての男性市民は本人自ら立法会議に参加する権利を 有していた。」(minsyu)のである。

 デモス(demos)というのは、長い歴史を持つ言葉です。それはもともと古代ギリシャのポリス(都市国家)に住む「部族」くらいの意味もっていました。

http://www.icpe.or.jp/getsurei/okamoto.htm

「デモ」というのは何かというと、日本語で言えば「市」や「区」、「番地」という意味です。ですから何町何番地みたいなことです。それまでは人は家柄で証明されていました。例えば岡本とか鬼澤とか名前で血筋が証明されたわけです。

 それに対してクリステネスという人たちがやったのは、何町何番地で人間を証明することです。だから階層をなくしていこうとするわけです。その階層をなくしてみんながフラットな社会を作ろうとしたその考え方を「デモクラチア」と言って、それが今日の「デモクラシー」の語源です。

 その時に市民集会というのをやります。20歳から60歳の人を集めて市民集会をするのですが、そのうちに人が集まりすぎて話がまとまらないということが分かってきて、その町ごとで代表を出すようにします。

 その代表が100人委員会を作るわけですがそれでもまだ多いというので、その100人委員会の中からさらに非常に前向きで物事を考えられる人を10人集めます。その10人の組織を「ストラテゴ」と呼びます。これは戦略の英語の「ストラテジー」の語源なわけです。そのストラテゴというのは何かというと「構想」なのです。要は都市国家をどういう都市国家にしていこうかという構想を持つことが、元々「ストラテジー」、「戦略」の意味なのです。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~mizuta/sekaisi/gre1.htm

ポリスの特徴[中略]
市民(土地所有者)=兵士
奴隷制社会[中略]
軍隊 貴族=重装騎兵
平民=重装歩兵の密集隊(ファランクス)→武器は自弁のため、兵士になるにはお金が必要[中略]
王政→貴族の重装騎兵が活躍し、貴族政になる。
さらに→平民の重装歩兵の密集隊(ファランクス)が国防の主力になる。貨幣経済が浸透し、お金を持った平民が武器を購入し、貴族と平民が対立[中略]
BC508 クレイステネスの改革
氏族制廃止→デモス(区)の設定 [後略]

 以上で引用終わり。

 さて、以上のように、ギリシャの役所用語としても、日本語では「区」と説明される「デモス」は、「20歳から60歳の」「市民」こと「兵士」の資格を持つ兵役年齢の成人男子が、具体的には重装歩兵の「部隊」の単位で駐屯する区分を意味していたのである。単数の「デモ」に関しては、当時のアテネで、150 から170ほどの数という記述もあった。いわば、現代の「選挙区」である。

 私は、この連中の「デモ」の「クラトス」(権力)を、日本の小領主の侍の合議制と同じものと断定する。実際に、ギリシャでもローマでも、その合議によって、戦争が決定されたのである。

 さらには、戦略の英語の「ストラテジー」の語源をなす10人の組織、「ストラテゴ」を基礎として、貴族支配が復活し、ついには、カエサル以後の混乱を経て古代ローマの血統帝政時代が始まるのは、まったく不思議ではないのである。

 今、アメリカはブッシュ王朝、日本は、小泉王朝から田中王朝に至るのかな?

 いや、それは当面、遠のいたようだが、石原王朝ともなれば、もっと酷いことになり兼ねない。私は、別途、教科書問題に関して、今の日本の教育を、日本の歴史のアメリカ王朝時代の教育と論じた。日本における「民主主義」教育は、アメリカ王朝への「忠誠」を誓う「臣民」育成の教育なのである。だから、今の日本人は、アメリカの謀略に簡単に騙されるのである。

 この件も、わが主宰「徹底研究実践会」の重要な主題とする。

 以上。


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