勅令「阿片謀略」
その6:幻の国際商社「陸軍昭和通商」
初出:昭和が終って 『噂の真相』(1989.5)
しかし、まだまだ謎は深い。江口圭一は、こう記している。
「確保された資料はこの問題の全容解明のためにはまだきわめて限られている。とくに問題の最深層にあるアヘン収益がどのように処理されたかという資料はあいかわらず皆無の状態であり、秘密のベールはなお厚い」
蒙疆傀儡政権の「歳入」としての予算決算の数字は、一部が明らかになった。だが麻薬販売には、末端価格が桁違いに跳上がるという特色がある。「配給」された阿片は、どのように「大東亜共栄圏」の各段階を潤したのであろうか。
販売ルートには、お馴染みの「児玉機関」も登場する。阿片を機密費として、戦略上不可欠なタングステンなどの資源を求めたのだが、児玉らは、その手先となった。戦争の相手の重慶側の物資まで、横流しで手に入れていたという。
阿片独特の機関としては「里見機関」があり、主宰者の里見甫(元新聞記者、中国名リーチェンブー)自身の口述調書が東京裁判に出されている。
興亜院は、阿片の分配のために「宏済善堂」という阿片問屋を創立したが、里見はその副理事長(理事長空席)となった。関係者の証言によると、「上海でひらかれた興亜院のある会議」のあと、「三井物産上海支店長から招待される。白系ロシア人の、当時としてはこれも日本国内ではご禁制だったヌードショーにも招待される。さらに宏済善堂……の酒池肉林の宴に招待」(『皇軍“阿片”謀略』)という状況もあったらしい。
だが、「阿片戦略」の需給規模の巨大さ、収益の大きさには、計り知れないものがあるようだ。当初の「イラン」産阿片の輸入についても、超一流の三井物産と三菱商事が激しい争奪戦を繰広げていた。さらには、児玉機関などは足元に及びもつかない、巨大な特殊商社が設立されていた。
「一時期、北米はニューヨーク、南米はペルーのリマとボリビア、ヨーロッパではベルリン、ローマをはじめ満州、中国各地、南方諸地域にわたって支店や出張所をもち、正社員三千人、現地臨時雇用を含めると六千人にも及んだ巨大組織」(『阿片と大砲/陸軍昭和通商の七年』)
である。
これまた、痛恨の一書である。著者の山本常雄は、早大卒業と同時に「昭和通商」に入社した。「両股関節機能障害」による「不具廃疾兵役免除」を「不名誉」と感じる山本は、「国家のために尽せる男だ」と入社を切願した。
そんな山本に目を掛けてくれた社長の堀三也は、元陸軍大佐で、「東条英機に嫌われ……予備役となったと言われている」人物。会社の統括権は陸軍大臣が握り、資本金は三井物産・三菱商事・大倉商事の三社に割当てられた。関係各所には「陸機密第67号」の通牒で「便宜と支援」が要請された。
同社への「指導要綱要旨」にいう。
「本会社は国産兵器の積極的海外進出と陸軍所要の外国製兵器及び軍需用原材料、機械類等の輸入を実施し、陸軍の施策遂行とその秘密保持のため設立されたものであるから、その使命を達成するよう積極的に指導する」
「阿片工作」については、何人もの旧社員の証言が収められている。しかし、全容を知るものは堀三也社長(故人)だけ、という組織だったようだ。
山本は「あとがき」でこう書いている。
「調査部機能による情報収集や牒報・謀略活動をはじめ、物資調達や宣撫工作の見返り品として旧式兵器が枯渇すると満州産の阿片をふんだんに使っていたことなどは初めて知ることであり、わたしにとっては大きな驚きだった」
末端の販売店には、日の丸が掲げられていた。日本人か日本国籍の朝鮮人を一人雇えば、「日章旗の掲揚」が許可され、「治外法権」が成立した。そのため、「日本の国旗凌辱事件が起り、外交問題に発展することがあったが、よく調べると中国人はそれを国旗とは知らず、アヘンの商標だと思っていたという、まったく笑い話のような滑稽談さえあった」(『陸軍葬儀委員長』)そうである。