はじめにコトバありき
「全地は同じ発音、同じ言葉であった」(旧約、『創世記』、11章)。「初(はじ)めに言(ことば)があった。言(ことば)は神と共にあった。……すべてのものは、これによってできた」(新訳、『ヨハネによる福音書』、1章)
もちろん、わたしは神の存在を信じない。だが、この時、それまでに暗中模索していたいろいろなコトバの謎が、わたしの頭の中で、湧きたつようにこの1点に流れこんできた。そして、もし、わたしの推理が当っていれば、このコトバは、紀元前8000年頃の人々によって語られたコトバなのだ。
では、それまでにわたしが手繰りよせていたコトバの謎は、どんなものであったか。そのつながりは、果して確かなものであろうか。
まず最初には、すでに紹介したような、アフリカの神話と、旧約聖書の酷似がある。この系譜は、また、シュメールのギルガメシュ叙事詩やギリシャ・ローマの神話のみならず、インドのヴェーダにもみられることが、早くから指摘されている。そして、おそらくは、世界各国の神話、宗教の骨組みにもつながっているであろう。
わたしは、これを背景にして、まず、結論からのべ、あとは、想像をめぐらせることにしたい。
すでに農耕起源のところでのべたように、最初の農耕文化のにない手は、周辺の狩猟・採集民とたたかい、そして彼らを同化していった。その時に、いままでのように、自然から奪うのではなく、人間だけに与えられた能力によって、農作物を育て、収穫をする、という作業を教えなくてはならなかった。人々は、農作物の種類を教え、育て方を教え、果物の種類を教えた。そして、収穫の時期まで、待つことを教えこまねばならなかった。彼らはまた、当然のことながら、自分達の言語で教えた。
この行為、つまり、言語を異にする人々に、新しい文化をつたえる行為が、バントゥ語の文法にきざみこまれ、思想体系をなした。
つぎの段階には何が起っただろうか。人々は、本拠地をはなれて、ひろがっていった。その時にわたしの考えでは、三部族の協力体制ができた。農耕・牧畜・狩猟の三大分業である。狩猟は、まだまだ重要な生産部門だった。かれらは、お互いをどう区別したであろうか。わたしは、一応つぎのように仮定する。発音は、あくまで、説明の都合上のものである。
農耕部族……ケ・ムントゥ
牧畜部族……セ・ムントゥ
狩猟部族……ヤ・ムントゥ
この、ケ、セ、ヤは、いずれも、農作物、家畜、狩猟に関係のある、何らかの総称に由来するものだと考える。最初の総称は、簡単な発音のものだったにちがいない。
ケ、と対応するのは、樹木であろう。スワヒリ語では、木のことを、ティという。日本語では、キであり、英語では、トゥリーである。
セ、については、動物は粘土でつくられた、という神話を参考にする。スワヒリ語の文法でも、動物は、「事物」のあとになっている。そして、物は、トゥである。ドイツ語のディング、英語のシングが対応する。
ヤ、については、狩猟をする場所を考えてみる。スワヒリ語で、場所を、ハリという。日本語の、ノハラ、ハラッパ、英語の、フィールドが対応する。だが、日本語に、ヤマ、ヤブもある。そして、紀元前2300年頃の、ハルクーフの碑文には、「ヤムの国」とか、「ヤムの首長」という単語がでてきた。そこで、ハリ、アリ、ヤリ、ヤミ、ヤム、ヤブというような、発音のつながりを、想定しておく。
ともかく、以上のような、基本的な単語のつながりは、意外に深いものである。いずれは、アフリカの言語学者が、材料をそろえて、解決してくれるのではないだろうか。
人々は、三大分業の連絡をたもちながら、各地にひろがっていった。行手には、農作物を荒し、家畜を奪いとる人々が、まちかまえていた。三部族の協力は、身を守るためにも必要であった。そして、その協力関係は、それぞれの部族が強大になるまで、維持されなければならなかった。
ところで、ノアの息子は、ハム、セム、ヤペテであった。古代エジプト語では、ハム、セムは、ケムトゥ、セムトゥであった。これは、ケ・ムントゥとセ・ムントゥがちぢめられたもの、と考える。
ヤペテは、すぐにはわからなかった。だが、ヤ・ムントゥを、ヤブ・ムントゥだったと想定すれば、ヤブ・ムト、ヤベテ、ヤペテの変化は、説明できる。
さらに、古代エジプトの最初のファラオとされているメネスは、ムントゥであろう。つまり、神ではなく、人間である。そして、序章で紹介した「ケメト」の論争は、両者の主張とも、間違いだと判断する。ケメト、またはケムトゥは、黒い人間でも、黒い土地でもなく、誇り高き農耕文化の持主のことであった。
では、古代エジプトの王族が、レムトゥ・ケムトゥと名乗ったのは、どういうことだろうか。
わたしはこれを、ケムトゥより出でたるレムトゥ、と解釈する。レ、とは、太陽神ラーのことである。ラーは、すでにのべたように、畠作物の神であった。ケムトゥは、本来、樹木性農作物の栽培者であった。その中から、新しい段階の畠作農耕部族、レムトゥが出現し、最有力となったのだ。
では、このようなバントゥの部族は、ナイル河谷以外にはひろがらなかったのであろうか。そして、コトバは、人々とともにつたわらなかったのであろうか。